カテゴリ:1881(22歳)( 116 )

1881.12.30(Fri)

 終日皆がけんかばかりしていた。
 最後に私は心の平静を取り戻すためにトニーのところへ行って、ポオルの妻の肖像を見せた。彼は取り扱い方が非常に独創的で、良くいってると言った。同情家のフルリは、私の健康が回復したのを見て大層喜んで、しばらく快活に話をした後で、甚だまじめな美術上の問題に話が移り、ことにブレスロオのことを論じた。……「あの人は確かに才能があります。」彼は言った。「才能が豊富です。」
 ああ! 私の感情をここに説明することはとても不可能である! この火とこの熱を……おお! 私は昼も夜も、いつも、いつも、絶え間なく仕事をして、何か良いものを描き上げたい!!! 実際、彼は私に、いつでもやろうと思えばブレスロオと同じくらいの絵は出来るはずだと言ってくれた。実際、彼は私がブレスロオと同じ才能があると思っている。けれども私は泣きたくなる。死にたくなる。どこへでも良いから行ってしまいたくなる。……しかし、本当に行けるだろうか? ああ! トニーは私を信じている。けれども私は自分を信じていない。……私は何か良いものが描きたいと思って精力を消耗した。そうして自分で良く自分の無能が分かっている。……もう私はよそう。──あなたは私の書いてることを文字通りにとって、私が本当に無能だと思うかも知れません。……実際は私は逆に取ってもらえるつもりで言ったのです。
 ああ! 主よ、私が今これを書きながら、どう書いたらばこの苦しみが表せるだろうかと考えている間に、私ほど愚かでないブレスロオはずんずんと絵を描いていることだろうと思われます。
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by bashkirtseff | 2010-03-27 07:58 | 1881(22歳)

1881.12.29(Thu)

 もう8日間何にも書かないでいる。これは私の光栄ある生活が、少しばかりの仕事と社交のために費やされたということをあなたに示すものであります。別に何にも変わったことはない。けれども私は良くなったら外へ出られる。土曜日に新調の着物を着てみたり、母様とヂナと一緒に馬車でボアへ行ったり、ジュリアンを訪ねたりした。そうして日曜日は教会へ行った。それは優しいベルタが皆に言うように、私が今にも息を引き取るということを言われたくないからであった。
 反対に私はだんだんと元気づいてきた。10日前まではやせ細っていた腕も丸みが付いてきた。これは病気以前よりも良くなっていくことを意味するのである。
 もしこんな風でもう10日も進んだら、私は太るのをやめねばならぬ。私は3年前のような大きな腰を持ちたくはないから、これは当然のことである。ジュリアンが昨夜訪ねてきて、私の体がずっと良くなったと言った。私たちは笑ってばかりいた。私はポオルの妻の肖像を描いている。昨日なぞはヂナも、ニニも、イルマも、皆一緒に描きたいと思ったくらい元気があった。──イルマは普通のモデルではない。──今では少なくなった grisette〔フランスの下級の快活な若い娘〕の典型である。彼女はおどけもので、感傷的で、奇体に純朴の声を持っている。──「あなたはいつから cocotte〔浮気な女〕になったの……」とこの間私が聞いてみた。──「おお! まあ、」彼女は答えた。「私そんな結構な身分じゃございませんもの!」彼女は気の利いた座り方をする。彼女は恐ろしいその青白さに対して、あらゆる手だてを尽くす。なぜと言うに、無邪気な若い娘と間違えられるかも知れないから。
 彼女はもう用事はないけれども、居残っていたいと言って、暖炉の前で編み物をしながら午後を過ごした。
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by bashkirtseff | 2010-03-26 07:54 | 1881(22歳)

1881.12.21(Wed)

