カテゴリ:1878(19歳)( 96 )

1878.09.04(Wed)

 カントは事物は私たちの想像によってのみ存在すると主張している。それは言い過ぎてはいる。しかし感情の範囲内では私は彼の学説を承認する。……事実上、感情は事象または人間の私たちに与える印象によって生じたものである。そうして事象は必ずしもそれらがある通りのものではなく、一言にして言えば、客観価値というようなものはなく、私たちの精神内においてのみ実在しているものであるから、……いや、こんな理屈をたどっているためには、私は早く寝ないようにしたり、朝は幾時に始めて私の絵を土曜日までに仕上げねばならぬとか思ったりしないことが必要であろう。
 常用の言葉において、人は私が考えているより別のものを名付けて想像と言っている。人は愚かしいことや狂気じみたことを言うのを想像と呼んでいる。さもなければ……恋愛というようなものが想像以外に存在しうるだろうか? それは他のすべての感情と同じである。あなたもお分かりの通り、この哲学の足場は立派なものである。しかし私ごとき単純な女でもそれを誤りだと示しうる。
 事象は私たちの精神内においてのみ実在性を持つと人は言わないか? なるほど、それで私はあなたに言います、対象は目を撃ち、音は耳に入り、そうしてこういったようなものが……事象が、すべてを決定せしめるのである。……そうでなかったならば事象は存在の必要がなく、私たちがすべてのものを造り出さねばならぬであろう。もしこの世に何物も存在しないならば、どこに何物が存在するだろう? なぜと言うに、何物も存在しないということを断定しうるには、それがどこであるにもせよ、もし客観価値と想像価値との差異を理解するためには、まず何物かの実際の存在を知らねばならぬから。もちろん… 他の遊星の住人たちは私たちとは別な見方をするであろうし、その場合それは当然なことである。しかし私たちはこの地上におって、ここにいつまでもとどまっておって、上の世界のことや下の世界のことを研究することを要求する。そうしてそれで十分である。
 私はこんな学問的な、根気仕事な、世間離れした、abracadabrante な〔まじないのような〕愚かしいことに熱心になる。非常に緻密な、非常に学問的な、こんな推理と、こんな推論とに。……そこには私を悩ましくするものが1つある。 それはすっかり間違っているように感じられることである。もっとも私にはなぜだかそれを発見しようとする気持ちもなければ時間もないけれども。
 私はこんなことをすべて誰かと話してみたいが、私は全く孤独である。しかしお断りしておきます、私は自分の考えを人に押し付けようとは思わない。私は自分の思うことを率直に話し、人が良い理論を持ち出した時にはすぐに受け入れるつもりである。……
 私はあまり大きなことを言って自分をこっけいにすることなしに、学者の話を聞きたくもあり、また聞かねばならぬ。私はどんなに、どんなに学問の世界に入り込んで、見たり、聞いたり、学んだりしたいと思っているでしょう。……しかし、私が熱望しているものを誰にまたどうして求めたら良いか知らない。それで私はどんな研究の中へ自分を投げ入れて良いか分からないで、ただぼうぜんとして、あきれ果てながら、利益の宝庫の各方面、すなわち、歴史、言語、科学、最後に全世界を瞥見したのみである。……私はすべてを同時に見、すべてを知り、すべてを学びたい!
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by bashkirtseff | 2008-11-26 14:27 | 1878(19歳)

1878.09.01(Sun)──パリ

 私は何にも見ない……絵よりほかには何にも。もし私が偉い画家になれるなら、立派に償いはつくわけである。私は(自分のために)感情や意見を持つことの権利を得なければならぬ。私はこんな嫌なことばかり書くからと言って自分を軽しめてはならぬ! 私は何者にかならなければならぬ。……私は何者にもなれないで、私の光栄となるべき人に愛されて満足していられるかも知れない。……しかし、今だって、自分の努力によって何者かであるには相違ない。
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by bashkirtseff | 2008-11-25 15:22 | 1878(19歳)

下巻掲載

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つどい(マリ・バシュキルツェフ作)
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by bashkirtseff | 2008-11-25 09:22 | 1878(19歳)

