カテゴリ:1877(18歳)( 96 )

1877.11.13(Tue)

 ムッシュ・ロベール・フルリの意見はいつもムッシュ・ジュリアンの意見と一致しないので、後者の方が良く自分の思っていることを言わないで控えていることがある。階下の男学生はロベール・フルリ、ブウランゼエ(歴史画・肖像画家、当時53)、その他なお数名の教師を持っているのに、私たちはただロベール・フルリだけである。これは公平でない。
 やがてコンクールがあるはずである。第一には場所に対するコンクールで、機会は最上の学生に悪い場所を与えることもあり得る。またそれをいかに利用しうるべきかをも知らないような人に、それと反対の場所を与えることもあり得る。そうしてコンクールは1週間続くはずである。
 それは隔月に1回行われることになっているらしいが、ブレスロオは競技して良い場所を取れば2カ月たった後には自分に有功であったことが分かるからと言って、私に極力コンクールを受けるようにと勧めた。
 私は今夜8時15分前に迎えに来るはずの馬車を待っている間、今、筋肉の見えるようにして自分の形を研究している。
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by bashkirtseff | 2008-01-08 22:56 | 1877(18歳)

1877.11.10(Sat)

 ムッシュ・ロベール・フルリは健康がすぐれないで、疲れていて、私たちの絵を半分も直してくれなかった。誰も褒められたものがなかった。私でさえも褒められなかった。私の描いたものがよいとジュリアンは思っているのだから、私にはむしろ不思議に思われた。それは実際である。けれども私は内心不満な点があった。私は惑っていた。
 私たちは写生を何枚か描いたが、そのうちの1枚のカリカチュア風なのが成功した。ジュリアンが私に指図してそれを彼のアルバムの中に入れさせた。
 不快なことは愉快なことよりもどんなに多く人の心を感動させるものだろう!
 この1カ月の間、私はただ一度、2週間前に例外があったが、それを除けばいつも褒められてばかりいた。けさは小言を言われた。それで私は小言のことばかり忘れないでいる。しかしこれはいつでもそうである。千人の人が褒めそやして、ただ一人の人がつぶやくと、そのつぶやきが千人の人の声以上に良く聞こえるものである。
 午後と夜の裸体習作は直されなかった。ああ! 私はそれほどつまらなくもないのであろう! あなたもご存じの通り、私はモデルが気に入らなかったのである。そうして火曜日に描き出したばかりなのである。月曜日にはモデルのことから少しごたごたがあって、その上、私はその男のすぐ前にしかも接近して足元に座らされたのであった。それは一番骨の折れるくらいであった。心配しないでおいで、私の良い子、人が言い訳をしなければならぬというのは、良い兆候ではありません。
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by bashkirtseff | 2008-01-04 16:43 | 1877(18歳)

1877.11.08(Wed)

 アトリエが閉じられないうちに午後私をそこから引き離しうるものがただ一つある。それはヴェルサイユである。うちの人たちは入場券が手に入るとすぐショコラを私のところへよこした。それで私は着替えに帰った。
 階段で私はジュリアンに出会った。彼は私がそんなに早く帰っていくのを見て驚いた。私は訳を話して、ヴェルサイユよりほかのものは私をアトリエから引き離しうるものはないということを言った。彼は、ヴェルサイユに行くのは、自分の好き勝手なことをして遊んでいるより、いくら良いかしれないと言った。
 ──私は好き勝手なことはここだけでしているのです、ムッシュ。
 ──それは良いことです! 今に2カ月もたったら、どんなに面白くなるかしれませんよ。
 ──いいえ、私は非常に偉くなりたいのです。道楽でデッサンしているのじゃありません。
 ──そうあって欲しいものです! 金の延べ棒を銅の延べ棒のように取り扱うのは罪悪です。私は断言致しますが、あなたの進み方で行ったならば、一年半とたたないうちに本当の才能が現れるようになります!
 ──おお!
 ──繰り返して言いますが、本当の才能がですよ!
 ──まあお気をつけください、ムッシュ、私はそうまでおっしゃられると気が違いそうです。
 ──私は本当のことを言っているのです。あなたも今に自分でお分かりになると思いますよ。この冬の終わりごろには本当に良い絵が描けるようになります。それから6カ月ほど色のことを教えてあげます。そうすると何でもあなたの描きたいものが描けるようになるでしょう!
 恵み深き天よ! 私は馬車で帰りながらもうれしくて笑ったり、泣いたりして、そうして私の絵が5千フランで売れるようなことを想像していた。
 停車場に女だけでいたりするのは……ついに私たちは特別席の汚い席に着いた。雨が降っていた。
 議会で選挙の有効ということが論じられていた。その有効ということがある事件を引き起こして、かけていることが面白くなってきた。
 私は議会へはたびたび行くことは出来ない。そうするとアトリエから離れねばならぬから。あなたに興味が出ると何度も行くでしょう。そうすると毎日毎日が同じ書物の新しいページになります。私は政治のことに非常に興味が出来てくると、眠れないようにあるだろうと思われる。……けれども私の政治というのは、リュ・ヴィヴィエンヌにあって、私にとっては議会に達する途上にあるから、現代からは非常に懸け離れた流行とも言えるのである。1年半、そのくらいは何でもない!
 非常な幸福が私を恐ろしくさせる。
 1年半で肖像画は描けるようになる。けれども風景は? ……あるいは2年3年かかるといわれるかも知れぬ。……私たちは見ていましょう。
 私は美しい顔をしていた。けれども8時になると非常に疲れてきた。それで少なくとも1時間くらいは絵を描かずにはいられなかった。
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by bashkirtseff | 2008-01-04 16:41 | 1877(18歳)

