カテゴリ:1880(21歳)( 102 )

1880.10.25(Mon)

 私は今 Les Châtiments〔罰〕を読んでいる。実際、ユーゴーは天才である。私は彼の叙情的驚喜を退屈でないまでも、浪費的なものだと言って差し支えないだろうか? 否、そうは言われない。彼は美であり、崇高であり、かつ大変な形容や発汗や驚愕などにもかかわらず、人道的であり、自然であり、また誘惑的でもある。しかし何よりも私は彼の驚くべき率直を好む。例えば「エルナニ」の最後の幕で、ドナ・ソルが老人に訴える場面のごとき、また孫の頭に2発の弾丸を撃ち込まれた老婆の言葉のごとき。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:02 | 1880(21歳)

1880.10.24(Sun)

 ルーヴルへ行った。日曜の朝は誰も知った人には会わないだろうということを知っているので、私はいつも1人で行く。1人でないと十分に分からない。私は前世紀の絵で魅せられている。その美は模倣を許さないほどに精緻なものである。何という気持ちの良い時代だろう。あなたは私が労働的な勤勉な英雄的な人間に生まれたと思いますか? 私はヴァトー(底本:「ワットオ」)やグルーズの紗をまとって、リゴーの錦繍を着て、もっともぜいたくな懶惰な生活がしたい。それはイギリスの化粧部屋の楽しみをあらゆる古代からの蠱惑(こわく)に混ぜたような微妙な精緻な世紀である。そうしてそのとき以前までは人は少しも望むことを知らなかった。知っても極めてわずかであった。それを思うと私は古い時代のことを探し求める気がなくなってしまう。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:00 | 1880(21歳)

1880.10.22(Fri)

 雨が降って、寒い。肌をかまれるように寒い。そうして薄暗い。その上、私の気分も天気のようで、せきが止めどなく出る。ああ! 何という惨めな、何という恐ろしい私の生活であろう! 3時半にはもう絵の描けるほどの光がなくなった。そうして火をともして読書すると、目が疲れて次の朝絵が描けなくなる。私の会いたいと思う少数の人たちも、その話が聞こえないかと恐れて、私は会わないことにしている。私の耳は良く聞こえるようになったり、全く聞こえなくなったりすることであろう。そうして聞こえなくなると、私は言いようのないほどの苦痛を感じる。しかしその内には神が私の生活に結末をつけてくれるであろう。その上私はもし誰にも会えなくなったらば、あらゆる種類の惨めさを感じるに相違ない。呼び鈴が鳴るたびに私は震え上がる。この新しい恐ろしい不幸が私をして今まで望んでいたすべてのものを恐れさせた。しかし、私は人に対してはいつも快活に楽しそうにしている。私はテアトル・フランセーズのマドモアゼル・サマリのごとくに笑う。それは仮面と言うよりはむしろ習慣である。私は今後も笑うであろう。すべては終わった。私が終わったと思うだけではなく、実際に終わるようにと私は望んでいる。私はこの喪心を表現すべき言葉を知らない。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 14:58 | 1880(21歳)

1880.10.21(Thu)

