カテゴリ:1880(21歳)( 102 )

1880.12.30(Thu)

 私はトニーのところへ行って、いくらか慰められて帰ってきた。彼は例の絵 l'Atelier をぜひ私に描くようにと言った。私はそれを等身大に描ける。それは非常に面白くできるだろうと彼は言った。同時によい研究にもなれば、絵も出来る。私は厚意で受け取られてはならない。功績で受け取られねばならぬ。もしそれが悪くなるようだったら、彼は私にそう言ってくれるであろう。けれども彼は私が相当に成功すると思っているから、私にそれを勧めるのである。それから私たちは私自身の話に移った。私たちは2人とも私の絵に対する天分の現れることが遅いということに意見が一致した。けれども彼は、天分はしばしばそんな風になって後で現れることがあると言った。また3年の勉強ぐらいで大事業が期待されるものではないと言った。また私はあまり焦りすぎると言った。また結局は成功するに決まっていると言った。私はこれまでも幾たびか彼に頼んだように、遠慮なく真実のことを言ってくれるようにと言った。かつ彼とても真実を言わないことには興味を持たないから、要するに彼の言ったことは大き過ぎる言い方ではなかった。それで私は再び気を取り直して、絵を描こうと用意している。
 何という親切な優しい人だろう、トニーは。彼はもっとも才能ある人たちでも10年くらいではやっとものになるばかりだと言った。ボナは7年勉強しても有名になれなかった。トニー自身でも8年の終わりにまだ何物をも出品しなかった。私とてもそのことは知っている。けれども私は20までに成功しようと決心しているのだから、あなたはこの心持ちを理解してくださるでしょう。夜が更けてから私はまた不安になった。トニーは私の力を信じすぎているように思われる。何かの恐ろしいわなが前途に控えているように思われる。
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:18 | 1880(21歳)

1880.12.26(Sun)

 ポオテエンが私に転地を要求する。私は積極的に拒絶して、それから、半ば冗談で、半ばまじめに、私の家族の不平を言い出す。そうして毎日泣いたり怒ったりすることがのどを悪くはしないだろうかと彼に聞いてみる。もちろん、私は転地しないつもりである。旅行は愉快であるが、私の家族と一緒に、彼らのこまごました煩わしさを背負って旅行したところで愉快ではない。私は自分が命令することが出来ることをば知っている。けれども彼らは私を悩ます。それで、否、否、否!
 その上、私は今ではあまりせきも出なくなった。それでもただそれだけが私を苦しめる。どうしたらば私は自由になれるだろうか? 何から? 私には分からない。ただ涙が止めどなく流れる。それが結婚しない娘の失望の涙だと思わないで下さい。否、それはほかの人の涙とは違います。要するに、……あるいはそうかも知れないが、私にはそうは思えない。
 それからまた、私の周囲のものは皆陰気で、私は感情の漏らし場がない。私の気の毒な叔母は寂しい孤独な生活を送って、私たちはお互いに見合うこともあまりない。夜は大概私は読書か音楽かで過ごしている。
 私は近ごろ自分のことを話したり書いたりする時に泣きださないではいられなくなった。きっと病気に相違ない。……ああ! 愚かな嘆き! すべての物は皆死に至るのではないか?
 それに私たちが、まことしやかなことを言いながら、また、すべては無に帰すると知りながら、なおも不平を言うのはなぜだろう!
 私はほかのすべての人間と同じように自分も結局は死ぬ体であり、滅びる体であることを知っている。人生のあらゆる状態を考えてみるに、外観はどんなに見えるにしても、結局私の目には哀れなむなしいものとしか思えない。それでも私は自分を投げ出すことが出来ない! してみると生は1つの力でなければならぬ。何物かでなければならぬ。単なる「通路」、もしくば宮殿で過ごされても牢獄で過ごされても同じことだというような時期などではなしに。それに関しては、私たちのつまらない文句よりも、もっと力強い、もっと真実な、あるものがある! それが人生である。単なる通路、もしくば無用の長物ではなしに、私たちの持っているうちでの1番高貴な、私たちの物と呼びうるすべてであるところの、それが人生ではないか?
 私たちには永久というものがないから、人生は何物でもないと言う人がある。ああ! 愚かなるかな! ……
 人生は私たち自らである。それは私たちのものである。それは私たちの所有するすべてである。それに、どうして人生が何物でもないと言うことが出来るか? もし人生が何物でもないならば、何物かであるものを私に見せてください。
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:16 | 1880(21歳)