1877.11.07(Wed)

 天気は灰色で湿っぽい。私はアトリエの不健全な空気の中でのみ生息している。町、ボア、それは死である。
 私は十分に仕事が出来ない。
 私はまだ若い。そのことは良く知っている。けれども私がしたく思うことに対しては若いとはいわれない。私は今の年ごろにおいて有名になりたかったのである。そうして推薦状などの必要がないようになっていたかったのである。私はそれを望むのみで何事をもしなかったから、それを望むことが愚かであり、また間違ってもいた。
 私は、青年時代の三時期のうちで、一番楽しい、その時期にすべてのことを期待していた時期が過ぎてしまったころに成功するだろう。私の考えによると、青年時代には三つの時期がある。──16から20まで、20から25まで、そうして25から……それは幾年まででも良い。ほかの人たちの考えている青年時代は気休めと愚劣にほかならないものである。
 30になると成熟が始まる。30を越してもまだ美しくて若い人があるかもしれない。あるいはさらに若くなる人さえあるかもしれない。しかしもう同じタバコではないとアレクサンドル・ロオトレク(ヴィイスバアデンのロオトレクの息子)が言ったが、その通りである。
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by bashkirtseff | 2008-01-04 16:37 | 1877(18歳)

1877.11.03(Sat)

 ムッシュ・ロベール・フルリは私がアトリエに入った時には、もうほとんど皆の絵を直していた。私は彼に私の絵を渡して、いつものように彼の床机の後ろの方に隠れていた。ところが、私は隠れ場から出て来なければならなかった。それほどうれしいことをたくさん彼は私に言ったのである。
 ──輪郭にはまだ未熟なところがありますが、線が自由で正直なところは結構です。この行き方は非常によろしい。もちろんあなたにはまだ経験の足りないところはあります。しかしあなたは学んで得られないものを持っています。お分かりですか? 学んで得られないものですよ。あなたのまだ持っていらっしゃらないものは、学べば得られます。それでまず勉強することですね。
 ──いや、実に結構だ。勉強さえすればあなたはきっと良くなります。私が誓います。
 ──私も誓います、ムッシュ。私は答えた。
 今は2時である。私は私の日曜日を楽しんでいる。私はこの日記を書きながらも、今日買ってきた解剖図と裸体の筋肉の絵を見たいと思って、その方にばかり気を取られている。
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by bashkirtseff | 2008-01-04 16:35 | 1877(18歳)

1877.10.28(Sun)

 シェセッピが私の肖像を描き出した。
 私はこれまでこんな人たちが生きていようとは思ったこともなかった。シェセッピには自分の好きな同情のある人が、かつらをかぶったり、おしろいを塗ったりしていようとは思えなかったであろう。
 常に絶対の真実を話さないような男は詐欺師とも言えるし、うそつきとも言えるし、破廉恥漢とも言える。彼女は彼を軽蔑(けいべつ)している。
 昨日彼女とブレスロオは私の心配(私は昼食に行っていた)に同情して、ピンチオをすぐ私のところへ連れ帰ってやりたいと思っていた。けれどもエスパアニュの娘とそのほかの女たちが、私は金持ちだから私の召し使いみたいなことをするのだと言ってののしりだした。私は彼女に、彼らがアトリエで私のことをどんな風に言っていたかと問いただした。
 ──あの人たちはあなたがもう少し出来ないと好きになるのでしょう。──それから──あなたがいなくなると皆はあなたのことばかり話しています。
 それならいつも同じことである。私はほかの人のように、人に注意されないで過ごすことが出来るだろうか。これは誘惑的なことである。しかしまた不幸なことでもある。
 エスパアニュの娘というのは22と言っているが、その実は25である。そうして絵に対して熱心ではあるが、才能を持っていない。同時に彼女は驚くべきほど善良であって、すべての人に親切である。あなたは、彼女が金をもらって皆の世話をしたり、アトリエの用事をしたりしていたと思うでしょう。
 彼女はロベール・フルリやジュリアンが誰か学生の一人に注意を払っていると、震え出す。彼女はやっと始めたばかりの私にさえ嫉妬心を起こしている。私はお気の毒にも相当の才能があるが、彼女には果たしてどのくらい出来るか私には分からない。
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by bashkirtseff | 2008-01-04 16:33 | 1877(18歳)

