カテゴリ:1879(20歳)( 83 )

1879.11.14(Fri)

 もし数日間何にも書かないことがある時は、それは書くべきことがないからである。
 これまで私は人間に対して優しくしてきた。私は他人の悪口を言ったこともなければ、人が他人の悪口を言ったのを繰り返したこともない。どんな人でも私の目の前でそしられている場合にはその人を弁護した。ほかの人たちもその報いに同じことを私にしてくれるだろうという勝手な考えから。私は何人をも迫害しようとまじめに考えたことは1度もない。もし私が財産とか権勢とかを望んだとすれば、それは寛大、善意、慈善の心からであった。今から考えると自分ながら不思議ではあるが、しかし私は成功しなかった。
 もちろん私は往来でこじきに出会えば今後とても20スウくらいの金はくれてやるつもりである。なぜと言うに、こじきを見ると私はいつも涙ぐましくなるから。──けれども私は段々悪くなっていくように思われる。嫌な顔をしていても善良であれば美しくも見えよう。しかし意地悪で口やかましくていたずらなまねをすることは面白かろう。それは神に対しても同様であるから。そうして神は何物をも認めないから。
 その上、私たちは神は私たちの想像するようなものでないことを信じなければならぬ。神は多分自然そのものであろう。そうして人生のすべての出来事は機会によって支配されるのであるが、これが時々不思議な符合を生じるので、人は天意というものを信じるようになるのである。私たちの祈りとか、信仰とか、神との談話とか、……そういったものについては、私はすべて皆無用なものだと考えている。
 天地を動かすほどの知恵や力を心には感じながら、しかも自分は何物でもないとは、どうしたことであろう! 私は声を立てては叫ばない。けれどもこの苦悶は私の顔に書かれてある。黙っていると人は何事もないと思う。けれどもこの種の考えはいつも表面に現れるものである。
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by bashkirtseff | 2008-12-25 10:37 | 1879(20歳)

1879.11.10(Mon)

 私は昨日教会へ行った。私はニヒリストと言われたくないので、いつも教会へ行く。
 私は時々面白半分に、人生は通路に過ぎないと言ったりする。私は実際それを信じたいと思っている。それはすべての哀れなこと、悲しいこと、つまらないことで私を慰めてくれるであろう。全世界はいたずら者のために出来ている。私がこれらの下らない些事(さじ)にとらわれないでいるのは、毎日の雑談にこの嫌悪と驚きとを感じるからである。
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by bashkirtseff | 2008-12-25 10:33 | 1879(20歳)

1879.11.08(Sat)

 門番の女の肖像を仕上げた。そうして非常に良く似ている。それはこの下宿で無限に喜ばれた。娘も、婿も、孫娘たちも、妹たちも、皆大喜びである。
 不幸にしてトニーはこの熱心に加わらなかった。彼は悪くはないと言って褒めた。……しかしもっとうまくいきそうなものだと付け加えて。私が絵の具よりも線の方に才能を多く持っていることは拒まれない。線、組み立て、形、すべてこれらはひとりでに出て来るけれども、絵画的の一面は同じ程度に容易には発展しない。彼はこんな風にして私が暇をつぶしていることを好まない。私はこの状態から脱して、これを償うべきことを何かしなければならぬ。
 ──あなたはただなすり付けているのです。あなたは非常に才能があって、有望なだけに、甚だ困りますね。
 ──私だって困っているのです、ムッシュ。でも、私にはどうして変えていったら良いか分からないのですもの。
 ──このことは早くからお話ししたいと思っていたのです。あなたはあらゆる方法でやってみなければいけません。多分出口を見いだすことだけが問題なのでしょうから。
 ──何をしなさいと私に言って下さい。模写とか、彫塑とか、生物とか? 私は何でも言って下さることをいたします。
 ──何でも言うことをやってご覧なさい。ねえ! そうしたらきっと切り抜けることが出来ましょう。この次の土曜日に私の所へ来て下さい。また詳しく話しましょう。
 私はずっと以前に土曜日に彼の所へ行くべきであった。生徒たちは皆そうしているのである。確かに彼は良い人である。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:54 | 1879(20歳)

1879.10.30(Thu)

