カテゴリ:1881(22歳)( 116 )

1881.11.29(Tue)

 さて! もう2週間も続いている。多分まだ2週間くらいは続くことだろう。
 マダム・ナシュが今日スミレの花束を持ってきてくれた。私は皆に会う通りに彼女に会った。なぜと言うに、絶えず熱が出て、左の肺が充血している。実は肋膜炎である。それに、発疱膏を2つもはってあるにかかわらず、私はまだしょげていないで、普通の人の通りに立ち歩いている。けれどもキナ塩のために私はつんぼになっている。この間の晩私は時計の音が聞こえなくなって、死ぬほどびっくりした。それに私はまだたくさんそれを用いなければならない。
 それさえなければ、私はかなり丈夫なような気持ちになれる。またもしこの2週間何にも飲み下すことが出来ないというようなことさえなかったら、私は自分が病気だということも気がつかなかったに相違ない。
 それさえなかったら、仕事も出来れば絵も描けるだろうに! 今日は11月の29日である。12月の末まで私は始めることは出来ないだろう。2カ月半では十分と言えない。何という不幸だろう。不幸に生まれたらいくらもがいても仕方がない! 私にとっては、絵は一種の避難所であった。しかるに近ごろでは時々耳の聞こえないことがある。この結果はモデルに対して甚だ不都合で、絶えず不安があり、自分の弱点を知らせるのでなければ絶対に肖像画は描けなくなった。そうして私にはまだそれだけの勇気がない。それに、この病気のため、私は仕事をすることが出来なくなって、1カ月は家に閉じこもっていることが必要である。実際、大変なことになってしまった。
 ヂナは私のそばを離れない。彼女は本当に優しい娘である!
 ポオルと彼の妻が昨日着いた。カヴィニ家の人たちも来た。ゼリも、ボジダアルも、アレクシスも。私は気を張って、絶えず冗談とやせ我慢で病気を紛らわしている。……
 来ている医者たちが私の冗談の材料を供給してくれる。ポオテエンは自分でいつも来るわけにいかないので、毎日よこされる医者をよこしてくれた。
 それで私は面白がって、気違いの娘のように振る舞っている。下らないことを言っていられるのも、それ故である。
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by bashkirtseff | 2010-03-19 07:53 | 1881(22歳)

1881.11.26(Sat)

 あなたは記憶していらっしゃるでしょうが、私はトニーのところへ行って、私の描いた下絵を見てもらったり、画題の相談をしたりするつもりであった。しかし私は外へ出られない。体が弱って、何にも食べられない。多分まだ熱があるのだろう。こんな不活動な状態でいるのは、何よりも悲しいことである。それは皆気力がなくなったためである。シャルコオがまた見に来た。
 母とヂナが叔母のつまらない電報で呼び出されて、昨日戻ってきた。ヂナに今朝彼女の姉から手紙が来て、私の病気を聞き合わせてきた。
 私は風邪を引いたのだということは知っている。誰だって風邪を引かない者はない。
 しかし、もう何もかもおしまいである。私は耳がひどく悪い。ところへ、こんなに風邪を引いて熱が出てどうなることだろう? どんな望みが私にあるだろう? もう期待されることは何にもない。私の目を遮っていた覆いが5、6日前取られてしまったように思われる。すべてが結末となった、すべてが結末となった、すべてが結末となった!
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by bashkirtseff | 2010-03-18 07:50 | 1881(22歳)

1881.11.22(Tue)