 今日私は外出した! おお! 毛皮にくるまって、窓ガラスを締め切って、足の熊の皮をかけて。ポオテエンは風さえなかったら外出しても良いと言った。私は適当な用心をした。天気は立派であった。──しかし用心はどうだっただろう!
 しかしそんなことはもう問題ではない。問題は自分の餌を追っ掛けて逃がさないブレスロオである。私のサロンの絵は駄目になった。この夏は彼女の絵と並べて私は何を示せるのだろう?
 あの娘は1つの力である。私の認める人はあの人だけではない。けれども私たち2人は、同じ巣とは言わないまでも、同じかごの鳥である。私は彼女の才能を初めから認めていた。そのころはまだ絵のことは何にも分かっていなかったけれども。私は自分がきらいである。私は自分に才能があるとは思わない。なぜジュリアンとトニーはあんなことを言うのだか私には分からない。私は何物でもない。私は自分の生活機能の中に何物も持っていない。(おお、ゾラ!)ブレスロオに比べると、私は薄い壊れやすいボール紙の箱が、頑丈な派手な彫刻したカシの箱に比較されたような気持ちがする。私は自分に対して絶望しているが、もし先生たちのこのことを話したら、彼らも結局は同じ結論に到達するだろうと思っている。
 しかしそれはそれとして、私はどこまでも目をつぶって、両手を差し伸ばして、進もうと思っている。例えば、奈落に投げ落とされようとしている人のごとくに。
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by bashkirtseff | 2010-03-25 07:50 | 1881(22歳)

1881.12.18(Sun)

 ジュリアンと tete-a-tete〔差し向かい〕で、私はありたけの不平を言った。彼は毎日興味をひいた物を絵にしてみてはと言って、私を慰めようとした。──私の興味をひく物とは何だろう? ──今のような私の境涯で何が私の興味をひくと思いますか? ブレスロオは貧乏ではあるけれども、立派な芸術的の空気の中に生きている。マリアの周囲の友達は音楽的である。セッピは下等ではあるけれども、独創的なところがある。それからサラ・ブルウセは、美術家でかつ哲学者だから、カント主義を論じたり、人生を論じたり、le moi〔自我〕を論じたり、死を論じたりして、人に自分というものを回想せしめたり、自分の読んだり聞いたりしたことを、強く印象させたりする。この人たちが皆ブレスロオを助けている。──彼女の住まっているあの Les Ternes で。しかるに私たちの住まっている町はあまりに清潔で、あまりに整っていて、ぼろを着た人間も見られなければ、刈り込まれない木も見られなければ、曲がった街路も見られない。それでは、私には金の不平があるか? ……否、しかし私は、ただ幸福が芸術の発達を妨げるということと、私たちの住まっている周囲は非常に小さな人間ばかりだということを述べておくのである。
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by bashkirtseff | 2010-03-24 07:55 | 1881(22歳)

1881.12.15(Thu)

 悪くなってから、4週間と2日になる。私はポオテエンの助手の前で泣いて見せた。彼は私を泣き止ませる方法を知らなかった。私はしゃれを言ったり、でたらめな話をしたりして彼を面白がらせることをよして、髪を垂らして小娘のようにしゃくり上げながら、泣き言を言ったり、本当に涙を流したりした。──白状すると、実際は思っていないことを言いながら、冷静にそうしたのであった。例えば芝居をするときのように、青くなったり、真剣に泣いて見せたりした。それで私は立派な役者になれるだろうと思った。けれどもせきが出て、いまだにまだ呼吸が苦しい。
 父上が今朝着いた。何もかも都合よくいったが、ただポオルの気の毒な細君だけは、ポオルがあまり冷淡な様子をしているので自分で決まりが悪がっている。私はそれを気の毒に思い、母からもらって使い前のなくなっているエメラルドを彼女にやった。
 あとで私はそれが少し惜しくなった。それは宝石の好きなヂナにやれば良かったと思った。つまらない!
 父親が気を悪くしているとは思えない。反対に、精神からいっても肉体からいっても、いくらか私に似てる(これはお世辞である)のであるが、私を理解することが出来ないのである。
 考えてみて下さい、父は踰越(ゆえつ)の祭りに私たちを皆国へ連れて帰ろうと思っているのです!
 否! それは実際ひどい。あんまりわけが分からなさすぎる。私を、こんな健康なのに、2月3月にロシアへ連れて行こうというのである!!! よそう! 後のことは言うまい!!! おお! 否! 私は南に行けと言われても嫌だ! 否、否、否。もうこのことは言うまい。
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by bashkirtseff | 2010-03-23 08:00 | 1881(22歳)

