カテゴリ:1878(19歳)( 96 )

1878.11.13(Wed)

 ロベール・フルリが今夜アトリエに来た。私に長い講釈をして下すった後で言った励ましの言葉をいちいち繰り返すのは用のないことであろう。彼らの言うことがすべて真実だとすれば、あなたはこの日記をお読みになるころは、私についてどんなことが考えられていたかがお分かりになるだろうと思う。
 しかし、とにかく、人が真剣に取り扱われているのは、いつでも気持ちの良いものである。私はよほどどうかしている。自分というものに絶大の望みをかけていて、ほかの人に同じことを言われると、自分でもそういう可能を疑ったことがなかったような気がして、歓喜の極頂に達する。例えば女の中で1番美しい女に愛されていると思い込んでいる怪物のように、驚愕と光輝に満たされている。
 ロベール・フルリはすぐれた教師で、1歩1歩人を導いていくから、導かれる方でも進歩のあとが分かるのである。
 今夜彼は私を、やっと音階を覚えて初めて何か弾いてみた生徒か何ぞの様に取り扱った。彼はとばりの端を上げて遠い地平線を私に見せてくれた。今夜は私の仕事の上に1時期を画する晩であった。
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by bashkirtseff | 2008-12-01 12:25 | 1878(19歳)

1878.11.09(Sat)

 恥ずべき失敗である。メダイユが1つも与えられなかった。これは進級している娘たちの愚を示すもので、彼らは勝利を得ようとして競技しなかったのである。私は例によって首席である。ブレスロオが出してもそうであっただろう。その場合は首席を2人にしただろうと思う。首席になるような1つのつながりがあったのだろう。しかしそんな内面の自信は何にもならぬ。事実が現存している。皆が競技しなかったのである。そうしてメダイユは与えられなかったのである。私は心の中ではわらしべ2本ほども気にしてはいない。ブレスロオだけは、私はいくらか尊敬する。彼女はジュリアンのところで3年と、チューリッヒで2年と、病気で損をした月日を加えないでも合計5年近く仕事をしている。私はすっかりでまだ11カ月きり仕事をしていない。もしその以前の準備を入れると、今1カ月増すことになる。すなわち、版画の模写とローマで別々の時に書いた6つの首を入れてこの紙汚しが1カ月(1日8時間ずつ、これは私が名誉にかけて誓う)、多くとも6週間の仕事となる。だから総計1カ年ということになるのである。これはどこまでも、堂々とあなたにお知らせするが、私はブレスロオと同じように覆いを取り去ったモデルを写生しているのである。これは先生たちが私に言ってくれたのである。
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by bashkirtseff | 2008-12-01 12:23 | 1878(19歳)

1878.11.05(Tue)

 真に美しくまた英雄時代のものとも言えるものが1つある。──女が自分の愛する男の卓越の前に自滅することは自尊心のもっとも微妙なる満足であって、これは心の高尚な女でないと感じ得ないことである。
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by bashkirtseff | 2008-12-01 12:21 | 1878(19歳)

1878.11.03(Sun)

 母様とヂナとマダム・X…と私と4人して馬車で出掛けた。皆は私を結婚させたいと思っているけれども、私は自分があるどこかの紳士を金持ちにする材料になりたくないので、結婚はするけれどもただし相手は金があって相当の身分で美しい男であるか、でなければ特別の天才であるか、それを条件にしたいと答えた。その性格に至っては、たとえその人が悪魔であるにもせよ、それは私が気を付けて面倒を見るつもりである。
 マダム・G…は美術の神聖を傷つけるようなことを言ったから、私は2度それを私の前で繰り返したら部屋から出て行こうと思った。彼女は自宅に教師を呼んで絵を描いている婦人たちの例を引いて私も結婚したところで同じことが出来るだろうと言った。世慣れた女とかブルジョアジーの女とかには、高尚な芸術的感情を戦慄せしめるようなたまらないところがあるものだ。
 あなたにはお分かりでしょうが、私は聡明に論理的に自分だけでものを考えるのである。
 私はまず自分の空想の結婚を考えてみようと思う。もし成功しなかったら私も人並みに自分の財産を頼りに結婚しようと思う。だからその点は安心である。あなたが結婚するとすれば、あなたは月決めの部屋を幾つか借りたりしないで、家を買いたいと思うに相違ありません。その中に必要なだけのものを備え付けねばならぬでしょう。また下宿でもしている時のように部屋が不足しても困るでしょう。その上、ロシアのことわざに「建て増しをすると運が悪くなる」ということもあります。
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by bashkirtseff | 2008-12-01 12:20 | 1878(19歳)

1878.10.26(Sat)

