カテゴリ:1880(21歳)( 102 )

1880.10.09(Sat)

 今週は何にもしなかった。怠惰は私をばかにしてしまう。私は日記を繰り返してロシアの旅のところまで読んだ。そうして非常に面白かった。ロシアで私は Mademoiselle de Maupin を、半分まで読んだ。そうして私には面白くなかったから、今また読み直してみた。なぜと言うに、テオフィル・ゴーティエ(底本:「ゴオチエ」)は驚くべき才能の人と言われているから。そうして Mademoiselle de Maupin は、ことにその序文は、傑作と言われているから。さて、今日読み返してみたが、序文はもちろん非常に良いが、しかしその作品はどうだろう? ……それはあらゆる裸体にもかかわらず、面白くなく、その中のある部分のごときは退屈でたまらない。私は人々が、何という言葉のうまい言い回しだろう? うんぬんというのを聞く。ええ! もちろんそれは良いフランス語である。才能ある人の作品である。けれどもそれは同情ある才能ではない。……しかし、私もその内には何故にそれが傑作であるかが分かってくるだろう。私は今それが非常に良いものだと言いたくはない。むしろそれは嫌なものであって、私を悩ます。
 ジョルジュ・サンドも同様である。……私が少しも同情を感じない今1人の作家である。そうして、ジョルジュ・サンドはゴーティエに比べて、人を尊敬させる力強さと大胆さがはるかに少ない。ジョルジュ・サンドは……まあ、良いとしておこう。現代の作家の中では私はドーデ(底本:「ドオデエ」)が好きである。彼の作品は無論小説ではあるが、その中には正しい観察と真実の自然と忠実な感情とがいっぱいに満ちていて、その性格は皆生きている。
 ゾラに対しては私は親しみを感じない。彼は「フィガロ」でランク及びその他の共和党員を執拗に攻撃している。それは彼の偉大なる才能及びその高い文学的地位に似合わしくない悪趣味である。
 しかし私たちはジョルジュ・サンドの中には何を見るか? 美しく書かれた小説か? しかり、しかしそれ以上のものは? 実に彼女の小説は私を悩ます。バルザックと、2人のデュマと、ゾラと、ミュッセ(底本:「ミュッセエ」)とは決して悩まさないが。ヴィクトル・ユーゴーも彼のもっともロマンチックな狂的な Han d' Islande の文章においては、決して人を疲らせないで天才を感ぜしめるが、しかしジョルジュ・サンドはどうだろう! ヴァレンティーヌ(底本:「ヴァレンチイヌ」)やベネディクト(底本:「ベネヂクト」)や伯父や庭男や、そういったような人たちの挙動やら態度やらで満たされた300ページをどうして読み通すことが出来るだろう?
 いつも愛によって社会を平均するということ、それは卑しむべきことである。
 平等が建設されるというのは良いことであるが、しかしそれは性的の気まぐれから来てはならない。伯爵令嬢がその従僕を愛したからといって、それで議論をする。これがジョルジュ・サンドの才能である。確かに皆自然の美しい描写を持っている美しい小説ではある。けれども私はそれ以上のものを望む。……どうしたらそれが出来るかは私には分からないが。……人はそんなものを信じることは出来ない。私はいつでも自分が卓越した人に話しかけているように想像して、その人たちの前では繕った話し方をすることを恐れている。しかるに世間には平凡なまた劣等な人間ばかりがいて、つつましさをも知らねば弱いと言って自白する心持ちをも理解しない。
 さて私は今「ヴァレンティーヌ」を読んでいるが、それは私の神経をとがらせる。なぜと言うに、この本は興味があって一気に読んでしまったが、同時に私はそれから何物をも得なかった、おそらくは単に無益なる不愉快な印象のみを得た、と感じたから。この本を読んで私は下等にされたような気がする。私はそれに反抗しながらも読み続けた。なぜと言うに、それは同じ作者の Dernier Amour と同じように終わりまで読まないでおいた方がかえって退屈であるから。しかし「ヴァレンティーヌ」はジョルジュ・サンドのもので私の読んだ内の最上の作品である。Le Marquis de Villemer も良い作品である。私には伯爵令嬢を愛する従僕があろうとは思えない。
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by bashkirtseff | 2009-02-03 17:49 | 1880(21歳)