1881.12.09(Fri)

 ブレスロオの絵が「近代生活(ヴィ・モデルヌ)」に出ている。私も泣いてばかりいなかったら、下図を描いてみたり、絵を描いてみたりするようになっていたであろうに。しかし私の手はまだ少し震えている。
 肺は充血は治ったけれども、体温はまだ38度ある。こんなことをあなたにお話しするのは何という気の利いたことでしょう!
 私にはもう望みはないような気がする。それで私はブレスロオが何を描いているかを聞きたくないので、何にも尋ねないことにしよう。
 おお! 私の神様、私の願いを聞き入れて、私に力を与えて下さいまし、私を哀れんで下さいまし!
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by bashkirtseff | 2010-03-23 08:00 | 1881(22歳)

1881.12.07(Wed)

 この病気はどれだけ私をいら立たせることだろう。毎日1度ずつ来るあの嫌な代理ポオテエンが、大先生は1週に2度きり見えないので、それでこの無頓着な助手先生が、昨日私に旅行の用意はしていますかと聞いた。
 南国! おお! 思うだけでも私は腹立たしくなる。食事の時、そのことを考えて、ものが食べられなかった。もしジュリアンが来なかったら、私は夜通し怒って泣いたであろう。
 さて! 否、それはいけない! 私は南へは行かないつもりである。
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by bashkirtseff | 2010-03-23 07:59 | 1881(22歳)

1881.12.02(Fri)

 もう12月2日である。私は仕事に掛からねばならぬ。絵の材料を探さねばならぬ。背景に使う大きな瓶が必要である。……しかしそんな細部のものが何になるだろう? それは私を泣かせるだけである。それでも私はずっと健康になったような気がする。食べもすれば、眠りもすれば、その他、ほとんど常と変わらない。
 しかし左の肺の充血がある。右は慢性であったが、それは次第に良くなったように思う。しかしそれはどうでも良い。私を悩ますものは、この急性の病気である。それは治るかも知れぬが、しかしまだ数週間は外へ出られないだろう。それは人を溺死(できし)せしめるに足りるほどのものである。
 ああ! 神は残酷である! 私には倦怠(けんたい)があった。家庭の煩わしさがあった。しかしそれは私の本質に関係のないことであった。それから私には大きな希望があった。……それから私は声が出なくなった。──それが最初の打撃であった。ついにはそれに慣れてしまい、私はあきらめた。投げ出した。そうして一人で慰めている。
 ああ! あなたはもうあきらめがついたのだから、そうでしょう! 仕事をする力は取ってしまってもいいでしょう!
 絵も出来なければ、習作も出来なければ、何にも出来ないで一冬を失ってしまった。──全生命を仕事に打ち込んでいた私が。これは私と同じ境遇にあった人でなければ、理解することは出来ないだろう。
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by bashkirtseff | 2010-03-20 07:55 | 1881(22歳)

1881.12.01(Thu)

本文なし
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by bashkirtseff | 2010-03-20 07:48 | 1881(22歳)

1881.11.30(Wed)

 ジュリアンが昨日の夕方見舞いに来てくれた。彼が快活を装っているのを見ると、彼は私を非常に重体と思っているらしい。私はいらいらしている。何にも出来ないで、絵は行き詰まっている! 仕事だけではなく、何にも出来ない! この不安がお分かりですか? 他の人は皆仕事をして進んでいるのに、私だけがここにこうして怠けているのです!
 私は神が私に絵だけを残してくれたのだと思って、何よりの避難所としてそれに身を託していた。しかるに私は見捨てられて、泣くよりほかすることがなくなってしまった。
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by bashkirtseff | 2010-03-20 07:47 | 1881(22歳)