カテゴリ:1879(20歳)( 83 )

1879.05.16(Fri)

 サロンはつまらない。なぜと言うに、あなたはがらくたを、本当のがらくたを見ると、あなた自身が誰かほかの人であるような、否、何人でもないような気持ちになってくるだろうと思われます。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:45 | 1879(20歳)

1879.05.14(Wed)

 サロンへ行かないで私のエスキスを描いた。……オルペウス(ギリシャの英雄・底本:「オルフェエ」)の死。
 私は構図にも線にも困らなくなった。私は名誉と幸福のことを考えている。そうして世界中で1番楽しいことを皆考えている。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:43 | 1879(20歳)

1879.05.12(Mon)

 私はきれいな顔をしていて、幸福で、かつ上機嫌である。私たちはサロンへ行って、あらゆることを話し合った。なぜと言うに私たちは画家ベローに出会ったから。この人を私たちは仮面舞踏会で困らせたことがあったが、彼はすれ違っても分からなかった。
 ブレスロオの絵は、金革の大きな安楽いすをいっぱいに描いた見事な画面である。そのいすには彼女の友達のマリが、ぼけた色の暗緑色の着物を着てかけていて、首の周りには青灰色のものが何か漂っていて、片手には写真と花を持ち、片手には今赤いリボンで結わいたばかしの手紙の束を持っている。その整頓の仕事は単純で、題材は分かりすぎているが、立派な絵で、調子が良く整って、その効果もほとんど美と言える。
 私は1人の大芸術家もないというようなことを言う時には、自分ながら大言壮語しているような気がする。そこにはバスティアン・ルパージュ(印象派の画家/1848-1884/読者はこの名を記憶していて下さい)がある。ほかには誰があるか? ……そこには知識と、気楽さと、千篇一律と、学校的な仕事と、そんなものばかりがたくさんある。
 真実なものはひとつもなく、人を動かし、感動させ、あるいは戦慄させるものもひとつもなく、また、人を身震いさせたり、泣かせたりするものもひとつもない。これは彫刻について言っているのではない。私は彫刻のことに関しては意見を述べるほどに知っていない。けれども家庭画あるいは風俗画の堅実味の全く欠けていること、それから恐ろしく偽りの多い凡庸味、それから平凡であるかあるいは善良である肖像画、こういったようなものを見ると、全く病気になってしまう。
 今日はボナ(肖像画で有名な画家/1833-1922)のヴィクトル・ユーゴーの肖像と、おそらくはブレスロオの絵と、よりほかにはひとつも良いものを見なかった。……
 ブレスロオのひじ掛けいすは脱線した絵で、いすが見る人の方へのし掛かっているから、女がそれをつかまえているように見える。ボナの名前を挙げたのは、彼の絵の中にはある生命があるからで、ブレスロオの名前を挙げたのは、あらゆる中庸の調子が良く整っているからである。
 私はL…のようにすべての女に同じ足指を与えることが正しいとは思えない。それは私をいら立たせ、腹立たせる。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:56 | 1879(20歳)

1879.05.10(Sat)

 私の彩色は悪くもなく、不愉快な調子でもなかった。構図については、表現も配合も整頓も良くいったが、仕上げがいけないとジュリアンは言った。ジュリアンはさらに、これは今度のコンクールにおいては言うまでもなく重要な点ではないと付け加えた。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:53 | 1879(20歳)

1879.05.08(Thu)

 私は単純な子どものころに大僧正の伝記を読んで感じた興味によって、すなわちA…の時代には、自分は愛する力があると思っていた。近ごろでは、多くの画家の伝記を同じ興味を持って読んで、自分の心臓はアトリエの物語で鼓動するようになったと感じている。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:53 | 1879(20歳)

1879.05.07(Wed)

 もし今のこの製作の発作が続いてくれれば、私は間違いなく幸福である。私は線画も彩色も、構図も小品も、クレヨンも赤チョークも、何もかも好きである。私は怠けたい心もなければ、休みたい心もない。
 私は幸福である! こんな日の1カ月は平凡な日の6カ月分の進歩を示す。非常に気乗りがして、非常に興味がわいてきて、私はそれが続いてくれるだろうかと心配になる。こんな時に私は自分を信頼する。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:52 | 1879(20歳)