1880.10.05(Tue)

 もう何もかも打ち任せてしまって、と言うよりはむしろ、ある限りの勇気を出して、心の底の底を探ってみて、これは要するに無関心の問題ではあるまいかと自分に聞いてみると良い。ある方法で生きると、他の方法で生きると、それが何のかかわるところであろう? 私は自分の感情を征服して、エピクテトスと共に、悪を善として受け取るも、いかなることが生じても無関心でそれを受け取るも、全く心のままであると言いたい。人はこの種類の死に方でこの世を去るように満足するためにはひどく苦しまねばならぬ。そうしてかくのごとき生きている死に方をしていくことが可能であるのを理解するためには、それまでに十分に苦しんで絶望の極に達していなければならぬ。しかしもしそれに落ち着くことさえ出来るならば、少なくとも心の平安は得られる。……これは空虚な夢ではなくて、1つの可能である。しかしあなたは言うでしょう、それにしてもなぜ生きているのか? と。あなたはすでに人の世に生まれてきている以上は、こんな風に生きていくことが不必要になるのは言うまでもない。実際、それは実生活が無限の悪の原因であるということ、あなたがほかのものを受け取るということ、あるいはあなたが第1のものから逃れて第2のものの中に隠れるということ、これをすべて実感した後のことである。
 人はある程度の肉体的苦痛においては意識を失って恍惚の心境に入る。同じことがある程度に達した道徳的苦痛に対しても生じる。私たちは高く飛び上がると、苦しんでいたことがつまらなくなり、何もかもばかばかしく思われて、昔の殉教者のごとく首を真っすぐに持ち上げて歩くようになる。
 要するに、私の過ごすべき50年の歳月が牢屋の中で送られると、宮殿で送られると、社会で送られると、孤独で送られると、何のかかわることがあろうぞ! 結局は同じである。私の思い煩っていることは、してみると、初めと終わりの間に経験される感情で、これは過ぎ去ってしまうと痕跡も残らないものである。永続しないで、かつ痕跡も残らないようなものが、何の重大であろう! 私は仕事によって自分の生活を利用することが出来る。才能も私にはある。多分それは何かの痕跡を残すであろう……死後に。
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by bashkirtseff | 2009-02-03 17:43 | 1880(21歳)

1880.10.04(Mon)

 私はマンドリイヌの譜のことで、少し以前に、ナープルにいる私の音楽の先生に手紙を出した、その返事が着いた。その手紙は、平凡な手で書いたものではあるが、イタリア語の言い回しが非常にきれいだから私は保存している。白状すると、私は自然主義的傾向(あまり理解されてない表現だが)でかつ共和党の感情を持っているにもかかわらず、この美しい国語に対しては非常に敏感である。
 かつこの2つのものが調和しがたいのはなぜであろう!
 それはとにかく、その文体のことはイタリア人に任せねばなるまい。ほかの国人が使うと、それは滑稽になるから。私の神様! いつになったら私はイタリアに行けるのでしょう?
 イタリアを見た後ではその他の場所は何というつまらなさだろう! いかなる人も、いかなるものも、私にはその国の思い出ほど楽しいものはなかった。なぜ私はすぐにそこへ行かれないのだろう? しかし、絵のことを考えてみると、私は指導者なしに正しく歩けるほど進んでいるだろうか? 私には分からない。
 否、私はこの冬はパリに残っていて、謝肉祭のころイタリアへ行こう。そうして1881年─82年の冬を聖ペテルブルグで送ろうと思う。そうして1882年から1883年に掛けてはパリかまたはイタリアへ帰り、そこで誰か肩書きある人で1年に1万5千もしくば2万フランの収入があって私の収入を喜んで受け取るような人と結婚しようと思う。私は開城するまでにまだ3年の月日を待つぐらいに賢明でないだろうか?
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by bashkirtseff | 2009-02-02 18:40 | 1880(21歳)