 私の絵はこれまでのよりも良く出来ていた。裸体習作も良い。ムッシュ・T…がコンクールの審査役であった。ブレスロオが1等で、私が2等。
 まあ満足しなければならぬ。
 今朝ロベール・フルリが私の彫塑に対する計画について隅で私に話している時、私は子どものように無邪気な顔をしてほほを赤らめて手持ちぶさたにして立っていた。彼は話しながら微笑した。私も微笑した。それは新鮮なスミレの香りを私がかいだような、常に干からびて縮れている私の髪の毛が美しい陰影で満ちているような、また何を持っていたか知らないが私の手がおかしな姿勢をしているような、そんな気がしたからである。
 ブレスロオはいつも言う、私の手が物に触れる様子は美そのものである、私の手は古典的の意味から美しいとは言えないけれども、と。
 しかしこの美を発見するのは芸術家でなければ出来ないことである。ブルジョアと社交界の人は人が物を持つ様子などには気を付けない。それでいつも私の手などよりも太った平べったい手の方を良いとくらいに思っている。
 10時と11時の間に私は5つの新聞と2冊のデュリュイに目を通す暇があった。
 私はこんなに学校で成功していることが私のためにならぬことではないかと心配している。私はこのように順調に進んでいくことをほとんど恥じている。そうして「非常に良い」とか「大層良い」とか言われると自分で困難に打ち勝ったことも進歩したことも意識しなくなってしまう。──それでもブレスロオがそう言われるのを聞くと彼女が大芸術のごとく思われてくる。それでいくらか自分でも気を取り直しているのである。
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:23 | 1878(19歳)

1878.10.20(Sun)

 私は9時に馬車を命じて、私の女官なるマドモアゼル・エルスニツを従えて、聖フィリップ、聖トーマ・ダカン(底本:「トマス・ダカン」)、ノートルダム(底本:「ノオトル・ダアム」)を見に行った。私は頂上まで登って、鐘を見た。イギリスの娘たちのように。すると、そこに私の好むパリがあった。それは昔からのパリである。私は処々のブールバール(並木街路)やシャンゼリゼなどの、すべて新しいきれいな部分がきらいでたまらないが、それを避けてさえいればパリに住んでも幸福にしていられる。しかし郊外に出てサン・ジェルマン〔昔の王宮の跡/パリから13マイル/底本:「聖ゼルマン」〕などへ行くと全く別な感じがする。
 私たちはエコール・デ・ボザールを見た。腹が立って泣きたくなった。
 なぜ私はそこへ行って研究することが出来ないのだろう? この学校のような完全な教え方をどこで得られるだろう? 私はローマ賞の展覧会を見に行った。第2等は、ジュリアンの学生の1人が取った。ジュリアンは非常に喜んでいる。私は金持ちになったら女のために美術学校を建てようと思う。
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:12 | 1878(19歳)

1878.10.16(Wed)

 女たちのねたみを見ているとばかばかしくなるが、しかし苦痛でもある。けちで、下等で、みすぼらしい。私は人をねたむということはどんなことだかこれまで知らなかった。私はこれまで通りにしていられないのが残念なだけである。
 卓越したものに私は屈従する。残念ではあるが屈従する。しかるにこの人間たちは……話をするにも前から考えていたことよりほかは口にしないし、誰でも教師に褒められた人のことを話したり、今1人の人、それは私のことであるが、その1人の人のことを話したりする時には、微笑を見せなかったりするのである。それはアトリエの成功は何にもならないということを証明するためであろう。
 最後に、彼らはコンクールは茶番みたいなもので、ことにルフェーヴルには悪趣味があってつまらない写生を喜ぶだけであるとか、ロベール・フルリは色彩家でないとか、そんなことを結論してしまった。要するに教師は皆有名な人たちではあるが不十分であるというので、これはエスパアニュの娘とブレスロオとノグランの断定である。私も、彼らがアトリエの成功は何物でもないということには全然同意見である。何となれば永久に平々凡々で終わりそうで、そのくせ他の学生の目から見ると一流の美術家のように思われている実例がここにも2つ3つあるから。
 私は学生に嫌われ、教師には好かれている。
 これらの学生たちの言っていることは10カ月前に初めてのメダイユを取ろうと思っていたころに言ったこととまるで反対になっているのを聞くことは非常に愉快である。なぜ愉快であるかと言うに、それは世界中至る所で演ぜられる喜劇の1つだから。しかしそれは私の神経をいら立たせる。つまり私が正直な性質だからではなかろうか?
 こんなアトリエ内の争いは私がいくら理性を働かしても私を悩ましいら立たせる。私は彼らを後に見捨てようと思うほどに実際性急になっている!
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by bashkirtseff | 2008-11-29 10:10 | 1878(19歳)