1879.05.06(Tue)

 私は大層忙しくって、満足している。私は暇が多すぎるのでいつも困っている。そのことが今分かった。最近20日間私は毎朝8時から12時までと、2時から5時までと仕事をして、5時半に家に帰った。それから7時まで仕事をした。夜は小品画を描いたり、読書をしたり、少し音楽をしたりして、10時になると寝床に入らないではいられなくなる。こんな生活は人間の生涯がどんなに短いものであるかを考えさせる暇を与えない。
 音楽。夜の時間。ナープルの回想。……これが私の注意をかき乱す。……今夜はプルタルコスを読もう。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:51 | 1879(20歳)

1879.04.21(Mon)

 コンクールの最終日。ひどく活気を呈した。
 土曜日リゼン(スウェーデンの娘)とモンマルトル墓地の付近なるバティニョール(底本:「バチノオユ」)にある画家を訪ねた。私はパリで嫌いなものは並木通りと新開地であることを発見した。
 古いパリと土曜日に行った山の手は、詩と平和の香気を放って、それが私の心臓にまで染み込む。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:50 | 1879(20歳)

1879.04.18(Fri)

 私は帝国や執政官(フランス革命当時の)の頭飾りを探すためにマダム・レカミエ(自分の年の3倍も年長の金持ちの妻になった美人で、彼女のサロンは当代名士の集合所であった、けれども彼女は貞操のため浮き名を流さなかった/1777-1849)に関する論文を読んで私もサロンを持てるはずだったのに、持っていないことを思うと悲しくなった。
 そう言うと頭の悪い人たちは、私は自分でマダム・レカミエと同じようにきれいで、女神のように知恵があると思い込んでるのだというかも知れない。
 ばかな人にはばかな人の好きなように言わせておくことにして、私たちは私がもっと良い運命に値していると言っておこう。その証拠には、私に会うほどの人は皆、私は偉い女だから采配を振るようになるだろうと想像している。皆は深いため息をついて、今に私の番が来るという。……私はこれまで神になれて、神を信じまいとした。けれども成功しなかった。かえって懐抱と混沌を来すのみで、私はただ神のみを持っている。私の小さいことにまで気を付けてくれる神を。私は何もかも神に話す。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:49 | 1879(20歳)

1879.04.16(Wed)

 ブレスロオと面白い対話をした。私たちは前部屋にいた。私と、彼女と、サラアと。私がミカンを1つサラアに与えると、サラアがそれを半分ブレスロオに与えて、笑い声で言った。
 ──おあがんなさいな。私があげるのよ。マドモアゼル・マリじゃないのよ。
 しかしブレスロオがちゅうちょしているので、私は画筆を洗う手をやめて、彼女の方へ向いて、微笑しながら言った。
 ──私があげるのよ。
 彼女は全く当惑していたが、顔を赤めてそのミカンを受け取った。私も顔を赤めた。
 ──ミカンなんかどうだっていいわ。私は今1つをむきながら言った。もう少しおあがんなさいな、マドモアゼル。
 ──ねえ、サラア、あなたは私たちがどちらも顔を赤めたのを見たでしょう!
 ──ばかばかしいわ! サラアが言った。
 ──あなたが私の親切に負かされたのよ! 私はブレスロオに言った。彼女に今一切れを差し出しながら。
 ──私はあなたのことなんか何とも思ってないのよ! そういいながら彼女はそれを受け取った。
 ──私だってなおとそうよ。だってあなたは私のこと何とも思ってないのなら、何もそんなに顔を赤くすることはないでしょう。
 ──私は自分のことだって何とも思ってないのよ。
 ──ああ! それならいいわ。
 そうして話が少し難しくなりかけたから、私は彼ら2人の方へ向いて声を立てて笑いだした。
 ──本当は私あなたに感心しているのよ!
 ──私に? ブレスロオが聞き返した。
 ──そうよ、あなたに。
 ──当たり前だわ。
 ──全くね!
 話はそれだけであった。
 ──さあ行きましょう、サラア? ブレスロオが言った。
 私は画筆を洗いに戻った。──子どもらしいことだ。
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by bashkirtseff | 2008-12-17 13:31 | 1879(20歳)