カテゴリ:1879(20歳)( 83 )

1879.07.21(Mon)

 きっと今年は夏がないのだろう。次第に寒くなってくる。
 今週の昼間のモデルは赤い髪の毛をした驚くべき美しさの女である。
 手足は彫像のごとく、顔つきはこれまで見たこともないような立派さである。彼女は長くモデルをしていないだろうから、私たちは彼女がここにいる間になるたけ時間を利用するのである。
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by bashkirtseff | 2008-12-20 13:43 | 1879(20歳)

1879.07.16(Wed)

 私は特別に疲れている。チフスになる前はこんな風だと聞いている。
 昨夜悪い夢を見た。もし死んだらどうしよう? 不思議なことには死のことを考えても私は震えない。もし先の世というものがあるならば、それはどうしても私が今この世界で送っている生活より良い生活でなければならぬ。しかしもし死後には何物もないとしたらどうだろう? ……そうしたら、それは恐ろしくないということ、及び偉大なしに煩わしさを終わり、光栄なしに苦しさを終わることを望む理由になおとなるであろう。
 朝8時に仕事を始めると、5時ころにはくたびれ果てて、夜の時間はつぶれてしまう。実際、私は遺言書を書いておかねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2008-12-20 13:42 | 1879(20歳)

1879.07.02(Wed)

 イギリスの兵士たちの口供をいろいろ読んだ後でアトリエに行ったが、気が転倒して何にも出来ないので、いいかげんに絵の具をなすり付けて帰ってきた。土曜日までに暇を作ってヂナの横顔を描こうと思う。ヂナは美しく成長した。私は平凡に成長したけれども。
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by bashkirtseff | 2008-12-20 13:41 | 1879(20歳)

1879.06.23(Mon)

 私はあの恐ろしい事件のためにまだ悲しんでいる。世間はその打撃からいくらか回復して、あの不幸な青年はいかなる不注意のために恋人の手に取り残されたのだろうと疑うようになってきた。
 イギリスの新聞は皇太子の同伴者の憶病を惜しんでいる。取るにも取らぬ私は、ただ息をあえいで、その痛ましい記事を読みながら涙が目にいっぱいになる。私はこれほど気の転倒したことはない。そうして終日泣くまいと思う努力が私を圧迫する!
 皇后が昨夜死んだという評判がある。けれどもどの新聞もこの恐ろしいしかし慰めとなるうわさを承認するものはない。私はこの罪悪を、この不幸を、この不名誉な出来事を防ぐことは、どんなに容易なことであっただろうと思う。腹立たしくてならぬ。当惑した顔が市街では幾つも見られる。新聞売りの女の中には泣いている者さえある。私も泣いている。自分では訳が分からないけれども。私はクレープを着て本当の喪に服したくなった。そうしたら自分の心持ちにそぐうであろうから。
 あなたにどんな関係があるのですか? 人が私に聞くだろう。私は知らない。ただ悲しくてたまらないのである。
 ここには誰もいない。私は自分の部屋に閉じこもっている。私は一役をも演じないで済むだろう。だからばかばかしいけれども泣くのである。なぜばかばかしいかと言うに、泣くと目が弱くなるから。私はその結果を今朝仕事にかかった時に感じた。けれども私は皇太子の死に伴う致命的な真に戦慄すべき状態、及び彼の同伴者の憶病な態度を思うと、じっとしていられなくなる。
 避けようと思えば容易に避けられたはずであったのだ!
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by bashkirtseff | 2008-12-20 13:40 | 1879(20歳)

1879.06.21(Sat)