1880.10.03(Sun)

 今日は悲しくて仕方ない。私はもうしようがなくなった。この4年間喉頭炎のために最も優れた医者たちの治療を受けたが、健康はますます悪くなる一方である。
 この4日間私の耳は良く聞こえていた。けれども今日はまた聞こえなくなった。
 私は今予言をしておこうと思う。
 私は死にかけている。しかしすぐにではない。死ぬことはすべてのものに結末をつけるから、非常に良い。しかしまだ数年間はせきをしたり、風邪を引いたり、熱が出たり、その他さまざまの病気を患って哀れな生活を引きずっていくことであろう。……
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by bashkirtseff | 2009-02-02 18:38 | 1880(21歳)

1880.10.02(Sat)

 私が今肖像を描いている一夫人はその報酬として手の習作のために座ってくれることになった。トニーは非常に優しかった。彼はユダヤの女たちの絵を直している時に、私の手が目について、──これは誰が描いたのですか? ──私です、ムッシュ。
 ──非常に正しく行ってる、非常に正しく、非常に正しく。そう言っていま一度私の習作を眺めた後で、非常に正しく行ってる、非常に正しく、と繰り返して、それからまたしばらくして、非常に正しく行ってる、と言った。彼は愉快そうな驚いた顔つきをしていた。私の喜びを想像して下さい!
 それから彼は私の席に腰掛けて、私に1つの教訓を与えた。──これは良い習作です。こんなのをもっと幾つもお描きなさい。調子が大変良く行ってる。私が圏点を打ったのは、私のアトリエ仲間の人たちが何に反対すべきかも知らないで、私は色彩家でないと言ったからである。
 ──残念なことに、この絵は全然正しくはない。けれどもこの次の習作には良くなるだろうと思う。これは少し長過ぎた。──これは2度とは起こらない欠点です。全体から行って、大変良くできました。実際私はそれを聞きながら赤くなったり、青くなったりした。あなたはアトリエでどんなに私が重く見られているかを知って下さい。私は1番進んでいます。私はカサニャックのようにほとんど熱情を持って話すので、それほど重く見られている。しかしこの勝利が私の心を有頂天にするだろうと心配しないで下さい。
で私は絵のことで幸福になって、気持ちも概して良くなってきた。
 手は6号の画布に描いた。左の手を平たくテーブルの上に乗せて、右手でペンを持っている。ちょうど彼女が描きかけて、よして、読み返しているようなところである。私の言い表し方はまずいが、あなたにはお分かりだと思います。
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by bashkirtseff | 2009-02-02 18:37 | 1880(21歳)

1880.10.01(Fri)