 フランスは面白い愉快な国である。暴動と、革命と、流行と、機知と、美と、純化の国である。簡単に言えば、生活に興味と刺激とを与えるあらゆるものの国であるけれども、まじめな政府や有徳の人(言葉の昔からの意味において)を求めても駄目である。また愛の結婚を求めても駄目である。また真の芸術を求めても駄目である。フランスの画家は皆立派ではある。けれどもジェリコー(ドラクロワと並び称された画家/1791-1824/底本:「ゼリコオル」)と、現在においてはバスティアン・ルパージュを除いては、神聖な霊感というものが欠けている。そうして決して、決して、決してフランスは、イタリアやオランダがある特殊のものにおいて制作したようなものを制作しえないであろう。
 フランスは女にいんぎんなことと快楽の多いことにかけては美しい国であるが、その他のことにかけては……しかしほかの国は尊敬すべき堅苦しいところがあって退屈なことがあるが、フランスだけは常に何物かを持っている。私がフランスについて不平を言うのは私が結婚していないからである。……フランスは若い娘たちにとっては不名誉な国である。ただしこの言葉はあまり強い意味で使ったのではないが、2つの動物を結合することにおいて見られる冷静な皮肉は、フランスで男と女を結婚させることにおいてもっとも良く見られる。
 商売、取引、投機は適当の場所に用いられれば名誉ある言葉にもなるが、結婚に用いられれば不名誉な言葉となる。しかしフランスの結婚を表すのにこれ以上に適切な言葉はひとつもない。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:51 | 1879(20歳)

1879.10.29(Sat)(もとのまま)

 私の絵は非常に非常に良くできた。昨日私たちは席の競争として「1時間の略画」を描いた。それが今朝トニーの閉じ込められている小さい部屋に並べられた。けれども彼は順番をつけることは不可能だと言って、1時間の制作などはつまらないことだと言って、絶対にそれを拒み、後ろ向きになってでたらめに順番をつけようと言った。もしこれがあまりまじめでないのならば、むしろ面白い話である。私たちは戸口で聞いていた。
 ──マドモアゼル・マリ、彼は言った、あなたはまだ若い方です、あなたを1番にしても実は良いのですが、しかしこんなものは何にもなりません。この次あなたの1週間の仕事を見せてください。それによって順番を決めましょう、こんなものは無意義です。
 第3番はコンクールとして私には甚だ良い地位である。
 ガンベッタがパリに帰ってきた。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:50 | 1879(20歳)

1879.10.11(Sat)

 今週の中ごろ私は描きかけの首をやめてしまった。それで、ロベール・フルリは大きいアトリエから小さいアトリエの方へ入って来た時に、私は時計の後ろに隠れた。けれども彼は私を見て、友情のあるしかり方をした。そうして私が答えていると、彼は行ってしまった。私の方を振り向いてかぶりを振りながら。それで彼は前の方を見なかったので戸口に鼻を突き当てた。そうして私は笑いだした。そんなわけで彼は私の胴を直す時も非常に冷淡で、褒めるような言葉はひとつも言わなかった。この次には私はもう少し成功するかも知れない。今は哀れにかき乱されていらいらしているのみである。もしジュリアンが構図の点で少しでも私を慰めてくれなかったならば、私は絶望して床の上に倒れたかも知れなかった。毎週土曜日になると私はひどく感情を刺激される! ……もし教師たちが私の苦痛を察したならば、何にも言わないくらいな親切は持ってくれたであろう。
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by bashkirtseff | 2008-12-24 09:48 | 1879(20歳)

1879.10.01(Wed)

 書物が届いた。私はマダム・アダム(フランスの有名なジャーナリスト、1879年に彼女は Revue Nouvelle を創刊した/当年43歳)の評論の第1部となっている200ページを読んだところである。
 それは私を転倒させた。4時にアトリエを出て新しい帽子をかぶってボアへ散歩に行った。その帽子は注意をひいたが、しかし今ではそんなことに私は気を取られない。マダム・アダムは非常に愉快な婦人だと思われる。
 私はこんな実際問題に私の哀れな頭が影響されることをあなたが十分に理解して下さると信じています。昔風の忠節といったようなことになされるべきことが何にもない。今でも私はスミレを愛する。けれどもただ花として愛するのみである。
 私は共和制の方へ、新思想の方へと進んでいく。今日は全く Revue Nouvelle のことばかり考えている。私がある一定のときに公爵ナポレオン(ナポレオン1世の末弟、始め共和主義に同意してフランスを追われ、帝政崩壊後、代議士となり、1879年皇太子の死後、この人の子がボナパルト家の嫡流となった)に傾倒するように果たしてならないかどうかということが誰に分かるだろう。この人は私にはナポレオン3世よりも好きである、そうして実際に偉いところがあると思われる。あなたに理解して頂かねばならぬが、私は冗談を言っているのではない。私は進めるだけすでに進んでいるのである。私たちは時と共に動かねばならぬ。ことにそうすることの拒み難き必要と欲求を実際に感ずる場合には。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:52 | 1879(20歳)

