カテゴリ:1880(21歳)( 102 )

1880.12.01(Wed)

 アトリエを出て私はマダム・ド・Dを訪ねて、一緒にリュ・セール12番のマドモアゼル・ユベルティーヌ・オークレール(底本:「ユウベルチイヌ・オオクレルク」)のところへ行った。今日は水曜日である。私たちは呼び鈴を3度鳴らしたけれども効果がなかった。それでまた下へ降りて門番に話していると、そのとき1人の若い婦人がその下宿屋に来た。私たちは何ということなしに立ち止まった。私はすぐにその人であることを知った。
 門番は私たちを呼び返した。するとマドモアゼル・オークレールから私たちへ上へ上がるようにと案内があった。"Droits des Femmes──siège social."〔婦人公法──事務所〕こんな文字が戸口に書かれてあるのが、その若い婦人のまだ見えないうちから、私に熱心な発作を与えて、私はマダム・ド・Dの首にしがみつくような風をした。
 事務所は非常に簡単で貧弱で無装飾である。彼女は火をおこして、暖炉の前に腰掛けると、マダム・ド・Dがその右手に、私が左手に掛けた。私の同伴者が話を始めた。それで私は、私たちの権利を勇敢に保護してくれた婦人の前に出て非常な感動を抑えることが出来ないと述べた。マダム・ド・Dはフランス人であるが、イギリス人、ノルスコットの未亡人である。私は外国生まれであるが、フランスで人となって、Pauline Orelle と呼んでいる。私の秘密の目的はユベルティーヌの肖像をサロンのために描くことである。私は自分の手に対しては Daria という仮名を用いている。甚だかれんで、かつ甚だ簡単な名前である。これはロシアの洗礼名である。実際彼女は絵に描くに良さそうである。──暗色の、むしろ汚れた顔をして、やや赤い小さい手と、小さい足をして、挙動も言葉も非常にきれいである、同情があって、愛想が良くて、声の抑揚もそれほど著しくない。彼女は私たちにプログラムとパンフレットとを1つ与えた。私たちは握手をして、彼らに加盟して、また訪問することと毎月25フランの会費を払うことと集会に出席することを約束した。
 ──それでは! 来週の水曜日の8時に。
 私は友情を持って彼女に、革新反対派の主要点、講演に出席する婦人たちの醜と老と奇怪とは、彼女の敵でないと言った。「だって、あなたは若くてきれいですもの。」
 私は満足した。まだ満足はしない。なぜと言うに、それは悪くならないとも限らないから。何事でも悪くならないと限っているだろうか? 私たちは見ていましょう。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:44 | 1880(21歳)

1880.11.27(Sat)

 コンクールは済んだ。私はここに前もって自分の意見を述べておくことが出来ればよいと思う。けれども実際に出来ないのである。私は自分の描いた絵が気に入らない。私の目には砂が入って、1番大切なところを描くには日中も暗かった、私は今日になってやっと全力が出せるようになったので、首をすっかり塗り直した。それでずっと良くなった。……けれども気に入らない。それでも私はそれが最善であることを承認しなければならぬ。
 私は自分の絵が自分に出来うる限りのものだということをば保障しない。なぜと言うに、私はいつも自分を公平に判断してはいるけれども、人は時々驚くことがあるから。私は賞牌を得た時には自分が1つの驚異を作り出したと思った。……しかしそんなものを信用してはならない。……要するに、私はそれを得たく思う。──それは私の気分を高めるであろうから。そうして、それは私がトニーからもブグロー(底本:「ブウゲロオ」)からもルフェーヴルからもブーランジェからも推讃された1つの首を描いたということになるのである。あなたも知っていられる通り、賞牌はそれだけの価値のある場合にのみ与えられるのである。もしそれだけの価値のあるものがない場合には、絵には順位がつけられるだけである。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:41 | 1880(21歳)

1880.11.19(Fri)

 私の黒んぼの女をアトリエに呼んだ。そこで彼女は1時間歌った。
 ガスがついている。15人の女は、ジュリアンを先頭として、アトリエの端に座を占めると、マダム・ボンスと彼女のギターは喝采の一斉射撃の間にモデル台の上に上がった。──あなたは私が陽気になったと思うでしょう! ああ! とんでもない! ジュリアンは私の絵を極度まで悪口を言った。描き方がまずく、感じが冷たく、調子が本当でなく、効果が間違っている。そういわれて、私がもし満足していなかったら……。しかし私は自分でもそれが良くないことが分かっていると思っていくらか自ら慰めた。それで少しもいとわしく感じなかった。ああ! もし私が自分では良いと思いながら、そう言われたとしたら……。しかしもうたくさん! 私は、絵はいかなるものであるか、裸体の等身大を描くのは何を意味するかを今では知っている。
 ああ! 私は自分で有名になるために絵を選んだのであった。ちょっと、お待ちなさい、おばあさん!
 私は今にも泣きだしそうな心持ちになっている。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:39 | 1880(21歳)