 南へ島流しにされることを思うと、この絶望は到底述べ尽くせない。何もかも終わりになったような気持ちである。静かに仕事をしようと思って喜んで帰ってきたのに、少しの慰めはなくても、勉強ばかりして過ごそうと思って楽しんでいたのに、……それに、すべてはまた空虚となってしまった!
 他の人たちは美術の郷国なるこのパリで確実に進んでいる間に、私だけはあそこで何にもしないで、せいぜい外気が1、2枚の絵を描いているくらいで、否、それさえも甚だおぼつかないことであるが、そうして暮らさねばならぬのである。
 ブレスロオを見なさい。彼女を有名にしたのはあの百姓の女の絵ではない。……それを思うと私の胸は張り裂けそうになる。
 今夜シャルコオに見てもらうと、病気は去年より悪くなってはいないと言った。私の苦しいのはこの6日間風邪を引いているためで、すぐに良くなるだろうと言った。南に行くことについては、彼はポオテエンと同じことを言った。──南へ転地するか、囚人のように閉じこもっていなければならないと言った。でなければ、右の肺が冒されているから、外観は良くなっていくように見えるけれども、危険なことになるかも知れない。病気は一方に偏ってから、私の不注意にもかかわらず、治るだろうということであった。私は去年にも同じことを聞かされたが、耳に入れようともしなかった。しかし今度は私は考え込んでいる。そうしてパリを去ることと、仕事を妨げられることを考えて、4時から泣いている。……
 もっとも近ごろのように病気ばかりしていると、パリにいてもあまり利益はないだろう。……私を絶望させるのはそのことである!
 打ち負けて、自分でそれを認めて、そうだ、医者の言う通りだ。そうだ! 私は病気だ。
 ああ! 否、それは考えても私を絶望させる。
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by bashkirtseff | 2010-03-17 07:54 | 1881(22歳)

1881.11.21(Mon)

 ドクトル・ポオテエンが水曜日に呼ばれて、今日来た。その間に私は死んでいたかも知れなかった。
 私はまた南に行けと言われることをよく知っていた。私は歯を食いしばって、声を震わして、涙を抑えるのに骨が折れた。
 南へ行くことは負けることである。それに家族の迫害を思うと、どんな場合にも私は自分の名誉を保つことが怪しくなる。旅行するのはアトリエのすべての虫けらどもに打ち勝たせることになる。そうして皆は言うだろう。「あの人は病気で、南の方へ連れて行かれた!」
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by bashkirtseff | 2010-03-16 07:40 | 1881(22歳)

1881.11.17(Thu)

 昨日は胸とのどと背中が苦しくて、ほとんど動くことも出来なかった。風邪をひいていたので咳が出て、何にも飲み下すことが出来なかった。そうして、絶えず熱くなったり、冷たくなったりした。
 今日はいくらか良い気持ちである。けれども要するに大差はない。私はこれまで長い間一流の医者にかかっていたけれども、未だにこんな状態である! 私が初めて声が出なくなって以来もう何年になるだろう! それは私が自分の心に背いて海に投げ入れたポリュクラテスの指輪(サモス王ポリュクラテス(底本:「ポリクラテス」)は不足と言うことを知らぬ身分であったがエジプト王アマシスの忠告をいれて宝玉中の一番大事な指輪を海に投げ入れた/底本:「ポリクラアトの指輪」)であった。しかし! この恐ろしい病気が私に取り付いているから、私は別の成功によってその補いをつけねばならぬ。……私がどれほど成功しても、……私には不足なものがないなどと言うことは出来ない。これで私は安心することが出来る。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:28 | 1881(22歳)

1881.11.15(Tue)

 下絵をジュリアンに見せて、ほめられた。けれども彼はもはや自信を持って私を奨励してくれなくなった。彼は当惑した顔つきで物を言った。けれども私には彼の考えていることが想像が出来る。
 まだトニーがある。私は彼をばあまり訪ねたことはないが、しかし会ってみようと思う。
 気の毒なマドモアゼル・コリニョンは20日ほど前に死んだ。私たち2人は余り仲良くしてはいなかった。けれども彼女は近頃非常に不幸だったので、私は非常に同情を寄せていた。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:23 | 1881(22歳)

188111.06(Sun)

 訴訟は終わって、私たちが勝った。それは予審が訴訟の根拠のないことを示したのである。それが実に長い間かかっていたことを思うと、本当とは思えないほどにうれしい。しかし本当である。今母から電報が来たのである。今日はうれしい日である。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:21 | 1881(22歳)