1878.10.14(Mon)

 ──下は満員です。ジュリアンが言った。あなたの裸体習作を持って降りましょう。お出しなさい。
 こんなことは何でもないことだとは思うけれども、それでも私はうれしかった。
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by bashkirtseff | 2008-11-28 09:44 | 1878(19歳)

1878.10.12(Sat)

 私の裸体習作は実に、実に、実に良いと言われた。
 ──ああ! あなたは本当に天才があります。やればどんなことでも出来ます。
 私は賛辞に慣れてしまった。(これはただ形式のために言うのであるが。)R…の言ったことが真実だという証拠は、皆が私をねたんでいるのでも分かる。そんなはずはないとは思いながらも、それでも私は苦しい。彼らがそんなことを私に言う時には、ことにそれを言うのがR…の様なまじめな人である場合には、その中に何かが含まれているに相違ない。
 ジュリアンはどうかと言うに、彼はもし私が私の評判を皆聞いたらば気が変になるほど喜ぶだろうと付け足して言った。
 ──あなたは今に得意で酔っておしまいになりますわ。女中はそう言った。
 私はいつもこの日記を読む人が、私は金持ちだから人にへつらわれているのだと思われはしないかと心配している。それはどうでも良い。私はほかの人たちと同じ金しか払いはしない。ほかの人たちには勢力のある友達もあれば、教師をも良く知っているから、その上あなたがこの日記を読むころには私の成績はすでに疑われなくなっているだろうから。ああ、少なくとも私はそのくらいの報酬は得なければならぬ。
 人がその成績で尊敬されているのを見ることは喜ばしいものである。
 R…はカロリュスのまねを始めだした。彼は行ったり来たりする。(彼は世界博覧会で大賞牌を得た人である。)彼は絵を直したり、シガレットをふかしたり、ひじ掛けいすにかけたりして、話し込む。それを気に留めない。彼は私を生徒としてかわいがってくれてることを、私は良く知っている。ジュリアンもそうである。
 この間スウェーデンの娘が私にある忠告を与えた。するとジュリアンは私を自分の部屋に呼んで、私は持って生まれたままの傾向で描いて行くが良い、初めは弱い絵になるかも知れないが、それでも私自らの絵である、「もしあなたが人の言う通りになるようだったら、どうなってしまっても私は責任を負いません」と言った。
 彼は私に彫塑をやってみるように希望している。そうしてデュボア〔有名な彫刻家/このとき49歳/1829-1905〕に見てもらおうと言った。
 今日私はパリに来て初めて馬車で遠乗りをした。着物を着替えて、髪を上げて、急がないからゆっくり時間をかけて小ぎれいに身じまいをした。そうしてヂナは母と家に居残ったから、私は上座に腰掛けた。馬の方へ背中を向けて乗るのは、愉快ではなくて苦痛である。これから土曜日ごとに私はこうしようと思う。あなたもいらっしゃるか知れないがボアへ行ったりするのは愚である。今日私は久しぶりに私自らに戻った。私は成功した。皆私を見た。
 私は喪服を着て、羽根のついたフェルト帽をかぶっていた。全体の効果が上品で気が利いていて単純であった。
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by bashkirtseff | 2008-11-28 09:43 | 1878(19歳)

1878.10.09(Wed)

 ジュリアンの学生たちが美術学校(エコール・デ・ボザール)のコンクールで得た成功は彼のアトリエに良い地位を与えることになった。
 学生は十分以上にいる。銘々がローマ賞か少なくとも美術学校賞を得るつもりである。
 婦人のアトリエもこの栄誉を分け前している。そうしてロベール・フルリはルフェーヴルやブーランジェと対立している。何につけてもジュリアンは言う。──下〔階下の男学生〕ではどう言うでしょうね? とか、私は下の学生諸君に見せてやりたいと思っています、とか。
 私は実際自分の描いた物が下に持って行って見せられることの名誉を望んでいる。あなたにはお分かりでしょうが、下へ持って行って見せるというのは、女でもこのくらい出来るということを知らせるためか、あるいは、彼らがいつも女は駄目だと言っているから彼らを憤慨させるためかである。とにかく長い間私は自分の絵が下へ持って行かれることの名誉を望み考えていた。
 さて! 今日ジュリアンは部屋へ入ってくると、私の描いていた裸体習作を見ていたが、こう言った。
 ──それを良く仕上げなさい。私が下へ持って行って見せてやりますから。
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by bashkirtseff | 2008-11-27 10:15 | 1878(19歳)