カテゴリ:1881(22歳)( 116 )

1881.09.27(Tue)

 昨日はベイヨンヌで家族の間で暮らし、今日はフォンタラビでまた家族の間で暮らした。私は家族と離れては外に出られない。私は馬に乗りたかった。けれども乗馬服が悪くなっている。そうしてよく知りもせぬロシア人と一緒に乗るのは面白くもない。フォンタラビは良いところである。ビアリッツは平凡で、その平凡な美において甚だ見苦しくある。だから、誰でもそこから逃げ出したくなる。すぐ向こうの小さい港のほとりに子どものこじきたちがたかっていて、うまく絵になりそうである。けれども私は早くエスパパニュを見たい。そうしてもしエスパアニュでそれ以上のものに出会わなかったならば、フォンタラビへ引き返そうと思う。
 部屋にルーレット(一種の玉転がし)があったから私はやってみた。けれども40フラン失って、その代わりに写生をした。ここは世界の端の小さい片隅である。だから誰にも私の賭けをしたのを見られなかったようにと祈っている。おお! マダム・Rの話に耳傾けながら3時間も馬車をかけらした事を想像してみて下さい! この婦人は普通の社交界の談話ほどの魅力もない平凡な話ばかりした。私は何だってそんなまねをしたのだろう!
 オテルのまずい料理は公爵婦人たちでさえ食べられるのに、なぜ私は食べられないのだろう? 私を取り囲んでいる知的貧弱になぜ私は耐えられないのだろう? 私は言うまでもなく自分のふさわしいもののみを持っている。だから、要するに、もし私が実際に卓越した人間だとしたならば、1つの手段を見いだしたに違いない。……ああ! 死のごとき倦怠!
 おお、私の子どもの時の夢! おお、神聖なる希望! ああ! もし神が存在するならば彼は見捨てたのである。私はパリにさえいれば平和である。旅行すると私は絶えず家族の人たちと一緒に投げ出されて、それが私をいら立たせる。必ずしも母たちが粗野であるとか、作法に欠けているとかいうわけではない。他人のいないときには、彼女は非常にしとやかである。そのときは本当に私の母たちである。けれども他人が混じると母はよそ行きの挙動をしたり、私を怒らせるような言葉扱いをしたりする。
 それは半ば私の落ち度である。私はいつも母たちが社交が下手だといって非難したり、彼らを励まして良く振る舞わせようと思って気に入らないことを言ったりした。その結果はこんないやな態度をさせることになったのである。いつも私は家の人たちの不平ばかりを述べている。けれども私は彼らを愛しているのである。私は自分で正しいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-11-10 07:42 | 1881(22歳)

1881.09.18(Sun)

 私は麻と白い毛織りの短い上着の、縁の取ってない、しかし気の利いたのを持っている。それから非常に美しいきれの靴を持っている。それから白い帽子を──幸福な女にふさわしい若々しい帽子を。これだけで非常に著しい1つのアンサンブルを形作る。
 しかし私の心持ちから言うとこれは全く気違いじみている。母様と叔母は活気もなければ、快活でもない。実際立派な海岸旅行の反対である。
 けれども私は自分だけがパリに居残って、閉じこもってはいられない。なぜと言うに、私は最高の社会を除いてはどの社交界にも決して入りたくないから。そうして要するにアトリエの沈黙と孤独とが最大の楽しみであるから。
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by bashkirtseff | 2009-11-06 07:44 | 1881(22歳)

1881.09.17(Sat)