1878.08.30(Fri)

 実際生活は忌まわしい退屈な1つの夢である。……けれども私は少しの幸福でもあれば、どれだけ幸福になれることだろう。私は長い道を少しずつ進んでいく技術を最高の程度において所有している。それで人が動かされるようなことでは、少しも動かされない。


マリ・バシュキルツェフの日記 上巻 終
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:25 | 1878(19歳)

1878.08.29(Thu)

 いかなる真意によってだか分からないが、今朝私は朝寝をした。9時になってもまだ着替えが出来ていなかった。すると誰だったか祖父様が悪くなったと知らせて来た。私は着替えをして祖父様のところへ行った。母様も叔母もヂナも泣いていた。ムッシュ・G…は勝手に出たり入ったりしていた。私は何にも言わなかった。そんな恐ろしい場合に説教をしてはいられなかった。10時に司祭が来た。数分たつとすべてが終わりになった。
 私は最後まで司祭と一緒にひざまずいていた。祖父様のお気の毒な額に手を置いたり、その脈を取ってみたりしながら。私は祖父様が死ぬのを見た。非常に苦しまれた、お気の毒な親愛な祖父様。……私は決まり切ったことは言わないことにしよう。祖父様の寝台のそばで行われた宗教的儀式の間母様は私の両腕の中に倒れていた。母様は皆に抱えられてご自分の部屋の寝台に寝かされた。皆が声を立てて泣いた。ニコラスまでが。私も泣いたけれども、私は声を立てなかった。祖父様の寝かされている寝台は乱雑になっていた。嫌な召し使いたちだ。彼らの示す熱心を見ると腹立たしくなる。私は自分で枕を直して、レースの付いたきれいなカンブレー麻をかけて、祖父様の好いていられた寝台──鉄の寝台で、ほかの人には貧乏くさく思われたかも知れぬ──に肩掛けをかけた。周りには白のモスリンをかけた。白は今飛び去った魂の善良と今鼓動をやめた心の純潔とにふさわしい。額に触ってみると、もう冷たくなっていた。それでも恐ろしくも、気味悪くもなかった。打撃は予期されていても、それが降り掛かってきた時は驚いてしまうものである。
 私は葬式の報告の電報を書いた。それからひどくヒステリーの発作を起こしている母様に気を付けてあげねばならなかった。私は自分で適当な態度を取ったと思っている。声を立てて泣かなかったのは他の人より感じ方が少なかったからだとは思わない。
 私は自分の夢と実際の感じを区別することが出来なくなった。
 喪服を注文せねばならなくなった。私の家族は外面的の喪装は全然省略することが出来る。皆は、世間が心の喪に服することを考慮に入れないということ、及びクレープ〔喪服のきれ〕をたくさんつければつけるだけ、良い母であり、また、あきらめのつかぬ未亡人であると世間では思っていることを理解しないのである。
 空気は花のにおいと土や香のにおいとで満たされている。暑いのによろい戸は皆閉められている。
 2時から私は気の毒な死んだ祖父様の肖像を描き始めた。けれども4時になると太陽が部屋の中へ入ってきたので、やめねばならなかった。それでほんの見取り図になってしまいそうである。
 私は何もかもどうして良いか分からない。
 けれども私は直覚してどこまでも礼儀にふさわしくしていこうと思う、自分ではもちろん人情は持っているけれども。
 私は起こったことを書き留めるために絶えずこの帳を開けてばかりいる。
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:24 | 1878(19歳)

1878.08.24(Sat)

 1時間かかって祖父様の寝ているところを写生した、第3号の画布に。皆が大層良くできたと言う。けれども、白い枕に白いシャツに、白い髪毛に、半ば閉じた目、これは何よりも描き良いものである。
 もちろん私は首と肩だけを描いたのである。
 私は祖父様の記念にこれを描いたことを喜んでいる。
 あさってはアトリエに行くつもりである。あまり気を焦らせないようにするために。今日は絵の具箱を掃除したり色の分類をしたり木炭を削ったりした。この週間は自分の出来る限りの雑務をした。
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:20 | 1878(19歳)