 私たちのところへ訪ねてきたロシアの人たちが、私にロシアの出来事を話してくれた。その人たちの長女は、試験の日に大公が見えるというのに、大公の訪問を受けるよりも試験を早く通過したいと言ったために、警察の厳重な監視の下におかれたという。別の日に彼女は近視眼だから鼻眼鏡を掛けていると、女が眼鏡を掛けるのは新思想の証拠だと言って警察に呼ばれたこともあった。一語のために追放されたり、毒殺されたり、流刑に処せられたりする。警官が夜家宅捜索をして、それほど危険でない場合にはヴャトカ(底本:「ヴィアトカ」)あるいはペルミ(シベリアに近きロシア東南地方/底本:「ペルム」)へ送り、危険の場合にはシベリアあるいは絞首台へ送るのである。ロシアではどの家族でも、流刑に処せられたりとか絞首されたとかあるいは少なくとも監視の下におかれたとかしない者が1人でもある家はないということである。探偵組織が完全に行き渡って、自分の家で話しても、親類同士で話しても、官憲の耳に達しないで済むことは決してない。
 気の毒な国である。ある時私は自分がそこへ行かないことをひきょうだと自ら責めたことがあった! しかし行くことは可能であろうか? 社会主義者は殺人や奪略を行う凶漢どもである。政府は専横でかつ愚妹である。この2つの恐るべき分子が互いに争って、賢明な人たちはその間に押しつぶされている。その娘は2時間ほど話した後で私に向かって、私の言った10分の1のためだけでも私は監獄に入れられるか首を絞められるかするだろうと言って、もし私がロシアへ行けばそれきりだと言った。
 それでも私はもしその美しい国の人民の権利が相当に重んぜられて、そこで有用な人間となることが可能になって、また「検閲がやかましすぎる」と言ったために流刑に処せられるようなことがなくなるならば、行ってみようと思う。
 こんなことを思うと心が躍動する。私は社会主義の害悪をも政府の害悪と等しくこれを憎むものであるが、公明正大な自由党を作ることは一体可能なことであるだろうか?
 ああ! もし私の絵のことさえなかったら、……
 おお! フランス人は自分たちが幸福でも自由でもないと言って不平を鳴らす! 今では恐怖時代のフランスにあったと同じことがロシアにも行われている。手1つ動かしても、言葉1つ発しても、人は命を失わねばならぬ。ああ! 人は相当に幸福になりうる前に、まだまだしなければならぬことがいくらもある!
 「われわれは今女を解放しようとしているが、」少デュマは言う、「それが終わればわれわれはさらに進んで神を解放するように試みねばならぬ。そのときはこの3者、すなわち神、男、及び女の間には完全な理解ができて、われわれは一層明瞭に見ることが出来、一層確実に進むことが出来るであろう。」
 婦人問題はもっとも忌むべき問題の1つである。人はこの問題以外のすべてのものは進んだと思う時は、気抜けのしたような心持ちになる。デュマの小冊子 Les Femmes qui Votent et les Femmes qui Tuent〔投票する夫人と棄権する夫人〕を読んでみなさい。デュマの偉大なる才能もこの小冊子においてはもはや私を感動させない。もっとも、男ははるかにまだ高い地位を持っていて、女に対して強力であるけれども。しかし大体から見るとその中には相当によい点もある。
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by bashkirtseff | 2009-01-31 18:08 | 1880(21歳)

1880.09.29(Wed)

 昨日から私は非常に新鮮な、透明な、美しい、自分ながら驚くような顔をしている。そうして目も輝いて生気に満ちている。顔の輪郭までが一層きゃしゃに完全になったように見える。ただ誰も見る人のない時にそうあるのが残念である。こう言うとばかばかしく聞こえるかも知れないが、半時間も私は鏡の前で自分の姿に見とれていた。こんなことがあってからずいぶん久しいことである。……
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:57 | 1880(21歳)

1880.09.28(Tue)