1881.11.05(Sat)

 私はパリに戻った。限りなき喜びである。汽車の中で震えながら私は時間ばかり数えていた。エスパアニュの鮮明な空気と燃えるような日光を見た後で、この美しい市街の灰色の調子を見るのは非常に楽しい。私はルーヴルの宝庫のことを考えて喜んでいる。──以前はそれを考えただけでも退屈であった私が。
 ジュリアンは私がもっと遅く帰ることと思っていた。そうして健康がすぐれないので、あるいはもう帰ってこないのかと思っていた。
 ああ! 同情はなんといううれしいものだろう、しかしそれよりも絵ははるかにうれしいものである。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:21 | 1881(22歳)

1881.11.02(Wed)

 私たちは1週間前にいたマドリッドへまた戻ってきた。3日ばかりいてロレンゾオの店の写生に手を入れるつもりである。
 この数日来、そのことばかり私から聞いていたにも関わらず、また私が早くマドリッドへ帰りたいと焦っていたことを知っていたにも関わらず、叔母は外出の用意をして出てきて、私に向かって「さあ、今日は買い物にでも行きましょうね?」と言ったことは、全く無理もないことであった。私が絵を描きに行くのだと言ってはなすと、叔母はあきれた顔をして、私をきちがいだと言った。
 突然にある思いつきが浮かんで、あなたが一つの画題を発見しました。あなたは全力を傾けています。あなたの頭に空想が形を取ります。あなたはまず略図を描きます。あなたは調和の良い結合を見いだそうとして頭を悩まします。そうしてまだ形のない、ぼんやりした状態ではあるけれども、ある物をつかんだと思っていると、ちょうどそのとき自分を非常に愛している身内の人がその場に現れて、咳をするたびに気遣います。けれども私は特別に敏感で、こんなことを言っている訳ではありません。私はほかの美術家に比べて自分は非常に実際的だと思っています。……しかしあなたが見る通り私は本当はそれほど実際的ではありませんが。……ああ! 無考えな、気まぐれな家の人たち、彼らには私がもう少し体が弱く、勢力がなく、快活でなかったら、もうとっくに死んでいるはずだということがわからないのである!
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:19 | 1881(22歳)

1881.10.31(Mon)

 私は寒さに追い立てられて喜んでいます。でないと、私は去らなかったでありましょうから。そうしてもうパリへ帰らねばならぬのでありますから。トニーには5カ月も会わない。サロンの絵を妨げられることなしに描くために、アトリエを借り入れることも考えねばならぬ。初めの年は計算に入らなかった。次の年は準備する時日がどんなに短かったかは、あなたが知っておいでになる通りです。その上、画題も私自身のものではなかった。しかし今年は実際、良いものが出せるだろうと私は思っている。
 私はロレンゾオの骨董の店を描きたいと思っている。強い光が階段の一番上に落ちていて、1人の女が台座の上で織物をいじっていると、前景では今1人の女がうつむいて銅器を磨いているそばで、1人の男がそれを眺めて立っていながら、両手を隠しに入れて葉巻を吹かしている。
 その女には2人とも私がマドリッドで買ったような普通のさらさの着物を着せるつもりである。私は必要な着物はたいがい持っている。まだ用意の出来てないものは台座だけである。それは100フランばかりかかるだろう。しかし何よりも大きなアトリエを探し出すことが必要である。……今夜ついに立つことになった。私はうれしくて、歌わないではいられない。
 私のエスパアニュの旅行は、単に食べるために食べていた今までの私の習慣を直すようになるであろう。今までの食事は時間をつぶして知能を鈍らしていた。私は今アラビア人のように摂生家になった。ただ厳正に必要なだけを食べて、生きるに足りれば良いと思っている。
 私がその家を借りて絵を描いていたジタアヌの頭の養子が、今船牢から帰ってきた。彼は13になる小娘を誘拐したために、4年間漕刑に処せられていたのである。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:17 | 1881(22歳)