1879.09.17(Wed)──パリ

 今日は水曜日である。幸運の日である。17日はさらに幸運の日で、その日に私は今彫刻を始めようとしている。私は仕事場のことについていろいろと調べてみた。
 ロベール・フルリが昨日学校へ来た。あまり直されるところはなかったので、彼は私にいろいろと忠告を与えて、私は構図、線、似ることなどには特長があるが、これまで欠点となっていた一面を勉強したらどうだと言ってくれた。
 それで、今私は絵を描く代わりに、ガスの光で塑像をこね上げている。私が色を無視しないことはあなたにはお分かりでしょう。なぜと言うに、日中私は絵の具で描いている。そうして日が暮れるとすぐ塑像にかかる。これはもう確定したのであるか? そうです、確定したのです。私はアマンダ(強壮なスウェーデン人)と散歩に出ると、彼女はトニー(昨日私に非常に親切であった)を訪問して生徒たちのうわさをしたことを私に話した。トニーは、A…はいつまでも線と構図でうまくいかないだろうと言ったそうである。実際彼女は飛んだ絵を制作する。膨れた頭とか曲がった目とかいったようなものを。次にブレスロオについては、十分の進歩をしていないとトニーは言った。するとジュリアンは、彼女の才能は忍耐そのものだと付け加えた。エンマは利口ではあるが怠け者で、かつ開けない考えを持っている。それから私は非常に才能があって、同時に熱心で、勉強家で、まじめで、驚くべき急速の進歩をなして、非常に良い線を出すと言われた。要するに「賛辞の合奏」であったそうだ。それならば本当に相違あるまい、ほかの人に言ったことであるから? とにかくそれを聞いて私は勇気が出た。私はまだまだ勉強して、うまくなろうと思う。
 私は田舎へ行きたい。木や草の茂った、例えばシュランゲンバードのような、あるいはゾーデンのような、ただしあの退屈なむき出しなディエップなぞとは違った、本当の田舎へ行きたい。皆は私が田舎を好まないと言う。私はロシアの田舎は好まない。けれども木や新鮮な空気は非常に好きである。どこか青々とした香気の良いところなら2週間ばかりも過ごしてみたいと思う。私はローマへ行きたくてならない。けれどもローマのことはなるたけ言わないようにしている。この日記の中でも。このことを思うと興奮するから、そうして私は静かにしていたいのだから。
 私が田舎生活のことを思い付いたのはテュイルリー公園を横切っているときであった。けれどもどうしたなら私はそれに耐えられるだろう? 私は田舎は好きであるが、むき出しの吹きさらしの海岸は嫌いである。……しかし2週間も私の家族と一緒にスイスに行っていたなら、たまらなく退屈になるだろう。うるさいこと、言い訳のしくら、それからあらゆる家事上の何やかやと。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:49 | 1879(20歳)

1879.09.03(Wed)

 赤い帽子や赤い肩帯を見せびらかす国事犯流刑者の帰国は悪いことである。こんな人たちは再び呼び戻すべきではない。彼らは外に住むことに慣れていた。だから今ここへ帰っても異境人の思いがするであろう。これらの夫や妻が10年もたって帰ってきたことからいかなる混雑が生ずるかは神様でなければ分かるまい!
 私はこの帰国を要求した意見に対して私の考えを述べている暇を持たない。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:45 | 1879(20歳)

1879.09.01(Mon)

 私は近来少しずつ自分に変化が起こりつつあることを、あなたが気付いていられるように希望する。私はまじめになり利口になってきた。そうしてまた以前よりも良く思想がつかめるようになって来た。元は分からなくて、いいかげんな話をしていた多くのことが、今では分かるようになってきた。例えば、ある思想に対する敬虔(けいけん)の心は可能なものであるということ、及び人は自分を愛するごとく思想をも愛しうるものだということを、今朝私は発見した。

