カテゴリ:1877(18歳)( 96 )

1877.11.30(Fri)

 私はとうとうマンドリンをアトリエに持ち込んだ。皆この優しみのある楽器を喜んだ。──これまで聴いたことのない人たちには殊にそうであった。夕方、休みの時間に私が弾いてアメリがピアノで伴奏をしていると、先生が入って来て立ち止まって聴いていた。
 彼がどんなに喜んでいたかをあなたにお見せしたいほどであった。
 ──なるほど私は今までマンドリンはギターみたいにきいきいかき鳴らすものだとばかり思っていましたが、良い音を出すものですね。こんな音の出るものだとは思いませんでした。そうして大層面白い形をしていますね! ああ! これからはマンドリンの悪口は言わないことにしましょう。ああ! 面白かったです。あなたがお笑いになるかも知れないが、確かに心をかきむしられるようですね。本当におかしなものだ!
 ああ! 気の毒な人、あなたもそれでは感じたと見えますね!
 この同じマンドリンは私がある夕方家で大勢の婦人紳士の集まりの前で弾いた時は少しも成功しなかった。それでも彼らは満足してもしなくても皆お世辞を言うような人たちばかりであった。
 輝かしい光と、白いイカ胸と、おしろいは、美観を壊すに十分である。これに反してアトリエの閉ざされたる場所と、夕方の静けさと、薄暗い階段と、疲労と──これらのものはすべてあなたをこの世の中で甘美な、不思議な、楽しい、心地よいものに対して感銘を受けさせるように仕向けるものである。
 私の仕事は恐ろしい仕事である。1日に8時間働いて、その上歩き回ってばかりいて、かつ仕事そのものが多大の慎重と知的努力を要する。およそ自分で何をしているかということを考えないで、すなわち、比較したり、回想したり、研究したりすることなしに、絵を描くほど愚かなことはない。けれどもそんな風にして描いていたら、少しも疲れるということはないだろう。
 昼間が長くなると共に、私はもう少したくさん仕事をしよう。早くイタリアへ帰りたい。
 私は成功せねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2008-03-10 23:00 | 1877(18歳)

1877.11.27(Tue)

 ムッシュ・ジュリアンはムッシュ・ロベール・フルリ、ブーランジェ、及びルフェーヴルの決定に対して多少心を悩まされた様子で私たちのところへ来た。私は彼の言葉を出来るだけ正確にあなたに知らせましょう。
 ──皆さん、試験委員はマドモアゼル・デルサルト(フランス少女)に賞牌(しょうはい/メダイユ)を与えた後で、たった6名きり合格されませんでした。そのほかの方はこの次のコンクールを受けるという資格だけ与えられました。最後の3名はくじを引くことになりました。言うまでもなく、これは婦人の感情を害すまいとするためである。
 ある一つの声が私に向かって、お前もそのくじを引く1人だろうとささやいた。それは極めて当然のことかも知れぬ、けれども私は腹立たしくなった。
 ムッシュ・ジュリアンは皆に多大の感奮を与えたその話の後で、さらに続けていった。
 ──私は誰がその6名であるかということを言うわけに行きませんが、あなた方のうちで誰か私の言う通りをここに書いて下さい。1番は誰です?
 ──マドモアゼル・ウィク。
 ──2番は?
 ──マドモアゼル・バン。
 ──3番は?
 ──マドモアゼル・ブレスロオ。
 ──4番は?
 ──マドモアゼル・ノルトランデ。
 ──5番は?
 ──マドモアゼル・フォルシャンメエ。
 ──6番は?
 ──マドモアゼル・マリ! ポーランドの娘が叫んだ。
 ──私ですか、ムッシュ?
 ──そうです、マドモアゼル。
 ──でも、おかしいわ!
 私は最初の6名の中に入った。アメリもジラアルもポーランドの娘も私の下になった。私は一等後からアトリエに来た人間で、10月の3日から始めたばかりだのに。嫌になっちまう!
 皆が私のところへ喜びに来た。マドモアゼル・デルサルトはあらゆる種類のお世辞を並べ、彼女と妹のマリは私たちのことを今度のコンクールの障壁だと言った。
 ──あなたがわずかな時日の間になさったことは4年もかかってやっと賞牌をもらいだしたよりいくら良いか知れませんわ。
 成功、何といううれしいことだろう!
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by bashkirtseff | 2008-03-09 21:06 | 1877(18歳)

1877.11.26(Mon)