 モン・ドールで描いた絵をジュリアンに見せた。もちろん彼は、近ごろの美術家たちは良いと思うかも知れないと言ったり、バスティアン・ルパージュとブウヴァンの混合だと言ったり、もう少し手を入れたら良い絵になるだろうと言ったり、どこか面白いところがあると言ったり、しかし良くできてはいるが「首締め人のような」描き方だと言ったりして私をいじめた。若い女が子どもに乳を飲ませている絵については、彼はただ、母親は胸をすっかり裸にして乳を飲ませるものではないと言ったきりである。私はその絵を色の冷めたような調子で作り上げた。女は黄色いふらし天の低いいすに腰掛けて、両足を投げ出して、足先は裸出して、片足を床机の上に置いている。顔は横向きで、胸は4分の3である。子どもは乳を吸いながら、その小さい片手で胸を押している。背景は寝台幕で出来て、その先には青磁の花瓶に入れられたシュロの木が陰になって見えている。それは非常に色の冷めた調子であるが、しかし1つの肩だけは少なくとも覆わねばなるまい。
 頭蓋骨に向いているモデルの絵については、彼は心から感心した。彼は「こう来なくちゃいかん」と言った。「乱暴で、嫌な絵だ」と言った。それで私は付け加えた。──「本当に嫌な絵です。だからこう来なくてはならぬと言うのでしょう。これが自然です。」──
 「しかしそれに署名しちゃいけません。攻撃を受けますよ。だが、ちえ、実に自然ではある。私はあなたが今すぐにも偉い画家になるだろうというのじゃありませんが、あなたはこの絵できっと有名になります、この変な創意で。これは人を泣かせる絵です。ことにこれが婦人の手で、若い娘の手で描かれたことが知れると。私が描いても同じことです。私が描くと、人は皆顔を覆います。」
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by bashkirtseff | 2009-02-06 14:57 | 1880(21歳)

1880.10.19(Tue)

 悲しいかな! こんな惨めな生活が静かに進んで数年の内には死んでしまうのである。
 私はいつでもそんな風になるだろうと思っている。私のような頭では誰も長く生きることは出来ない。私は早熟の子どものようである。
 私はあまりに多くのものを欲して幸福となることが出来ない。また境遇は肉体上の不自由なきことを除いてはすべてのものを私から奪い去ってしまった。
 2、3年前までは、いや、6カ月前までは、私が声を取り戻したいと思って新しい医者のところへ行くたびに、彼は私にこれこれの兆候は感じませんかと決まって聞くので、私が「否」と答えると、彼は大概「気管支にも肺にも別状はありません、ただ喉頭だけです」と言った。ところが、今では、医者の想像していた兆候が皆感じられてきた。だから気管支も肺臓も侵されているに相違ない。おお! しかし、これは何物でもない。ほとんど何物でもない。フォオヴルはヨードと発砲膏を命じた。私は恐ろしくなって泣いた。私は芥子泥を我慢するくらいなら、この腕が折れた方がよい。3年前ドイツにいた時、1人の温泉医は私の右の肺の肩甲骨に接近したところに故障を発見した。私はそれを非常に冷笑した。それから5年前、ニースでも私は時々その辺に一種の痛みを感じていた。しかしそのときは私は隆肉が出来るのだとのみ思っていた。なぜと言うに、私には隆肉のある伯母、父の姉妹が2人までもあったから。それから、その数カ月前にも私はその辺に何か感じはしないかと聞かれて、考えもしないで「否」と答えたことがあった。しかし今ではせきをすると、いや、長い息をしても、背中の右側に痛みを感じる。こんなことが一緒になって、何事か実際に生じつつあるように私は思わせるようになってきた。私は自分が病気だというのに一種の誇りを覚える。けれども決してそれが好ましいわけではない。それは恐ろしい死である。非常に緩慢な死である。4年か、5年か、あるいは10年か。そうして次第にやせ細って、美しさを失っていくのである。
 私はまだ思ったほどやせてはいない。けれども疲れた顔つきをして、非常にせきが出る。息もまた苦しい。まあ、考えてみて下さい! この4年間私はもっとも有名な医者たちの注意の下にあって、方々の温泉へ出掛けたけれども、私の美しい声を、思い出すと泣きたくなるほど美しい声を取り返すことが出来なかったばかりでなく、日に日に悪くなって行くのみで、恐ろしいことだが、少しつんぼにさえなってきた。
 もし死がすぐに来るならば私には文句はないのである。
 あなたはこれまで信じていたことがもはや信じられなくなり、そうして自分で「以前は信じていたのにと思うと!」なんか言おうとしていると、そのとき、また最初のような考え方になり、またもやそれを信じたくなったり、あるいは少なくとも新しい考え方に対してまじめな疑惑を抱くようになったりすることを、言葉や筆で述べてみようというような気持ちになったことがありはしませんでしたか? これが私の今度の画面の略図を作ろうという気持ちです。……画家を待ちながら、モデルの小さいきれいな女は、いすに馬乗りに腰掛けてタバコをふかしながら、パイプを歯の間に加えさせたがい骨を眺めていた。着物は左手の床の上に散らかっていた。右手には靴やら、葉巻の箱やら、スミレの束やらが。その女は片足をばいすの寄っ掛かりの横木を越して投げ出し、両ひじをついて、片手をあごの下に支えていた。靴下は1つは床の上に、1つはまだ足元にぶら下がっていた。それは色については実によい姿勢であった。私はだんだんと良い彩色家になっていく。ああ! それは冗談です。しかし、冗談は別として、私は色を感じてきた。2カ月以前の、モン・ドール前の私の絵と今の私の絵とは比較にならぬ。
 あなたは、私が病気になって、何にも出来なくなった時でも、まだ私をして生にかじり付かせるものには事を欠かないのをご覧になるでしょう。
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by bashkirtseff | 2009-02-05 12:15 | 1880(21歳)