日付なし

 3時半に私たちはヴィルヴィエルと一緒に並木道の露店を見に行こうと思って下へ降りたが、先生の新しいアトリエが見たくなってそこに入った。ヴィルヴィエルは、名人のような顔をしてピアノに向かって腰掛けると、私は先生のためにまずい歌を作曲した。そのとき先生が入って来て、私たちはちょうど私を迎えに来た私の叔母を混ぜて2時間を過ごした。アトリエは非常にきれいで、男のアトリエと接近して中2階にあった。通話管が4階の婦人室に通じている。
 つまらない冗談ではなかった。話は大概絵のことであった。ジュリアンがそれを喜んだのには、いろいろな理由があった。第1、彼は自分でそれをするだけの暇がなかった。第2、私に対する礼儀から。第3、ブレスロオをいじめて、同時に私を信じないすべての人たちに私の力量を示すために。それは甚だ良いわけであるが、私は彼にそんなことを持ち出されて、それがために混乱して何事も出来なくなりはしないかと、それが心配になり出した。その絵が彼のものになるということは、いかなる条件があるにしても、もう約束されてしまった。私は非常に愛想良く私の心配を彼に話すと、彼は私が自分で言っている言葉を自分で信じないのだと答えた。
 さて、何と言っても、私たちのアトリエは小さい。人数はわずかに12人に過ぎないが、しかし画布の大きさから考えると相当に骨が折れそうである。なぜと言うに、学生たちに2カ月間も動かないようにしてもらうことは実際において出来ない相談であるから。私にはどうしてそれを仕上げたらよいか分からない。私は何かほかのものが描きたくなった。けれども何を描いたら良かろうか?
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:13 | 1880(21歳)

1880.12.24(Fri)

 悪い夢を見てアトリエに行くと、ジュリアンが私に次のごとき約束をさせた。「あなたの描く絵を私に与えると約束して下さるなら私はあなたに1つの画題をあげましょう。それは、あなたを有名にして、サロン開会後6日間で少なくとも評判になるような画題です。」
 私はもちろん約束した。
 彼は同じ提言をA…にもした。そうして証人としてマニャンとマドレエヌを加えて、その同意書に私たちの署名をさせた。半ば笑いながら、半ばまじめになって。その後で彼は私たちを自分の私室に案内して、私には、私たちのアトリエの一隅を描いて、前景に3人の人物を等身大に、その他を付属として入れるようにと示してくれた。そうしてA…に対しては、リュ・ヴィヴィエンヌ53番のアトリエの全部を小さく描くようにと示した。
 彼は半時間ばかりこの画題の有利なことを私たちに説明した。それを聞いた後で私は興奮して、肖像画のところへ戻ったが、頭が痛くなって、終日何にも出来なかった。昨日の結果である。
 画題については、それは私を誘惑するほどではないが、しかし非常に面白く出来そうに思われる。またジュリアンはすっかりそれに心を取られ、これまで成功した実例を幾つもあげた。。──女のアトリエはまだ描かれたことがなかった。その上、それは彼にとっても広告になることであるから、彼は彼のいわゆる私を有名にすることのためには世界中のあらゆることでもするであろう。それほどの大きな仕事は容易ではないけれども……私たちは見ていましょう。
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:06 | 1880(21歳)

1880.12.23(Thu)