 今まで私がビアリッツに対して期待していた優れた自然の美は1つも見られない。海岸だけでいっても芸術的見地から見ると、それは不愉快でかつ醜である。
 おお、ニースの海! おお、ナープルの海、さてはニース、エゼンス、ボオリウなどの付近にある小さい海岸。しかるにこの地では投げ散らされたような無数の小さな岩で人は妨げられてある。それはボール紙でこさえた装飾のように見える。浜が小さくて、右手に灯台があって、左手は岩になっていて、その先に2つの塁壁と荒れ果てたままの大きな海岸がある。
 眺望は粗野で、画的なところがなく、海の縁に家1軒もなく、歩くのにはいつも登ったり、下ったり、また登ったりしなければならぬ。私は馬車で2時間ほど近所を探し回った。けれども画題になるようなものを1つも見いださなかった。漁師も、小舟もなかった。ただもみの木と別荘と国道があるきりであった。このくらいならばエスパーニュに行っただろう、そうしたら、博物館も見られるし、模写も出来たであろう。多分絵も描けたであろう。とにかく何かの研究が出来たであろう。本当に1カ月ないし6週間を静かに人知れず旅行かばんと一緒に暮らさねばならぬのであろう。
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by bashkirtseff | 2009-11-05 07:53 | 1881(22歳)

1881.09.16(Fri)──ビアリッツ

 私たちはさよならを言って木曜日の朝パリを立った。私たちはベイヨンヌで夜を過ごすはずであったが、サラ・ベルナアルが芝居をしているのでボルドオに行くことにした。私たちは特別席を2つ50フランで買った。そうして La Dame aux Camélias〔椿姫〕を見た。悪いことに、私は非常に疲れていた。この女は非常に評判が高いので、私は自分の印象がどんなであったかを実感することが出来なかった。初め私はこの人は他の人のするようなことは何にもしないだろうと想像していた。それでこの人が歩いたり、物を言ったり、腰掛けたりするのを見て驚いた。私はこれまでこの人を4度見たきりである。1度はまだ私が子どものころ、Sphinx の芝居であった。その次はずっと遅れて、また Sphinx であった。それから L' Étrangère〔外国婦人〕であった。彼女の最小の運動にも特別の注意がはらわれた。要するに、よくは分からないが彼女は魅力を持っているようである。
 ビアリッツが非常に、非常に美しいことは疑うまでもないであろう。……
 海は今日一日美しい色をしていた。実にきれいなねずみ色を!
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by bashkirtseff | 2009-11-04 07:37 | 1881(22歳)

1881.08.20(Sat)

 私は彫刻家ファルギエルに会いに行った。私はアメリカ人ですと言って、絵を見せて、彫刻を始めたいという希望を述べた。彼はその中の1枚は非常に良くできていると言った。ほかのもよく描けていると言った。そうして彼の教えているアトリエに私を紹介して、もしそこが不満足ならば、私の仕事を彼のところへ持っていくとも、あるいは私のところへ彼が来てくれるとも、どちらでも私の自由に任せると言った。それは親切からであった。けれども教師としては私はサン・マルソオを持っている。この人を私は尊敬しているから、アトリエだけで満足しようと思う。
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by bashkirtseff | 2009-11-02 07:49 | 1881(22歳)