 私はほとんど5、6時間泣き続けた。昨夜は疲れ果てて寝てしまった。
 私たちは2人のロシア人、すなわち皇帝の侍従なるアビギンクとセヴァスチアノスと、それからチュウマコフとボジダルと一緒に食事をした。けれども私は何者でもなかった。私の懐疑的な嘲弄的な機知は去ってしまった。私は何度も身内のものを亡くしたこともあれば、その他の煩わしさに出会ったこともあった。けれども今度亡くなった人(ナポレオン3世の息子、ウジェーヌ(底本:「ユゼエヌ」)・ルイ・ジャン・ジョゼフ/1856-1879)ほどにその死を悲しんだことは1度もなかった。それが私を感動させるのではなく、むしろ喜ばせるのは全く意外である。
 昨日12時ごろ私がアトリエから帰ろうとしていると、ジュリアンが通話管で女中を呼んだ。女中はそれを耳に当てると、すぐ私たちの方を向いて興奮した調子で言った。
 ──皆さん、ムッシュ・ジュリアンのお言付けですが、皇太子がお亡くなりになったそうでございます。
 私は思わず声を立てて、石炭箱に腰を下ろした。そうして皆して話し合っていると、ロザリは言った。
 ──すみませんが、ちょっとお静かに願います。これは公報なのですよ。今電報が届いたばかりだそうでございます。何でもズールー人に殺されたのだとムッシュ・ジュリアンはおっしゃっていられます。
 このうわさはもう広がりかけていた。やがて「レスタフェト」を持ってきたから読んでみると、肉太な字で「皇太子薨去(こうきょ)」としてあった。それがどのくらいの打撃であったかを私はあなたにお話しすることは出来ません。
 その上、人はどちらの党派に属するにしても、またフランス人であるにしても外国人であるにしても、世間並みの驚きを感じないでいることは不可能である。
 この驚くべき早世(皇太子はイギリスへ逃れてイギリス軍へ加わってズールー人討伐に従軍して戦死した/23歳)は聞いても恐ろしくなる。
 しかし私は新聞の言わないことをあなたにお話ししようと思う。──と言うのは、イギリス人は憶病者で人殺しだと言うことである。この死については不可思議な点がある。底を割ってみると、幾つかの陰謀や罪悪が潜んでいるに相違ない。一党の希望をつないでいる王子が危険にさらされて良いものであろうか? ──しかもただ1人きりの息子が? ……否、私はその母親の心を思って悲しまないようなものは獣と言えどもないだろうと思う。1番恐ろしい不幸、1番残酷な損失でも常に何物かを残すものである。慰めと希望の一道の光明を残すものである。……けれども今度の場合は何物も残されていない。これほどの悲しみはないと言っても、決して過言ではない。彼が行ったのは彼女のせいであった。彼女は彼を苦しめ彼を悩ました。彼女は1カ月500フランきり彼に与えなかった。それで彼の生活は惨めになった。彼は母親と仲が悪かった。
 あなたにはこのことの恐ろしさが分かりますか? あなたには彼女の心持ちが分かりますか?
 彼女と同じくらいに惨めな母親はいくらもあるでしょう。けれども彼女ほどに打撃を感じた人は1人もいないでしょう。なぜと言うに、その苦しみはこの死のために生じた騒ぎと同情とさらにのろいとに比例してその何100万倍も大きくなっていますから。
 この出来事を彼女に取り次ぐ人間はむしろ彼女を殺した方がまだしもだと思ったであろう。
 私はアトリエに行って、ロベール・フルリに大層褒められた。けれどもすすり泣くために家へ戻ってきた。それから後でマダム・Gの家に行くと、下は差配人から皆が悲しんで赤い目をしていた。
 ムッシュ・ルーエーは半時間も黙り込んでいた。私たちはもう良いのかと思ったらば、彼は止めどなく泣きだした。マダム・ルーエーはその夜中間欠的にヒステリーの症状を来して、夫が死んだら自分も死ぬと言って泣いた。
 マダム・Gは彼女を遮って、決定的に言う。──本当にこんな時にはヒステリックにならぬようにしなけりゃいけませんよ。……全く困ってしまいますからね。彼女は真剣にそう付け加えて言った。
 私は彼らに誤解されると思ったから涙を抑えていた。けれどもマダム・Gが喪服を着た婦人たちに話しかけてマダム・ルーエーがその知らせを聞くとあおむけに平たく倒れてしまったと言っているのを聞いた時は微笑しないでいられなかった。喪服は6カ月間着けることになった。「私たちはきっと今に嫌になってしまいますよ。でもはなのうちはね! ……」
 イギリス人はボナパルト家の人たちに対して常に恐るべきことをした。しかるにボナパルト家の人たちは愚かにも常にその卑しむべきイギリスへ出掛けるのであった。私はどこまでもイギリスが嫌いである。私たちは小説を読んでさえ非常に熱心になったり涙ぐましくなったりしないであろうか。いわんやこの恐ろしい終末に対して、この戦慄すべき忌むべき傷心の死に対して、私たちは心の底まで動かされないでいられるだろうか! すぐに私はCがゼロオム家に味方するようになるだろうと思い付いた。そうして実際その通りであった。
 要するに、全党皆顧みられないでいる。彼らは外観上だけでも王子を1人欲しいと思っている。私は彼らが団結するだろうと思う。彼らの中でも1番妥協の出来ないものは共和党になってしまうであろう。しかしその他の者はいつまでも何かの陰影を担いでいるであろう。しかし誰に分かるだろう? ローマの王が死んだ時、すべては結末になったと考えられなかったであろうか?
 死ぬ? しかもこんな場合に! 23歳で死ぬ、しかも野蛮人に殺されて、イギリス人のために戦って!!
 私には彼のもっとも残酷な敵でも心の中は一種の後悔を感じているだろうと思われる。
 私はすべての新聞を読んでみた。失敬な新聞までも。そうしてそれらを涙で洗った。
 もし私がフランスに生まれて、男であって、ボナパルト党員であったとしても、恐らくこれ以上に感動させられ、これ以上に憤慨させられ、これ以上に当惑させられることはないだろう。この子どもがげすな過激新聞の下等な嘲笑で葬り去られたり、彼が野蛮人に襲われて殺されたりしたことを考えてみるとたまらない。
 彼は声を立てたに相違ない。助けを求める絶望的な叫びと、苦しみと、頼りなさの恐怖の叫びとを。恐ろしい知らぬ土地の片ほとりで、見捨てられて、ほとんど裏切られて死ぬとは!
 しかしなぜ1人きりだったのだろう、しかもイギリス軍がありながら!
 そうして母親さえありながら!
 イギリスの新聞は偵察区域には危険はなかったなどと言い訳をしてひきょうである。そんな国で野蛮な敵を相手にする小団体に安全があるだろうか?
 これを信ずる者はばかか白痴でなければならぬ。しかし詳報を読んでみなさい。彼は3日間そこに取り残されてあった。そうして皇太子のいないことに気がついた時はもう間に合わなかったとカレエは報告している。
 彼はズールー人を見るとほかの者どもと一緒に逃げ出したのだ。皇太子のことをば構わないで。
 それが彼らの新聞に出ているのを見ると嫌になってしまう。そうしてその国民がまだ滅びないで彼らのろくでなしの島から、あの冷たい野蛮な不真実な不名誉な住民が尽きていないと考えると、嫌になってしまう! おお! これがロシアのことであったなら、私たちの兵士たちは最後の1人まで皆自分を犠牲にしたであろうに!
 しかるにあの悪党どもは彼を見捨て彼を裏切った!
 まあ詳報を読んで、これほどの不名誉とひきょうな仕打ちに対してあなたは心を動かされないかどうかを試してみなさい!
 中尉カレエは絞首されないで済むだろうか!
 母親、皇后、気の毒な皇后! 何もかも結末がついて、失われて、滅びてしまった! 残っているものは黒い着物を着た1人の気の毒な母親だけとなった。
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by bashkirtseff | 2008-12-19 15:58 | 1879(20歳)