 もう遅くなったので、私は肖像画をよして、サロンに出すつもりで、エスキスを始めた。ジュリアンが入って来て、大層良く行ったと言ったから、私は彼に着いて前部屋に行き、あれで良いだろうかと聞いた。結構です。しかしあれは若い娘の画材で、平凡である。私にはもっと何か面白いものが見いだせるだろうと言った。それから彼は、私がマダム・N…の肖像画をもう少し大きな寸法で、もう少し衣類を使って、実際に展覧会に出品するつもりで描かなかったことを非難した。断っておきますが、彼は私がサロンの話をしだすと、いつでもこんな風に私をいじめます。しかしこれがいかなる効果を私に与えるかを理解していただくために、私はこの肖像画が少しも私を喜ばせないということと、私はそれを親切から描いていたということと、モデルには少しも誘惑的なところがないということと、私はただ約束したから描いたのだということをあなたにお話ししておかねばなりません。この愚かなる親切心が私に何もかも取り外させて、私は何を提供するのが適当であるか、またどうしたならば私はもっとも良くすべての人を喜ばせ得るかを考えることが出来ないほどに私の頭を悩ますのである。あなたはこんなことがまれにはあると思いますか! 私があまり退屈に感じる時以外は大概はいつでもそうである。……
 それは身分などからではない。すべての人を幸福にしたいと思ったり、私自身でつまらない感情に悩まされたりするのは、皆私の性質である。あなたはこのことを知らなかったでしょう。私は今までわがままな人間として通っていた。それでは、何もかもそれに適合させてみなさい。
 それで私が早く仕上げたいと思っているこの肖像画が、今度の展覧会のことを思うたびに邪魔になる。今度の展覧会は1年間私の心を奪って、私はそれを夢見たり、それに美しい希望を懸けたりしていた。私は実際何だかどんなものも出品することが出来なくなりはしないかというような気持ちがする。私は気持ちがすると言う。なぜと言うに、もしあなたがそれを事実だと思うならば、私に対してあまりに残酷であるでしょうから。その上、この退屈な肖像画は、彼も言うごとく、アトリエで描いた方が利口でもあれば、またそれだけ良くも出来たであろう。
 さて、私のサロンの絵のことである。
 これだけ言えば、あなたは私が歯を食いしばって家に帰って、今泣いているように泣きださないために動かないでいようとしていたことを、別に不思議には思わないでありましょう。かつ私は今まで自分に何かできるものがあると思っていたのは、正気のさたではなかったに相違ない!
 おお、つまらない。
 今すべてのものは苦々しくなってきた。そうしてサロン問題は私を号泣せしめる。これでは3年も仕事をして、私は何物に到着したのだろう! 「あなたは異常な成功をなさるに違いない」とジュリアンは言った。しかし私は有能でなかった。すでに3年である。そうして私は何をしたか? 私は何物であるか? 何物でもない。1人の善良な生徒だとは言えるだろう。そうしてそれきりである。しかし異常とか、雷霆(らいてい)とか、閃光(せんこう)とかであるか?
 それは予期しなかった大不幸のごとく私に落ちかかってきた。……真理は残酷なものであるから、私は自分で誇張しているとすでに考えかけている。絵は私を引き留めた。絵のことだけでは私は大家たちを「驚かした」。けれども私は2年間絵を描いている。私は平凡以上であることは自分でも知っている。私はトニーも言うごとく、特殊の傾向をさえ示している。けれども、それはその点ではない。私は頭をひどく打たれたごとく、それで打ちくじかれた。それで私は恐ろしく悪く感じることなしには一瞬間もそのことをば考えられない。そうして、この涙!
 ここに目を改善すべき1つの道がある! ──私は道に迷って、疲れ果てて、死んでいる。何という恐ろしい憤怒であろう! 私は胸が張り裂けそうだ。ああ! 私の神様! ……
 私は人にも知られないで死ぬようなことがありはしないかと思うと、気違いのような気持ちになる! 私はあまりに絶望しているからそんなことが起こらないとも限らない。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:50 | 1880(21歳)

1880.12.22(Wed)

 賞牌はリュ・ヴィヴィエンヌの新しい学生の絵に与えられた。その人はアメリカの少女である。そうして私は首席であった。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:47 | 1880(21歳)

1880.12.21(Tue)