日付なし

 アトリエを出ると叔母と私はトゥルヴィルの大通りを通ってトロカデロの側のセーヌの岸を駆らせるために辻馬車に乗った。……よく知られてないが、何という愉快なところだろう! 私はいつもブレスロオが感じていたように、疲労を感じた。私は自分も彼女と同じようにしわくちゃになるのではないかというような気持ちがした。そうして彼女と同じように空を賛美したり、距離の調子の美を賛美したりした。しかし私はほえるような声を出した。それは剽窃(ひょうせつ)ではなしに自然に出たのである。私はそれで自分もいくらか絵がうまくなるだろうというような気がした。ブレスロオはいつも私の頭の中にある。私は彼女がどんな風にするだろうかというようなことを考えてみないでは一筆も下さない。それは画題などでは全く何物でもなくて、歴史画を除いては、絵の品質がすべてであるということを意味するのである。……しかし今はどうだろう! 確かにそれは正しい。首も、手も、描き方さえ良かったら、十分である。私の制作は平凡で! 乾燥無味で! 堅苦しい! ……私は彫刻をやろうかしら。ある日私は言った。するとジュリアンが付け加えた。──形をこしらえるのが面白くないでしょう。──これが私を冷却させた。
 しかし彫刻においてはそれは不可能である。見たとおりのものを形にするので、ごまかしもなければ、色もなければ、視力の上の錯覚もない。
 しかるになぜ皆は、例えばトニーは、私に今の道を続けて行けとは言うのだろう?トニーには利益がないからである。また、従ってジュリアンとてもそうである。なぜと言うに、私が彼らと共に仕事をするよりも1人で仕事をするようになったからである。
 私は絵のことばかり言っていてエルストニッツの別れのことを言わなかった。彼女はずっと以前から去りたいというのを、止められていた。しかしかわいそうに疲れ果てて、死ぬほど退屈していた。──まあ考えてみて下さい。私はおはようとかお休みとか言うきりで、毎晩なぜもっと話をしなかっただろうと自分を責めるが、毎日それは同じことを繰り返している。
 私は彼女に対してもう少し友情を示そうと思えば、150の寛容心をも持っていた。けれどもそこで私はとどまった。そうしてその口実をば自分を苦しめる悲しみに見いだした。
 彼女は去った。あのかわいそうな小さい人は、実際天使のような性質を備えた彼女は。そうしてその別れは私の心を非常に痛めた。けれども彼女は向こうへ行ったら、今までよりも幸福になるだろう。私が特別に気の毒でならないのは、自分の冷淡と無頓着とに対していかなる償いも出来なくなったことである。私は彼女を母や叔母やヂナと同じように取り扱った。しかしそれは私の家族に対しては返って心苦しくないことであるが、この子どもは、このおとなしい、もの優しい子どもは、そうは思わなかった。彼女は昨日の9時に去った。私は泣きだしそうになり、ものが言えなかった。それで平気な顔つきを装っていた。けれども彼女にまた会いたいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-10-31 08:00 | 1881(22歳)

1881.08.18(Thu)

 今日……面白くなかったら読まないでもらいますが、私は昼間は仕事をして暮らしたり、仕事をしながら自分にもっとも残酷なことを in petto〔心ひそかに〕話したりして暮らした。
 私の下書きを見ると、私の進んできた1歩1歩が見える。時々私はブレスロオが私よりも先に絵を習ったのだと自分で自分に言うことがある。……しかしその娘があなたにとっては全世界ですか? 私には分からないが、私をしてこの競争者を恐れしめるものは、軽からぬ感情であります。一番最初の日から、男たちや私の同窓の女たちは何と言ったにもかかわらず、私は彼女の才能を発見していた。あなたは私の発見の誤らなかったことを見るでしょう。その娘のことを思い出すだけでも、私は不愉快でならない。彼女が私の絵に一筆絵の具を付けても私は胸を打たれたほどの痛みを感じる。これは私が彼女において1つの力を意識しているからで、その力に対して私はついに屈服しなければならないのである。彼女はいつも自分のことを私と比較した。まあ、想像して下さい。アトリエの中の一番下らない人間たちまでが、彼女は絵が出来ないと言った。──「色が悪いとか、線がまずいとか、形が出来ないとか。」──それは私についても言われたことである。それは1つの慰めであったに相違ない。実際今では私に残された唯一の慰めである!
 1876年(2月)に彼女はすでにメダイユを取っていた。彼女は1875年6月に始めて、それ以前スイスで2年も勉強している。私は2年間彼女がもっとも著しい失敗に反抗してもがいてるのを見た。しかし少しずつ切り抜けて1879年には彼女はトニーの助言で出品した。私はそのとき絵を始めて6カ月目であった。今1カ月たてば私は3年から絵を描いたことになる。それで問題は今私はブレスロオが1879年に出品した絵と同等のものが描けるか否かである。ジュリアンは彼女が1879年に出品した絵は、1881年のよりも良かったと言った。しかしこの2人は仲が良くなくって、彼女を成功の方へ推し進めるように彼は努力しなかったために、中間に低回したままである。
 彼女の去年の絵は私のと同様に morgue〔行き倒れ広告所〕すなわち外部画廊に並べられた。今年は彼女はジュリアンと仲直りが出来てその上新しい画派の保護を受けて、本線に置かれた。メダイユは当然のものであろう。
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by bashkirtseff | 2009-10-30 07:57 | 1881(22歳)

1881.08.14(Sun)