1877.10.27(Sat)

 今日はたくさんの褒め言葉をもらいだした。
 ムッシュ・ロベール・フルリは私が驚くべき進歩をしつつあるということと、私が実際に異常な才能を持っているということを話して、彼の満足と驚きを私に示した。
 ──あなたぐらいわずかなけいこでこれほどうまく描ける人はたんとはありません。この絵は大層よろしい。あなたとしては大層よろしい。私はお勧めしますから、マドモアゼル、うんと勉強しなさい。あなたは勉強なされば相当によいものが出来るようになるでしょう。
 相当によいもの、というのが決まり文句である。
 私は彼が、勉強をしている人はたくさんあるけれども、これほどは出来ないと言ったことをば信じる。けれどもそれをそれほどお世辞混じりの文句で言ったようには思わない。
 私はピンチオを見失った。その気の毒な動物は自分がどうなるかということも知らないで、いつも私に連れられて行ってたアトリエへ先回りして待っていた。ピンチオは小さいローマ種のオオカミ犬で雪のように白く、耳が真っすぐに立って、目と鼻はインクのように黒い。私は小さい巻き毛の白い犬は嫌いである。ピンチオは巻き毛ではない。そうして異常にきゃしゃな、岩の間のヤギのような姿勢をしているので、彼を見て褒めない人に出会ったことがない。
 ピンチオはロザリが内気である程度に利口である。ロザリは彼女の姉の結婚式に行っていた。彼女はけさ私をアトリエまで見送ってから出掛けた。
 ──ですがね、ロザリ、母様が彼女に言った、おまえさんはマドモアゼルを一人きりアトリエに残してきたのかい?
 ──いいえ、マダム、ピンチオがマドモアゼルにはついていました。
 私はロザリが全く大まじめでそう言っただろうと思う。けれども私は小さな気違いであるから、私の保護者を見失ってしまったのである。
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by bashkirtseff | 2007-10-27 10:23 | 1877(18歳)

1877.10.24(Wed)

 今夜は若い婦人がモデルに立った。どちらかというと美しい女であった。
 ムッシュ・ロベール・フルリは昨夜アトリエに来て、私は良い学生の一人であるのに、勉強を休んだりするのは良くない、と言った。それをムッシュ・ジュリアンがややお世辞混じりの調子で私に伝えた。
 私の欠席がロベール・フルリのごとき教授に注意されるということが、すでに私にはお世辞にも感じられるのである。
 それにしても! 4年前から私は勉強を始めていれば良かった! と……いつも私はそのことばかり考えている。
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by bashkirtseff | 2007-10-27 10:20 | 1877(18歳)

1877.10.22(Mon)

 今日のモデルは醜い男であったから、みんなして描くのを拒んだ。私は Beaux Arts 〔美術院/ボオ ザアル〕に陳列してあるローマ賞を見に行こうと言い出した。半分は歩いて行った。ブレスロオと、マダム・シモニイドと、ジラアルと、私だけは馬車で出掛けた。
 展覧会は昨日閉じられてあった。私たちは河岸を少し散歩して、古本や版画を見たり、美術のことを話し合ったりした。それからほろを割ったフィアクル〔つじ馬車〕でボアへ行った。あなたにはお分かりになりませんか? 私は何にも言わなかった。言うと彼らの興味をそぐことになるだろうと思ったから。彼らはみんな快活で、作法が良く、お互いに打ち解けるようになりかけていた。
 要するに、すべてがはなはだ良くいっていた。そのとき偶然にも私の家族の人たちの乗っているランドーが私たちのフィアクルの後からついてきた。
 私は御者に先に立たないようにと合図をした。家の人たちは私を見た。そうして私はそれに気がついていた。けれども私の絵描き友達の前で彼らに声をかける気にはなれなかった。私はずきんをかぶって、髪は乱れていて、ぶざまな様子をしていた。家族の人たちは怒って、それよりも悪いことには私のために恥ずかしがっていた。
 全く当惑した。……実際、不愉快な出来事であった。
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by bashkirtseff | 2007-10-27 10:19 | 1877(18歳)

1877.10.20(Sat)

 ブレスロオはロベール・フルリから何度も褒められた。私は褒められなかった。裸体習作は良くできたが、首が悪かった。私はいつになったら本当によく描けるようになるだろうかと恐怖の心で、自分で自分に問うてみる。
 私が勉強を始めてから、もちろん2日の日曜日をば除いて、今日で15日になる。15日!
 ブレスロオはもう2年間アトリエで勉強している。そうして彼女は20歳である。私は17である。けれどもブレスロオはここに来るまでにも長い間勉強をしていた。
 それに私は! 哀れではないか?
 私はわずかに2週間きり勉強していないのである。……
 ブレスロオが良く描くのは当たり前だ!
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by bashkirtseff | 2007-10-14 21:15 | 1877(18歳)