カテゴリ:1881(22歳)( 116 )

1881.01.08(Sat)

 私は心から書物が好きである。それを並べてみたり、数えてみたり、眺めてみたりする。こんな古い書物の堆積(たいせき)を見ても私の心は喜ばしくなる。私は離れたところから、絵を眺めるようにそれを眺めてみる。私は約700冊を持っているが、それは大概皆大型であるから、普通の大きさよりもたくさんあるように見える。
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by bashkirtseff | 2009-02-12 10:44 | 1881(22歳)

1881.01.07(Fri)

 私は自分の苦しんでいる悪戯を家で婦人たちに話すと、皆も私に同意したように、それは私の正しいことの1つの証拠だと言った。内のある者は、私はしっかりしてるからだまされるようなことはなかろうと言った。私はそれを承認する。けれども陰謀とか裏切りとかを人のなすがままに任せるのは美しいことである。私はなすがままに任せると言った。けれどもそれは必ずしも正確になすがままに任せるのではない。なぜと言うに、私は自分で陰謀とか悪戯とかの全然出来ない人間であることを知ってるから。実に退屈で、うんざりして、実際私にはどうすればよいのか分からない。その上、人は他人より優れていることを知るのは1つの満足である。だまされて、それを知っている。それは楽しいことであり、また正直と廉直の1つの特典である。……それから良心は? 潔白な良心を持っていて、人の卑しさを見て、自分の清さを見て、自分自らの興味の偏頗(へんぱ)に対してさえ、そう感じる。しかしこんな状態の下においては偏波はほとんど消えうせてしまい、自分が犠牲にされたと感じれば感じるほどますますそれが楽しくなってくる!
 もちろん最初に示された時に私は言うべきはずであった。「そんなわけなら、私は描いてあげません!」と……しかしそうしたらA…を喜ばせることになったであろう。彼女は自分の努力が成功で冠されるのを見たであろう。私が引っ込まなかったのは、ただそれだけの理由である。
 私はこのことを声高に言う。そうして事物が進むがままに進ませようと思うことをも付け加えておこう。A…は私の妨害になることをばしないだろうと思われるから、私はそんなことはあり得ないと信じているように装っている。それ故、このことに関しては良い顔を見せている。
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by bashkirtseff | 2009-02-12 10:43 | 1881(22歳)

1881.01.05(Wed)

 トニーと私と今朝同時にアトリエに着いた。私は彼に小さいエスキスを見せて、私たちは絵の話をした。私の仕事をする部屋は仕切りを取っても非常に小さくて、画布の大きさを考えてみると冗談のようである。
 次に2人の手でそれを描かせるということが一種のコンクールとも思われて、甚だ不愉快である。私はある限りの勇気を装っているけれども、非常に神経質になっている。A…がいる時には私は半ばまひして、人物を適当の場所に入れることも出来ないでいる。2人の人が同じ画題で仕事をするということが私をいら立たせるのである。
 ああ! この絵は私を悩ます! ああ! 私は何かほかの絵が描きたい! ああ! この露骨は耐えられない! 一語が私を高めたり砕いたりする。私を絶望から救うためには、トニーとジュリアンは生涯私の賛辞を歌っていなければならない。もし彼らが褒めもしなければ非難もしないで、ただ注意のみを与える場合には、私は立ってはいられなくなる。
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by bashkirtseff | 2009-02-12 10:40 | 1881(22歳)

1881.01.03(Mon)

 朝の12時半に「2人の友達」を終わった。非常に美しいが、それから何物をも得なかった。おおバルザック!
 ジュリアンは日曜日まで仕切りを開けることを許さないだろう。今週中は生徒たちの邪魔になるだろうから。それ故、私は1週間損をするわけである。あと10週間きり残っていない。それは長いとは言えない。だから私はトニーとジュリアンが、私は仕上げることが出来ないだろうと思って早く描き出すようにと勧めてくれることは知っている。けれども彼らの目的は何であろう。Nescio〔誰か知る者ぞ。〕
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by bashkirtseff | 2009-02-12 10:37 | 1881(22歳)

1881.01.02(Sun)

 私はジョルジュ・サンドの「フラマランド」をひもといた。全体の話を話しているのは1個のお世辞者で、甚だ不愉快である。最初の20行で私には十分である。私は共和主義者である。だからお世辞者は同等の人間とは考えられない。奴僕は奉仕することに満足する時はその権利を失う。ジョルジュ・サンドのごときは常に奴僕のことのみにかかづらっているのは忌むべきことである。私は憤慨しながらも、作者の傑作なる「フラマランド」を読んだ。奴僕たちは皆適所にいて、その書は精妙に出来ている。
 私はその書が面白いのですぐに読み終わった。今度はその続編の「2人の友達」を読もうと思う。
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by bashkirtseff | 2009-02-12 10:35 | 1881(22歳)

1881.01.01(Sat)

 私はA…に1つの花束を与えた。彼女は私に2度接吻した。そうして、2人きりになった時、私は彼女の愛の進行とその始まりについて話してもらった。それは今日まで6年間続いていて、少しも変化がない。彼女は階段の上の彼の足音をも、彼の戸の開け方をも知っていて、そのたびにそれは初めのころの通りに彼女の心を動かす。それを私は理解する。もしそうでなかったなら初めと同じ愛ではないだろう。人はお互いに慣れると感情が減っていくという。けれどもそれは間違いである。変化したり、気抜けしたりする愛は真実の愛ではない。
 私は変化の恐ろしさを知っている。もう帰ってこなくなってさえも変わらないで永久的であるような真の愛を感じうるほどに幸福な人はめったにない。普通の人はそれほど完全な感情を経験することが不可能である。仮に可能だとしても途中から脇道へそれたり、せき止められたりして、変化するところの断片の愛で満足している。だからあなたがまれなる永久の愛とかもしくば独自の愛とかいうものを口にすると多くの人は肩をそびやかして身震いするのである。
 真の愛は必ずしも永久ではないかも知れない。けれども常に独自的のものである。
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:20 | 1881(22歳)