 夕べはよく眠れなかった。今朝はまだ痛みがやまない。後ろの方までも。息をする度にそれは悪魔になる。そうして咳をする度に悪魔が2つになる。ああ! 私はどんなに丈夫だろう。本当に、どんなに丈夫だろう。
 今私は絵を投げだそうと決心した。しかしどれだけの時間を失ったことだろう!
 一カ月以上も。
 ブレスロオはどうかと言うに、彼女の賞状に励まされて、すべてがなだらかに進んでいるに相違ない。私はどうかと言うに、翼を挟まれて、信用を失ってしまった。
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by bashkirtseff | 2009-10-29 07:37 | 1881(22歳)

1881.08.13(Sat)

 さて、私は2時間かあるいはそれ以内仕事をしています。そう言ったらあなたにはお分かりでしょう! 誰に分かるでしょう? それは非常に良くなったかも知れない。それで私は決心して、すぐ自分に言った。それは気取ってばかりいて、何にも表現してない、と。実際私は私のモデルが皆嫌いである。そのとき私は選挙のすぐ後でその絵が並木町にさらされてあるのを見た。それは非常に非女性的な画題である。けれども誰に分かるでしょう? もし私がそれを固執したならあるいは……。そこにはあるいはがある。それが私をきちがいにしてしまう。ジュリアンの意見は……、しかしジュリアンは今年ジラアルについて間違った。彼は良い予言をした。そうしてそれは恐ろしい結果になった。
 私は運命に任せよう。けれどももし運命が私と同じことを言わなかったら、……そうしたら私は何と言うだろう?
 私は断言するが、それは1つの不運である。その絵にはどうしてもアレクシスが必要である。しかるに彼はいつ帰ってくるか分からない。それにもう18日しかない!
 それであなたは気が狂ったと言うのでしょう。──しかし、否、私にはまだ余裕がある!
 そうだ、運命だ。……今私は気まぐれにこの日記を開けて、気まぐれに私の指をその上に置いてみる。もし私の指の落ちた行の字数が偶数であったら、私のこの絵を思い切ろう。……
 うまく、偶数だった。──しかし……あなたは私の右の肺が悪いことを忘れてはいらっしゃらないでしょうね! それで医者たちまで、そうは私に言わないけれども、もし左の肺も同様に悪くなっていることを聞いたなら、あなたはきっと喜ぶでしょう。私はキエフの遺骨の墓穴で初めてそれを感じた。それは穴の中が湿っていたため、一時的に傷むのだろうと思った。そのとき以来それは毎日繰り返される。今夜のごときはほとんど息が苦しいほど傷んでいる。それは鎖骨と胸の間が傷むのである。ちょうど医者たちが彼らの小さい打診をする個所に。
 それで絵はどうなるだろう?
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by bashkirtseff | 2009-10-28 07:55 | 1881(22歳)

1881.08.12(Fri)

 多分あなたは私がもう何かを決定したとお思いになるでしょう! 私にはまだ何事も出来ない! 自分の無能をいたずらに感じているのみである! 旅行して失った時間を入れて数えると、何にもしないで空費したのがすでに1カ月以上になる! 私は自分が仕事をしていると想像することさえ出来ない。私は自分で作り出す無能な、乾燥な、平凡なものを思うと、出来ないうちから怖じ気がついている。恐ろしくて、何にも出来ない!
 すべてのものが皆私に対して謀反している。私はこの絵をよして、エルスニッツの肖像を描こうかと思う。けれども彼女は2日たてば去ってしまう。それで私はモデルを探しに行ったが、探し出せない。それで私はジュリアのところへ駆け付けてみたけれども、彼女は月曜日からでないと座れないという。私は門番の小さい娘の方を振り向いてみると、彼女は学校にあがるまでにあと3日きりないという。それで! ……
 それで私はイシのアマンダの家へ行ってみると、彼女は中庭で仕事をしていた! 彼女は私を実際に興奮させるほどの芸術家ではないけれども、それでも私には役立った。どうか心配しないで下さい。実に爽快になった。……私はあののろわれた絵を続けて描こうと決心して帰ってきた。
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by bashkirtseff | 2009-10-27 07:48 | 1881(22歳)