カテゴリ:1879(20歳)( 83 )

1879.01.11(Sat)

 アトリエでは私はもう社交界に出ているか何ぞの様に思われている。このことが、私の地位と共に私を皆から引き離して、良くお互い同士でしているようなちょっとした事を彼らに頼む事さえ出来ないありさまである。例えばある画家を訪問するとかどこかのアトリエに行くとかするため一緒に行ってくれないかと頼むような事さえも。
 この週間の仕事を土曜日の夜の10時までかかって仕上げて、それから家に帰ってくると私は泣きだした。今まで私はいつも神に話しかけていた。けれども神は私の言う事を聞いて下さらないから私は信仰を失い掛けている……ほとんど。
 この感じを経験した事のある人でなければ、この恐ろしさをば十分に理解する事は出来ない。私は宗教を善意から説こうとは思わない。神は非常に便利な仮設物である。頼るべきものの無い時、その他の事がことごとく失敗を意味する時、そこにはまだ神が残っている。神は私たちに何事をもしてくれるのではなく、何人をも妨げる事をしないが、最高の慰安を与えてくれる。
 神が存在するか否かにかかわらず、私たちは神を信ずるように絶対に束縛されている、私たちが全然幸福でない限りは。幸福な時は私たちは神なしで過ごされる。しかし悲しみと不幸においては、実際、あらゆる種類の不快においては、信じないよりはむしろ死んだ方がましである。
 神は私たちを全くの絶望から救い出そうとしての1つの創意である。
 良く人が最終の結果に望んで神を信ずることなくして神の名を呼ぶのはどうした事であるかを考えてご覧なさい!
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by bashkirtseff | 2008-12-05 18:11 | 1879(20歳)

1879.01.10(Fri)

 ロベール・フルリが夕方アトリエに来た。
 私たちはカフェ・アングレエで正餐と朝食をするが、そこでは良い物を食べさせる。料理屋のうちでは最上である。
 ボナパルト党の新聞紙、ことに「国家(ペイ)」は、選挙に関してはなはだ愚劣で、私は彼らのために一種の羞恥を感じる。ちょうど昨日のマスネ〔パリの作曲家〕がアンコールされてその繰り返しが面白くなかったために私が羞恥を感じたと同じように。
 私は早く絵によって名声を得ることが出来なければ自殺して、すべてを片付けてしまおうと思う。これは数月前に決心したことである。……ロシアにいるころも1度私は自殺をしようと思ったことがあった。けれども死んだあとの事が怖かった。私は30になったら自殺しても良いと思っている。30まではまだ若いから、幸福とか、成功とか、その他何でも望まれ得る。さてこれだけ決心が付いたからもし私が利口なら、もうこの上2度と再びくよくよ思わないだろう。
 私は極めてまじめに言っているのである。そうしてこれだけでも決心の付いた事を非常に喜んでいる。
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by bashkirtseff | 2008-12-05 18:03 | 1879(20歳)

1879.01.02(Thu)

 私の望むのは、1人で出歩くことの自由である。行ったり、来たり、テュイルリー〔パリの宮殿の跡/1871年焼失/底本:「チュイルリ」〕や、ことにルクセンブルクの庭園の腰掛けに掛けたり、美術店の陳列棚をのぞいて歩いたり、教会堂や博物館に入ってみたり、夕暮れの古い町々を歩いてみたりすることの自由である。これが私の望むところのものであって、これらの自由がなければ真の芸術家にはなれない。あなたは私が見るものから利益を得られると思いますか、いつも人に付き添われて、例えばルーブルに行くにしても、馬車を待たねばならず、供の女または家族の者を待たねばならぬといったような風にして?
 ああ! わざわいなるかな、私が口惜しくてたまらぬことは、女だということである! ──私は男のように自由になれるなら、ブルジョアの服装をして、かつらをつけて、みっともない風をしたって構わない。そんな自由が私は欲しいのである。それが得られなければ、真剣なことは1つも望めない。
 こんな愚かしいいら立たしい障害のために心は押しつぶされる。よしんば私が変装してうまくみっともない風になりおおせたとしても、なお私は半分きり自由は得られまいと思う。なぜと言うに、歩き回る女は無思慮であるから。それでいつイタリアとローマへは行けるだろう? ランドー〔4輪ほろ馬車〕で古跡を見に行きたくなった。
 ──マリ、どこへ行こうね?
 ──大円形劇場へ。
 ──だって、あそこはもう行ったじゃないの! それよりお芝居か、プロムナードへ行きましょう。きっと大勢人が出てますよ。
 これは全く私をがっかりさせるものである。
 なぜ婦人画家が出ないかという理由の1つもこれである。おお、深き無知よ! おお、残酷なる習俗よ! しかし、こんなことを言ったって何になるだろう!
 私たちが仮に極めて理性的な話をしたところで、昔から決まり切った陳腐な嘲笑の種となるのが関の山である。女の使徒たちもこの嘲笑を受けてくじかれてしまった。つまりは笑い者にされるだけである。女はいつまでたっても女であろう! しかし……女は男が訓練されていると同じ方法で育てられてきたものであって、私の遺憾に思っている不平等も今になくなるだろうし、そうすると自然固有のものだけが残ることになるであろうし、……そんなことをも私は考えてみる。それにしても、私たちはこの平等を100年以内に得るために、叫んだり愚弄されたり(それを私はほかの人たちに任せる)しながら進まねばならぬであろう。私はどうするかと言うに、私は自分を束縛するあらゆる不利益を廃して何物かになった1人の女のあることを社会に知らせる一例を示したいと思っている。
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by bashkirtseff | 2008-12-04 08:59 | 1879(20歳)