1880.11.16(Tue)

 私はこの間教会に関して誇張した言い方をしたように思う。後で私はそのことを後悔して、寝床から起き出て amende honorable〔昔フランスで犯罪者が首に縄を付けて素足で法廷へ行って被害者に謝罪したこと〕をしようかと思っていた。なぜと言うに、教会は神を知らしめる1つの手段であるから。教会は人間の道徳を非常に改善した。教会は野蛮人の中へ神と文明の名前をもたらした。私は神を怒らせることなしに、文明はカトリック教の助けなしにはこれほどまでに進まなかったであろうと言い得る。しかし、大体から見て、教会は封建制度と同様に必要なものであった。そうして同様に全盛の時代があった。カトリック教には絶対に忌まわしいというのではないけれども、許すべからざることがいくらもある。すなわち神聖なことと子どもらしい伝説との混同である。今日では開化した人が多くなって、これらの神聖な偽りはもはや尊敬されなくなった。けれども今は過渡期である。そうして不幸にして大多数の人はまだ十分の教育を受けていないから空虚な迷信から神の軽蔑もしくば否定へ移り行くことを避け得ない。
 世間には誠実な宗教心の強い人がある。けれども誠実な勤王家はないだろうか? ……なぜと言うに、……世間には国家の繁栄には王政が必要だと考えている人があるから。しかし待って下さい。私はこの前王政を弁護するためには、従僕の心を持たねばならぬと言ったことがあるが、そのときはこういったようなことを考えていたのではなかった。

 私たちは王政が(もちろん立憲的のものではあるが)人間の幸福を作り出すものだと仮定しましょう。そうすればもっとも高慢でもっとも高貴な人たちは誠実にそれに愛着して、数世紀間その国を代表していた家族に対してもある誠実な愛着心を持ちうるであろう。しかしこれとある特殊の1人種に対する奴僕的愛着心との間には非常な差別がある!
 けれども上にも言ったごとく、私は王政に対してはほとんど承認することが出来ない。上述の条件において人は誠実にそれに愛着しうることをば認めねばならぬけれども。また内心からそれを信じてはいるけれども。
 これはしかしフランスにおいては到底可能なことでない。またフランスで共和制よりも好ましい王政を持つということは可能ではない。何人か王者として恥ずかしからぬ候補者が1人でもあるだろうか。ムッシュ・ド・シャンボールは? 必然にその後を襲うべきオレルアン家の人たちは? ──しかし要するに、幾世紀の間隠忍してきたオレルアン家は「国家を代表する家族」となるかも知れない。そうして宮廷の強いる卑劣は人が国家に対してなすところの個人的誇りの犠牲であるかも知れない。必ずそうである。しかしすでに1個の共和制が存在して、立憲的王政のあらゆる長所を持ち、その短所をば少しも持たず、諸種の政体中の最も優れたものである限りは、これは何の必要があるだろうか?
 大臣もしくば天才的政治家が、その人自身はいかなることをなし得るとしても、常に愚昧な無能な王者の奴僕として甘んじている場合、その黙り人形の王者の主権的名誉は実際嫌悪すべきものである。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:37 | 1880(21歳)

1880.11.14(Sun)