 昨夜から楽しい日が始まった。私はの夢を見た。彼は病気で醜く見えた。けれどもそれは少しも気にならなかった。──私はその時初めて、人が愛するのは美のためではないことを知った。──私たちは以前のように友達のごとく話し合っていた! 私はただ1つのことを望んだ。それは私たちの友情が続かれる限りいつまでも変わらないでありたいということである。
 それはさめている時でも私の夢であった。要するに、私は昨夜ほど幸福に感じたことはなかった。
 サンタマンドが昼食に来た。お世辞の雪崩。私はああでありこうであると言って。この冬は私の周りに、élite〔卓越した人たち〕の一団を作ろうと言っていた。彼は有名な人たちとか相当の人たちとかを連れてくるつもりである。私はそんなものをば望まない。私はただ笑ってばかりいた。
 少デュマは、若い娘たちは恋をしないでただ選択をするのみだと言っている。なぜと言うに、彼らは恋はどんなものであるかを知らないから、と言っている。してみると、一体恋をばどこへ置くつもりでしょう、ムッシュ・デュマ?
 人は大概何らかの思想を持つ程度には物事を知っている。……ムッシュ・デュマが恋と呼ぶところのものは単に恋の結果でありかつ自然的完成に過ぎないものであって、決してそれだけで独立した完全なものではない。少なくとも相当に礼節ある人にとっては。「しばしば避け難き結果である。そうしてそれなしではいかなる恋も可能でない。」と同じデュマは言っている。彼はまたそれを「愛の最後の表現」と呼んでいる。それを私は承認する。けれども若い娘に恋がないというのは無意義である。私は自分ではそれについて何にも知っていない。けれども恋には、嫌いなものに対しては、その中に人を近寄せないあるものを持っており、愛する時にはその中に「愛の最後の表現」を持っているように私には感じられる。
 それからまた時々心の中に生々しい空想がわくことがある。あなたには私の意味するものがお分かりでしょうが、……それは男が近寄せないような態度でない時である。しかしそれは恋とは関係のないものである。何よりも私を恐れさせるものは、私が何とも感じない人の唇の上に接吻することである。私にはとてもそんなことはできないだろうと思われる。
 しかし愛する時には、ああ! それは……全く別問題である。例えば、昨夜私は夢の中で愛した。時としてはさめている時にも私にはそんなことがあった。さて、それは実に純潔で、実に温情に富んで、実に美しい。恋は壮大で純粋な感情で、その中にあるすべてのものが清浄である。
 ムッシュ・デュマのは客観的なものではなく、ただ感じられたことの結果に過ぎない。そうして人がすでに愛しているものをますます愛するための一手段に過ぎない。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:56 | 1880(21歳)

1880.09.17(Fri)

 昨日私はまた耳を診てもらいに医者のところへ行った。彼はこれだけ重大になろうとは予期していなかったことと、以前からこのくらいしか私は聞こえなかったのではあるまいかということを言った。それを聞いて私は全くがっかりした。実に恐ろしいことだ。私はもちろんつんぼではないけれども、かすみを隔てて物を見るようにしか聞こえないことは事実である。例えば、私には目覚まし時計の刻む音が聞こえない。恐らくすぐそばまで行かなければ2度とそれを聞くことはできないだろう。これは実に不幸である。時としては、対話の間にも聞き落とすことさえたくさんある。……しかし、まだめくらやおしにならないで済んだことを私は天に感謝したいと思う。
 私はものを書く時に全くかがんでいる。そうして座っていようとすると、恐ろしく体が痛む。こうなるのは泣いた結果である。皇太子の死んだ時に私はこれと全く同じ痛みを感じた。私は今朝から泣き続けている。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:53 | 1880(21歳)

1880.09.10(Fri)

 叔母の非常な感動。ドクトル・フォオヴルは1週間前に私の肺を調べて異常を発見しなかったが、今日再び調べてみて気管支が侵されていることを発見した。彼は病気の重大になることを先見しなかったので、まじめくさった、感情的な、多少当惑した顔をした。それから肺病患者に用いる処方となって、肝油やら、ヨードを塗るやら、熱い牛乳を飲むやら、フランネルを着るやら、……。そうして最後に彼はドクトル・セエあるいはドクトル・ポオテエンのところへ行くなり、彼らを呼ぶなりしてみてはと忠告した。あなたは叔母の顔がどんなであったかを想像することが出来るでしょう。私はただおかしくてならなかった。私は長い間そういった種類のあることを懸念していた。冬になると決まってせきが出た。今でもまだせきが出てのどが詰まっている。
 その上、もし私に何事も生じなかったら不思議であろう。私は何か重大なことが起こって、それで片が付いたならば満足するであろう。
 叔母は驚いており、私は喜んでいる。死は私を驚かさない。私はそれで片が付くことを欲している。……どうぞあなたは知っておいて下さい。……だから私はフランネルも着なければヨードも塗らないつもりである。私は良くなりたいとは思っていない。その心がなかったなら、私は自分でしたいと思うことをするだけの健康と生命をば持つであろう。
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by bashkirtseff | 2009-01-30 18:51 | 1880(21歳)