カテゴリ:1878(19歳)( 96 )

1878.01.29(Tue)

 私には今度のコンクールが真剣に気になってならないものだから、気の毒なロザリは私を奮い立たせるために超人的の努力をしなければならなかった。
 私は賞牌(しょうはい)を得るか、しからざれば最終の仲間の中に入れられたいと思っていた。
 ところがどちらでもなかった。私は2カ月前と同じ地位にとどまっていた。だから失敗である。
 ブレスロオに会いに行った。彼女はまだ病気である。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:50 | 1878(19歳)

1878.01.28(Mon)

 明日はコンクールの決定する日である。私は悪い地位を得やしないかと心配している。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:49 | 1878(19歳)

1878.01.12(Sat)

 ワリツキが今朝の2時に死んだ。
 昨夜彼に会った時彼は私に向かって、半ば冗談のごとく、半ば悲しそうに“Addio, signorina”〔さようなら、お嬢さま〕と言って、イタリアを思い起こさせた。
 私が自我主義もしくは怒りからでなくて涙を流したのは、おそらくは今日が初めてであろう。どこまでも無害で、どこまでも善良であった人の死には、特別に人を動かすあるものがある。彼は誰にも害を加えたことのない忠実な犬のようであった。
 1時頃に彼は少し快くなっていた。それで婦人たちは皆部屋に退いた。彼が息苦しくなった時は叔母だけがそばについていた。それで叔母が顔に水を吹いてやらねばならなかった。
 少し気持ちが良くなると彼は祖父様にぜひともおいとまごいがしたいと言って立ち上がった。けれども彼が廊下まで出ると、もう力がなくなって、わずかに3度自分で十字を切って、ロシア語で「さようなら!」と大きな声で言うだけのことが出来た。母様とヂナが目を覚まして、彼のところへ駆け付けてみると、彼は叔母とトリフォンの腕の中に倒れていた。
 私はそれを思い出してみることも出来ない。それは不可能に思われる。それはあまりに恐ろしい。
 ワリツキは死んだ。それは取り返しのつかぬ損失である。あんな性格の人を実生活において見いだすということは、ほとんど信じられない。
 私たちの家族の皆に対して、犬のように懐いていた。そうしてあくまでプラトン的であった。おお! 実に、どこまでも私というものの無かった人である。
 あなたは書物ではそういった種類の人のことを読んだでありましょう。私はどうかしてあの人に私の思っていることを伝えてやりたかった。神様が私たちのあの人について考えたり、話したりしていることを、どうにかしてあの人に知らせて下さることを私は望む。あの人は今どこにいるか知らないけれども、どうにかして私の言っていることを聞いてもらいたい。仮にあの人がこれまで私に対して不平があったとしても、今では私のこの深大な尊敬と友情と悲哀のために私を許してくれるだろう!
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:48 | 1878(19歳)

1878.01.07(Mon)

 私は自分の芸術の将来を信じているのだろうか、信じていないのだろうか?? 2カ年は生涯ではない。2カ年たった後でも、また懶惰と娯楽と旅行の生涯に帰ろうと思えば帰られる。……けれども私の望むことは有名になりたいことである!
 私はきっと有名になってみせる。
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:44 | 1878(19歳)

1878.01.06(Sun)

 そうです! 私はあなたの意見に同意します。時は過ぎ行きます。それを以前私が過ごしたいと望んでいたようにして過ごせるならば私にとっては何よりうれしいことでしょう。けれどもそれは不可能なことでありますから、私の才能の結果を待つことにしようではありませんか。それでも遅すぎるということはないだろうと思います。……
 私たちは引っ越しをした。今度の居所はアベニュー・ド・ラルマ、67号である。私の窓からはシャンゼリゼの馬車の通行が見える。私は客間兼用のアトリエをもらいだした。
 祖父様は運ばれてきたが、見るのも痛々しいほどであった。彼が部屋に運び込まれるとすぐヂナと私はそのそばへ行って世話をしてあげた。お気の毒な祖父様は私たちの手を接吻した。
 私の寝室はナープルを思い出させる。祖父様の部屋ではガラスが一枚壊れていた。
 そうだ。私の部屋はナープルを思い出す。もう旅行の季節が近づいてきた。何だかまた以前の私の懶惰(らんだ)の柔らかい霧が覆いかかってくるようだ。……駄目だ! ……
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by bashkirtseff | 2008-06-01 21:44 | 1878(19歳)

1878.01.04(Fri)

 どうして私の昔からの性質はこんなに眠ってばかりいるのだろう! それはほとんど跡形もなくなった。時々過去の思い出が昔の苦しさを呼び覚ます。けれども私はすぐと気を転じる。……何に? 芸術に? それは楽しみなことである。
 それならこれが最後の改変であろうか? 私は長い間一生懸命になってこの目的を、すなわち自分をのろうこともなければ、人をのろうこともなしに、毎日を過ごして行かれるこの生活法を探し求めていたのであるが、今でもそれを発見したとは信じられない。
 私が黒いブラウスを着ていると、殿堂(タンブル)のマリ・アントワネットに似ている。
 私は自分の望ましく思っていたものになりつつある。自分の力を信じ、外面は穏やかになって、煩わしさとか、争いとかを避けて、必要でないことはなるたけしないようにしている。
 要するに私は少しずつ自分を完成している。私が完成という言葉で意味することを良く理解して下さい。完成というのは、私のことに限った意味の完成である。
 おお! 時よ! それは何事にも必要である。
 時はそれが障害となる時には、この上もなく恐ろしく、この上もなく心をくじかせる、この上もなく打ち勝ち難きものとなる。
 私にはどんなことが降り掛かってくるとしても、今では以前に比べてはるかに用意が出来ている。以前は私は全く幸福ではなかったということを白状しなければならなかったのが腹立たしくてたまらなかった。
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by bashkirtseff | 2008-04-29 22:32 | 1878(19歳)