 私はカブシンの僧院が気に入るかどうかを見にヴェルサイユへ行った。そこでカブシンたちは最上の抵抗を示してから。
 僧院の中庭には礼拝のいすが幾つも置かれてあって、雨にもかかわらず信心な人たちは礼拝堂の閉ざされた戸の前にひざまずきに来た。興奮した女たちは財産もなければ法律もないと言って声を立てて泣いた。ああ、何という間違ったこれは取り扱い方だろう! そうしてどれほど修道士たちはそれによって利益を得ていることであろう!
 ガンベッタは強い人であることを示さないであろうか? ……なぜと言うに、誰かが進み出なければならぬから。それならボナパルト党の組織はどうだろう? また原理とか共和制とかいうものはどうなのだろう? おお! 心配しないで下さい。私は変化しないでしょうから。実際、この問題は、男女平等の問題と共に、私の誠実に興味を持つ唯一の事柄である。世間には私の常識を脅かすものがあるが、しかしそれはまれである。けれども私は自分というものが完全に分かってからは、世界中の何物にも変化されなくなって、家の頂上から私の信念を宣言しないでいられないほどに、それを自分の力で発見して誠実に信じていることを誇っている。
 なぜと言うに、多くのものを、否、ほとんどすべてのものを、私は非常に表面的にしか注意しない。それはただ談話のために、あるいはそれを知らないでいたくないためだけである。だから男というものが必要である。否、むしろ男たちが。ここで私たちを指導している人たちは滑稽でかつ愚かである。それは共和制に屈しているのである。と言って、雨の中の礼拝のいすが私にあまりに大なる印象を与えたとは思わないで下さい。仮にそれが誠実であるとしても、私に打ち勝つことは出来ないであろう。
 教会は神を低め、宗教を醜くした。と言うよりはむしろ、神に対する崇拝の代わりにいとうべき手品で満たされた複雑な宗教を作り上げた。カブシンの長老は耳門から私たちを甚だ無愛想に迎え入れて、私たちはどんなことが聞きたくとも、ただ信者のことだけしか聞いてはいけないと言った。私は中庭を簡単に写生した。しかしそれはリュ・ド・ラ・サンテほども私は喜ばせなかった。私はそれに少し手を入れようと思っている。けれども、……それはそれだけのものに過ぎない。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:32 | 1880(21歳)

1880.11.11(Thu)

 トニーが来たから私は自分の失望を話すと、彼はこれは私がめくらでない証拠であるから勉強を続けねばいけないと言ってくれた。
 とにかくそれは私が今までよりも良く分かるようになったことを証明するもので、私は今明瞭に見えるようになった。しかし何という悲しさであろう! どれだけの励ましが私には必要であろう! 私はアトリエで着るために修道士のようなずきんの着いた褐色の外とうを自分でこしらえた。それは窓際にいる時に、そこから風が吹き込むからである。それで私はいつも私に不幸をもたらしたところの修道士のずきんをまた持つことになった。私はこの縁起の悪いずきんをかぶって泣いた。私たちの善良なジラアルは、ずきんの出来がおかしくはないかと見に来ていたが、私の泣くのを見て驚いていた。私は修道士たちの追放の絵を描きたいと思って、リュ・ド・ラ・サンテのカブシン(フランシスコ派の犯罪者)のところへ行った。そこに残っていた3人の長老たちは私にそのときの災難を話して、その光景を示してくれた。私はニースの2人の長老へあてて紹介したけれども、彼らは私の紹介を利用しないだろうと私は信じている。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:08 | 1880(21歳)

1880.11.10(Wed)

 3年間絶え間なく勉強してその結果何事も分かっていないというのは恐ろしいことである!
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:07 | 1880(21歳)

1880.11.02(Tue)

 約1週間私は毎日朝食を家からアトリエに運ばせた。これは兵隊たちのようにわらまたはとうで出来たものに入れられてくる。こうした方がリュ・ヴィヴィエンヌからシャンゼリゼまで駆け付けて光線の1番良くなる時間を失うよりははるかに気が利いている。それで私は8時から12時まで、また1時から4時まで仕事が出来る。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:06 | 1880(21歳)

1880.11.01(Mon)

 私たちのアトリエは男のアトリエのようになってきた。すなわち、私たちも毎日同じ裸体のモデルを同じ姿勢にして描くようになった。だから大きなものを描くことが出来るわけである。これを私はこの2、3カ月間望んでいた。それ以前にはそうなっても役に立たなかったであろう。とにかく今私はそんな仕事が出来るようになったのである。私たちの人数はたった8人である。ほかの22人はリュ・ヴィヴィエンヌ51番に出来たジュリアンの新しいアトリエに移った。それは私たちのアトリエの以前の組織で出来ている。
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:05 | 1880(21歳)

1880.10.29(Fri)

 私は自分を導いた思想と非常に良く一致する個所を福音書で読んで、奇跡に対する私の昔の熱心と信仰と、イエス・キリストと、昔の感動的な祈りへ帰った。ある期間には、私は1人の神で満足していた。そうして私の信仰は非常に純粋で、非常に厳粛で、かつ非常に単純であった。しかし今私の戻りつつある宗教はさらに親しみがあって、さらに慰安的で、心配とか惨めさとか私の性質の卑しさとかとさらに良く調和するものであった。
 神人と処女マリアは本当の神よりも良く人の言うことを聞いてくれるように思われる。……
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by bashkirtseff | 2009-02-06 15:03 | 1880(21歳)