日付なし

 私は恐ろしい病気を持っている。私は自分で自分が嫌になった。私が自分で自分を嫌に感じるのはこれが初めてではない。けれども初めてでないからと言って恐ろしさが減るわけでもない。
 自分の避けられる人を憎むのもさることながら、自分で自分を憎む、それは1つの刑罰である。
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:19 | 1878(19歳)

1878.08.19(Mon)

 マダム・アニツコフの家の家庭女教師をしていたマドモアゼル・E…が私たちの家に来ている。一種の家庭女教師みたいなことをするようになるだろう。
 買い物などに行く時私は彼女に非常な丁重を示そうと思っている。そうすれば彼女が人から丁重に取り扱われるであろうから。なぜと言うに、彼女は背が低くて、ニンジンのようで、若いくせに悲しそうな顔つきをしていて、月が退屈した時のような丸い顔だから、威厳がないのである。その顔を見ると、こっけいな夢想に満ちた目をしていて、何となく笑いたくなる。けれども私の考えているような帽子をかぶらせたらばおかしくはなくなるだろう。私は彼女をアトリエに連れて行こうと思う。
 死にかけている祖父様が、私が帰ってきて、どんなに喜んでいられるかを見ると、私はエムスを見捨ててきたことに対して慰められる。
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:18 | 1878(19歳)

1878.08.17(Sat)──パリ

 今朝は私たちはまだゾーデンにいた。
 祖父様がまだ生きていたなら私は500度でも大地にひれ伏して感謝しようと誓った。私の願いは満たされた。祖父様は死んでいなかった。けれども死んだと同じくらいに悪かった。……エムスにおける私の療養も失敗であった。
 私はパリが嫌いである! パリに住めばほかのところよりも幸福で、満足が得られて、いっそう完全な、いっそう知的な、いっそう高名な生活が送られることは否まない。けれども私の送っていることは生活をするには、都市そのものを愛する必要がある。都市もまた個人のごとく私に同情を寄せたり寄せなかったりする。私はどうしてもパリが好きになれない。
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by bashkirtseff | 2008-11-21 10:40 | 1878(19歳)

1878.08.07(Wed)

 私の神様、私をローマへ行かれるようにして下さい。私の神様、私がどんなにそれを望ましく思っているかを、あなたに知って頂きたいのです! 私の神様、どうかあなたの駄目な子どもにお恵みを与えて下さい! ローマへ行けるようにして下さい。……それは言うまでもなく不可能なことでしょう。……あんまり幸福すぎますから! ……
 こんなことを考えさせるのはリウィウスではない。私はもう幾日も昔の友達に構わないでいるのだから。
 それはリウィウスではなくて、カンパーニュ〔ローマ近郊の平原〕、ピアッツァ・デル・ポポロ、ピンチオ、円屋根の入り日に染まる景色の思い出からである。……
 それからあの神聖な賛美すべき朝明けの景色。太陽が昇って、すべてのものの形や色が次第にはっきりとなってくる。……ほかの場所は何という空虚を感ぜしめることだろう! ……あの魅力に満ちた神秘の都の目覚める時のことを思い出すと、何という神聖な感情がわき起こるだろう! ……とても言葉には表せないこの感情をローマに吹き込まれたのは私だけではあるまい。……信じられないほどの過去と神聖な現在との結びつきとでも言おうか、……どう言ったらばよいか私には分からないが、……そんな感情をローマに吹き込まれたのは私だけではあるまい。……もし私に愛する人があるとすれば、それはローマのことであって、太陽があの神聖な円屋根の向こう側に落ち行く景色を眺めながら私は愛を語るだろうと思う。……
 もし私が何かの限りなき不幸に打たれることがあるとすれば、私はローマに行ってあの円屋根を仰いで泣きながら祈るであろう。またもし私が人間のうちで一番幸福な人になれるとすれば、それもローマへ行ってからのことであろう。……
 パリに住みたいと思うのは何という平凡なブルジョアの考えだろう。……けれどもパリはローマに次いで世界に2つとない都である!
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by bashkirtseff | 2008-11-21 10:39 | 1878(19歳)