 帝王とか王統とかいうものに対する尊敬の念が私を感動させ、私を熱しさせ、私を泣かせ、またある感情の直接影響の下に私を実行にまで駆り立てうる。けれども私の心の最奥には、こんな激動をどこまでも私に承認せしめまいとするある物がある。私はいつでも人のために犠牲となった大人物のことを考えると、彼らに対する私の賛嘆の心はちゅうちょしてしまう。多分これは愚かな虚栄心からであろう。しかし私はすべてこれらの奴僕を軽蔑して良い物と認めている。私は実際自分を王者の地位に置いて見る時のみ勤王家である。例えば、ガンベッタは野卑な野心を持った人ではない。そうして私をしてかく考えしめる信念は強くして根拠のあるものでなければならぬ。しからざれば私は3年間も反動的新聞を精読した後で真剣にこんなことは言えないはずである。
 私は自分の関与している限りにおいて、王の前で頭を下げるという考えを黙許することは出来る。けれどもそうする人を尊敬することは出来ない。
 これは私が高位を拒むというわけではない。良く知っておいて頂きたいが、私はある大使とかあるいは廷臣とかの attaché〔随員〕の妻にでも喜んでなるかも知れない。(ただしそれらの人々は持参金を必要として、それを求めているのである。)
 私は今自分の1番奥にしまってある考えを述べているのである。これは私の常に考えていることであるが、人は自分の考えをいつでも発表することは出来ないものである。私はイギリスやイタリアのような憲法的王政を称賛する。しかしその場合でも反対すべきことは少なからずある。例えば皇室の家族に対して頭を下げるのを見ると不愉快でたまらない。それは不必要なへりくだりである。支配者が同情の厚い人で、例えば偉大なる思想の表現者であり擁護者であるヴィクトール・エマニュエル(底本:「エンマニュエル」)のごとき、あるいは善良で親切なる女皇マルグリットのごときであったなら、我慢は出来るが、しかしそれは偶然の幸運である。ある選挙された首長を持つ方がはるかに自然的なことであるだろう。それがため当然同情的であり、また聡明な貴族にも取り巻かれて。
 貴族は破壊することも出来なければ、また1日にして作ることも出来ない。それはそれ自らを支持しなければならぬが、しかし必ずしも愚劣をもって取り囲まれる必要はない。
 かの anciens régimes〔古来の制度〕は進歩と知恵の否定である!!
 私たちはある人々に反対して叫ぶ。けれどもそれが何の役に立つだろう!
 人間は過ぎ去ってしまう。そうして彼らはもはや要求されなくなると、しまい込まれてしまう。共和党の中には黒い羊がたくさんにいると言われている。このことについては数カ月前に私は意見を述べておいた。
 私は彼らが王者の人格に対していわれなき嫌悪の情を発表するのを聞いた。しかしそれは問題ではない。悪いのはその人ではなく、不必要なその地位である。
 私は名門の家族を尊敬する。彼らは昔も今も将来も同じであろう。彼らはその国家から重んぜらるべきである。けれどもそれはある1人の人及びその子孫が愚劣なあべこべな乗り方をするということとは別である! 否、そうではない! 私は人類の力に反対したことを言っているのではなく、その反対である!
 帝王主義はローマ人を写している。なぜ写しているか? もし人民が陰謀とか不忠な策略で欺かれるとすれば、それは人民の方の欠点である! けれども伝統的の王者に対しては人民はあらゆる知恵の努力をやめて10度に1度も良く選ぶ機会をさえ持たない。これはすべて不定と惰性と虚弱と憶病である。しかしもし人民が愚かで選挙を誤ったならば、彼らはそれ以上のものには値しない。これは共和制に反対した言論に対する答えである。
 しかし明瞭に言うと、私の共和制はある開花した精錬された貴族的な共和制である。どんな風に私はそれを言い表しうるだろう? ……アテネ的に、と彼はそれを名付けた。

〔貴族的──これには反省と説明を要する。習慣と教育によって絶対に確定された人類の貴族で、ただし知恵を欠いている。なぜと言うに、社会的関係においてこれらはその影響を拒みあたわざるものである。その上、可能の平等はただひとつしかない。それは法律の前の平等である。その他の平等はすべて自由の敵によって考え出され、愚人によって要求された哀れむべき笑劇に過ぎないのである。〕

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by bashkirtseff | 2008-12-22 10:54 | 1879(20歳)