1879.06.15(Sun)

 しばらく私はうるさいことを投げ出して仕事をしようと決心した。
 ジュリアンは私に対する義務を理解している点にかけては偉い人である。彼は言う、私は成功しなければならぬ、と。なぜと言うに……。私たちはお互いに理解しています。親愛なる後代者よ、そうじゃありませんか?
 あなたは来年は始めねばなりません、とフォリ・ジュリアン校の有名な校長は言った。
 そうだ、もうそれは決まっている。私が私の中に何物かを持っていることは、年取った祖父様なるジュリアン、あなたは今にお分かりになるでしょう!
 本当を言うと、あなたは私がアトリエに持っていく金のために、また私が得るかも知れない名誉のために、私を励ましてくれるのです。しかし私の仕事が良く出来ようとまずく出来ようと、あなたは同じ金を支払われるのだから、どっちだって同じことでしょう。
 今に分かります、私が死にさえしなければ。私はもうあと数カ月きりもたないのだと思うと、胸がどきどきして、熱が出て来る。
 私は全力を尽くして絶えず勉強しよう。明日はヴェルサイユへ行こうと思う。もしヴェルサイユへ行きはぐれても何でもない。──それは外で暮らす1週間のうちの1度の午後を失ったというまでのことである。
 ジュリアンはすでに確実な勉強の復活に気がついている。彼はこれから私が決して毎週の構図を怠けないのを見るであろう。私は構図を書き留めたり、月日や表題を記しつけたりするアルバムをひとつ持っている。
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by bashkirtseff | 2008-12-19 15:03 | 1879(20歳)