1880.10.16(Sat)

 あらゆる種類の褒め言葉の中で、トニーは言った。「全体からいって私は非常に満足しました。あなたはだんだん良くなっていきます。」教訓は続く。私は日曜日ごとに喜ばしくなる。心配したり! 喜んだりして! ……
 これは私が真剣に熱望しているからであるが、私の美しいモデル、その名前はマダム・G…はあまり裸体にならないという条件で座ってくれることを喜んで承知した。私は彼女の身分のことはよく知らない。けれども生活のために働く必要のないことは確かである。何となれば、彼女が私のために座りに来るのは私が彼女の肖像を描きたいのと同じであるから。しかしそれはどうでも良い。彼女は実際きれいである。
 彼女はその手と腕を彼女の子どもの首と交換しようと約束した。ただし描き上げるまで座るということにして。それは多分6週間の仕事であろう。彼女は新鮮で、若くて、輝いて、たとえようのないほどの母らしさをその顔に持っている。私はよい贈り物を彼女にしようと思う。
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by bashkirtseff | 2009-02-05 12:07 | 1880(21歳)

188010.15(Fri)

 私はこの夏以前に描いたジュリアンの弟子の1人の肖像画をまた手に取った。それは髪の毛の黄色い方ではなく、今1人の美しい人のである。褐色の髪が赤く反射して、新鮮で、生きているようである。かれんな顔つきが、吹き出物が出たようになって来た。それから美しい褐色の目と、清浄な唇と。しかし正面から見ると何となく平凡に見えるので、私は横顔を描いた。その首と両腕は色においても形においても立派に見える。彼女は25歳の寡婦で、5歳半の1人の男の子を持っている。その婦人がもしモデルならば私は1年間雇いきりにしようと思う。
 彼女はまた美しい手と美しい皮膚をしている。彼女の顔の異常な輝きを描き出すことは不可能である。私は彼女を見るとすぐにサロンに出すべき絵の概念を得た。彼女は天使のように座るから、私はその肖像画を彼女に与えて、相当の金を得させた。私は彼女にグルーズ風に、卵黄色のダマスコ織の胸衣を着せて、インドのモスリンの肩掛けを掛けさせた。
 私は彼女にサロンのために座ってくれるようにとは頼まないであろう。それには1カ月もかかるから。仮に私が彼女に支払う方法を考え得るとしても、それは不可能なことである。……私はすでに冗談半分に彼女に座ってくれるようにと頼んだが、しかし本気には……。ああ! 何という立派なモデルだろう! 彼女を描いたらきっと見事なものが出来るに相違ない。
 3年前に私は白を流行させたと同じ方法で、私の十文字のきれと飾り帯をとがらすこととがまねられてきた。それは非常にうるさいことである。
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by bashkirtseff | 2009-02-05 12:06 | 1880(21歳)

1880.10.12(Tue)