 もう耳の中ががんがんしなくなって、非常に良く聞こえるようになった。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:46 | 1880(21歳)

1880.12.13(Mon)

 私は悪口を言うのは嫌いである。けれどもそれを抑えることが出来ない。それで無関心を装って心を休めている。非常に多くの人が悪い言葉を使うので、私もついにそれに慣れてしまった。あなたは私の生活を知っていらっしゃる。あなたは私を判断することが出来ます。私は自分の徳をたたえるためにあなたにこんなことを言ってるのではありません。なぜと言うに、私の賢と愚は私をひどく損なうに足りるほどでありますから。しかし、そのことはもうよしましょう。私はその責任をばどこまでも受けるけれども、事情によって軽減されるべきことをば認めていただきたく思います。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:46 | 1880(21歳)

1880.12.08(Wed)

 今夜ユベルティーヌの小さい客間で開催された「婦人の権利」の集会に婦人市民アレクサンドリイヌ・ノルスコットとポオリイヌ・オレルが出席した。
 左手には卓上にランプがあり、右手には「共和」の胸像の載せてある暖炉棚があり、中央には戸口と向かい合った窓に後ろを向けて1つのテーブルがあり、その上に束にした書類とろうそくと呼び鈴をおいて、非常に汚くて非常にばかげて見える会長が腰掛けている。会長の左には、ユベルティーヌが腰掛けて、ものを言うたびにうつむいていつも両手をこすっている。また会長の右には、過激なしぼんだ年取った女流社会主義者が叫んでいる。「もし戦わねばならぬとすれば、彼女こそ戦うべき最初の人でありましょう」と。そこには約20名の奇妙な古風な典型の、今下宿屋からお払い箱になったばかりの女門番といったような婦人たちと、数名の男子がいた。何というがらくただろうとあなたは思うでしょう。その中の髪を長く伸ばした若い男たちのある者はカフェへ行っても聞いてもらえないような風をしていた。──私は非常に黒いかつらをつけて、まつげを黒く染めていた。男子たちは社会主義とか集合主義とかもっとも進んだ代表者たちの陰謀とかについて壮語した。隅にいた赤い婦人は宗教に対して戦争すべきことを主張した。それに対してマダム・ド・D(ノルスコット)は抗言して弾丸のごとく有効に飛散する説明をした。けれどもユベルティーヌは非常に聡明で、婦人が自分たちの権利を要求しているのは賤民階級でもなければ、金満階級でもなく、一般普通の女の問題であることを理解している。これが彼らの立場となるべき基礎であるのに、彼らはこれを論じないで政治意見の陰影のみを論じているのである。
 私たちの名前は記入され、私たちは宣誓をして、会費その他を払った。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:45 | 1880(21歳)

1880.12.05(Sun)

 ドクトル・ポオテエンが今朝見えて、私に3月まで南の方へ行くようにと言った。そうしなければ私はすぐに呼吸することが出来なくなるか、でなければ寝床を離れることが出来なくなるだろうと言った。うれしい。この5年間私は名医たちの命じることを何でもした。それでも悪くなるばかりであった。私は自分の美しさの上に荒い手を置かせることまでもした。私は右の鎖骨をヨードで塗ることもした。けれども少しも良くならない。これほど絶えず心配しても健康が損なわれるということがあり得るだろうか? けれども喉頭も気管支も常に頭の影響を受けないでいる。私にはどう考えて良いのか分からない。私は命ぜられた通りのことをしている、無謀なことを避けて、湯でのみ体を洗っている。それでも良くならない。
 ヴィルヴィエルが昨日私に言ったところによると、土曜日にアトリエに絵を直しに来たトニーは私たちのコンクールの絵を見せてくれと言って、私の絵については目の描き方が非常に変わっているが、なかなか良くできていて色の調子も面白いと言ったそうである。全体から言って、彼は今度のコンクールの絵に満足しなかった。私は賞牌を得ないまでも、相当の習作は仕上げたつもりである。
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by bashkirtseff | 2009-02-09 12:44 | 1880(21歳)