1879.06.09(Mon)

 私を駄目な人間にしてしまうものは言うまでもなく暖かい重苦しいこの天気である。今日は終日働いて、その上、仕事を怠けまいと決心した。けれどもひどく気がくじけている。
 今夜私たちは外務省の舞踏会へ行くことになっている。私は平凡にきり見えないかも知れぬ。眠くてたまらない。
 私は succès d' estime〔尊敬すべき成功〕を望んではいない。何だか平凡なばかな女のように見えそうでならぬ。今では「征服」なんかいうことは考えてさえもいない。私は良い服装は着るけれどもその中へ魂をば投げ入れない。人気というようなことも決して考えない。私は何物をも見なければ何人をも見ない。ただうるさくてたまらない。絵のことよりほかに私は何にも考えない。私には知恵もなければ、話も出来ない。私が話をしだすと、退屈になるか誇張してしまう。……私は遺言書を作っておかねばなるまいと思う。今の状態は続きそうもないから。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:50 | 1879(20歳)

1879.06.07(Sat)

 マダム・ド・L…は7人の子どもに3人の女中をつけて私たちの所へよこした。
 しかしその前に言っておかねばならぬことは、私の絵は調子(これは私にとっては1番大事なもの)は悪くはなかったけれども、構図に欠点があった。R・F(ロベール・フルリ)にしかられたが、私はそれをあまり気にしない。なぜと言うに、私は色のことで一生懸命になると構図を無視してしまう。しかし色の方が成功したらば後でその取り返しはつくであろう。人は生まれつき持っているものを失うものではない。それでも私は暗い雲に包まれている。さてL…家の子どもたちのことに戻ると、彼らは骨とう品で、いつも訪問者の前に持ち出されたり、教わった曲を弾かされたりする。5分間もたつと彼らはすっかりなれてしまって、1人ずつしなを作って、私に肖像画を描いてくれと言い出した。私は皆を5分か7分で写生した。1番年上の子どもは私の写生を大変良いと思って、その次には皆の顔の下に番号と名前を入れてくれと言い出した。
 私はがっかりして、落ち着かないで、うるさくなってしまった。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:48 | 1879(20歳)

1879.06.05(Thu)

 ジャンヌに座ってもらった後で、一緒にマダム・ド・スザの所へ行った。この人の在宅日は木曜日である。日が暮れて私たちはL…家を訪問した。母様も同行した。母様は尋ねる先方の人たちに好感を与えるためにまだ喪服をつけていた。
 ムッシュ・ド・L…はろうそくをつけて、もう眠っている子どもたちを見せに、私たちを案内した。博物館の珍しいものを見せる案内者のように。彼は客人を幾組も送り出して、彼らが実際に父の時代のことと思っている世界の9つの不思議を見せる。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:47 | 1879(20歳)

1879.05.30(Mon)(もとのまま)

 ジャンヌが私のために座ってくれた。私たちは彼女と一緒に食事をした。
 彼女は、言うまでもなく、素性の正しい、完全に育てられた、教育ある、聡明な女である。服装は良くないけれども、実際はあなたが見たいと思う内でも1番美しい姿をしている。褐色でやせてはいるが。
 彼女は立派な大きな目と、その目に匹敵するほどの、またその鼻の厚さに劣らぬほどの広い口をしている。鼻は実に大きなものであるが、形が美しくて上品である。そうして首は白鳥のようである。彼女を見ていると私はイタリアの皇后を思い出す。もっとも色は黒いけれども。しかし、皮膚は顔と違って白い方である。
 彼女は少男爵W…といういやな男と結婚したのであった。
 この気の毒な女は、家族の人たちが救い出すために離縁を頼みに行った時は、死の戸口に立っていた。気の毒な女! 彼女は彼を憎んでいる。そんな場合には、夫と暮らすよりは水の中へ投身でもした方がましである。しかし私はジャンヌが少しでも愛しうる女だとは思わない。彼女は femme de Temple〔聖堂の婦人〕である。あなたが I' Homme-Femme〔女男〕をお読みになったとすれば。
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by bashkirtseff | 2008-12-18 10:46 | 1879(20歳)