 昨日ポルトヴァから次の電報を受け取った。──「貴族の人たちは皆私たちを通じてあなたのお父様の満場一致の当選に際してあなたに敬意を表します。私たちはあなたの健康を飲みます。──アバザ。マンデルシュテルン。」
 アバザはロシアで私の知り合いになった1人で、ポルトヴァの権威者である。以前は聖ペテルブルグ及びオデッサにおいてもそうであったが。
 マンデルシュテルンはその国での Maréchal de la Noblesse〔貴族の元老〕である。私の父がポルトヴァ州のそれであるごとくに。
 ここに私の電報の返事を書いておく。私は丁重でなければならぬ。なぜと言うに、家族のことは人のことではないから。……私はどんなふうにそれを言い表そうか。それは官僚的に、否、尊大に聞こえるであろう。
 「いんぎんなる厚意を賜り私はポルトヴァの貴族の尊敬すべき代表者たちに感謝して、彼らに1千の幸運を希望します。──マリ・バシュキルツェフ。」
 これは威厳があり、品位があり、大人物の電報のようである。しかし形容詞がたくさんで、電報の文体をなしていない。かわいそうな子どもさん、私はあなたを哀れみます。
 私は非常に周到に「ポールとヴィルジニー」を読み返してみた。私はあの善良な人たちの徳の描写において多数強調された文体の naivetés〔単純〕を喜んで許す。しかし私は今かなり泣いたところである。
 あなたは、ポールが近所から帰ってきて遠くから黒んぼの女のマリに呼びかけて「ヴィルジニーはどこへ行った」というところを覚えておいででしょう。マリはポールの方へ首を振り向けて泣きだすと、私もまた泣きだす。
 全くあのかわいそうな若い人が帰ってきて彼女を見いださなかったことは残酷である。そのとき彼は岩へ駆け登って船を見る。船は黒い一点となっている。……ここまで来るとあなたは彼の変わりに気違いになったように感じるでしょう。
 私は泣き、また泣く! そうしてポールがその前を駆けている犬に向かって、「おまえももうあの人には会えないだろう」というところになると、私が我慢が仕切れなくなる。そうしてヴィルジニーの手紙の中から、ポールへ送ってきたスミレの種が出てくる。ああ、恐ろしい瞬間は、彼女が去って、彼が岩の上から水平線上の黒い一点を眺めている時である。
 ベルナルダン・ド・サン・ピエールは自分でも書いたことを理解しなかった。それは率直な点において崇高な、感情において比類なき一節である。
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by bashkirtseff | 2009-02-04 19:03 | 1880(21歳)

1880.10.11(Mon)

 私は昨日の興奮の影響の下に描き始めた。昨日のような啓示を感じて才能を得ないはずはない。
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by bashkirtseff | 2009-02-04 18:59 | 1880(21歳)

1880.10.10(Sun)

 数人の来客とサン・タマンド。私たちは少し音楽をした。サン・タマンドは「ポールとヴィルジニー」で泣いた。私はその抑えられぬ感情を理解することが出来る。私もその本を読んで泣いたことがある。オペラの音楽でも同じところに行くと私も泣きだす。もっとも人気ある小説などではこの深い悲しみが起こらない。
 ああ! 実際私は自分の体の中に痛みのようなものを感じて、泣きだしたのである。
 もし人がこの記事を読んだら、私は冗談を言ってるのか、でなければ気違いになったのではないかと思うであろう。私は外観はそれほど哲学的でありかつ批評的であるから。
 朝の間をばルーヴルで過ごした。そうして見たもので目を驚かした。今でも私は美術というものを明瞭に理解していなかったような気がする。今までは見ないで、ただ眺めていたのであった。考えてみると、啓示のようでもある。私は世間の大多数の人間たちのごとくただ眺めて感心していた。ああ! 誰でも今の私のごとく美術を見てかつ理解したならば、普通の心境ではないのである。ある事物が美しいことを感じ、何故にそれが美しいかを理解するならば、それは真の幸福である。
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by bashkirtseff | 2009-02-04 18:59 | 1880(21歳)