 とうとう私は今日から解剖学を学ぶことになった。絵が済むとすぐ、4時から半まで。
 ムッシュ・キュイエが教えてくれる。彼は私に美術学校を見せてくれると約束したマティアス・デュヴァルからよこされたのである。私はもちろん骨から始めた。私の一つの引き出しの中には脊椎骨がいっぱい入っている、……実物の。
 あとの2つの中にはナープルその他のにおい紙や訪問用名刺などが入っていると思うと嫌になる。
 アトリエから帰ってくるとムッシュ・キュイエが客間の暗がりの中に待っていた。そうして向かい側のいすの上には母様とマルキュアルがかけていた。マルキュアルは海軍司令官の中でもごく派手な人で、10日間帰っていたのであるが、木炭の粉だらけになって、脊椎骨を握っていた私の手に接吻した。私は自分で勉強するためにそれをアトリエから盗み帰ったのであった。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:46 | 1877(18歳)

1877.11.24(Sat)

 今夜アトリエはアメリと私とジュリアンとラ・ボンヌとロザリと、それきりであった。
 ムッシュ・ジュリアンは男の学生のコンクールと私たちのそれと、それから男の学生の描いたカリカチュールを取りにやって男たちに見せた。
 私たちはその絵を眺めながら、火曜日にムッシュ・ロベール・フルリ、ルフェーヴル(肖像画家、当時41/底本:「レエフヴル」)及びブーランジェ(底本:「ブウランゼエ」)によって与えられる真実の決定を予想してみた。
 ブレスロオとフランスの少女(この人はもう4年間アトリエに通って、いつも横顔ばかり描いているが、少しも天才のひらめきはない。しかし欠点のない絵を描く)と、それから今1人の娘との間に競争があるだろう。ポーランドの娘アメリと頑丈なゼンニが絵をしまいに行った。ジュリアンは私にこんなことを言った。
 ──あなたは多分良い成績は得られないでしょう。それは、もう3年も4年もアトリエに通って実際に進んだ腕を持っている人たちと競争するからです。ですが、あなたの首は写生としては確かに最上の一つです。ちょっと類例のないものです。誰でも良い大家に見せて、実物からこんな絵が描けるまでにはどのくらいかかるものでしょうと聞いてご覧なさい。私は保証します。1年以内で描けるという人は1人もないでしょう。しかしまだ完全なものでないことは言うまでもありませんが。
 そういって彼は私の絵をあのフランス少女の絵と比較して一つの教訓を与えてくれた。
 ──あなたのアカデミーには、大変な欠点がありますが、今の絵には目立つほどの悪いところはありません。あなたが1月と3週間たったばかりで、人物を幾つも立たして、こんなふうに、しかも実物から対象を作ろうとなさったことを人に話すと、その人たちはあなたにからかわれているというかも知れませんね。
 ──だって、ムッシュ、私は自分で満足していられないのですもの!
 私がそう言った時は、実際私はそう思っていたのである。
 ──満足していられない?
 ──ええ! 私はもう少し良いものが描きたいのです!
 ──今のままでお続けになったらえらいものが出来ましょう。今まで描いたものだって、さっきも言いましたように、確かに類例のないものですからね。
 彼は大勢の人がいる時には決してそんな言い方はしなかった。それは一つの騒動を引き起こすからであろう。
 そうだ、私はきっと悪い成績ではあるまい。あんなやつらは私が絵を始めてどんなに日が浅いかということを知らないのだ。彼らはモデルを見ないから、似ているか似ていないかの判断がつかないのだろう。
 私には少しの励ましが必要であった。なぜと言うに、今朝は気が沈んで仕方がなかった。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:44 | 1877(18歳)

1877.11.23(Fri)

 あのブレスロオが一つの構図を仕上げた。──「月曜日の朝」あるいは「モデルの選択」。アトリエ中のものが皆描いてある。ジュリアンが私とアメリの間にいる。それから誰々。
 描き方も正しければ、遠近法も良く、顔も似ていて、何もかも出ている。
 誰でもこのくらいのものが出来れば、大芸術家になれることは確実である。
 あなたにはお分かりでありませんか? 私は嫉妬しているのです。それは刺激になるから、悪いことではありません。
 しかし私は描きだしてからまだ6週間にしかならぬ。ブレスロオは私よりも先に始めているから、いつも私の上にいることであろう。でも2月か3月たったらば私は彼女と同じくらいには描けるようになるだろう。本当によく描けるようになるだろう。その上、私にはよい競争者が出来たので喜んでいる。ほかの人たちばかりだったらば、私は眠くなってしまうであろう。
 ああ! 6週間仕事をしたばかりで大家のごとき絵が描きたいと思うのは恐ろしいことであった。
 祖父様が病気なので、ヂナが熱心に付き添ってくれている。ヂナも大きくなって美しくなった!もし神が彼女に少しの幸福をも与えて下さらなかったら、……嫌になってしまう!  私は善良の神に失礼なことを言うかも知れぬ。
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by bashkirtseff | 2008-03-09 20:41 | 1877(18歳)

1877.11.18(Sun)

 夜私は自分の化粧台を写生してみた。その前にロザリの立っているところを写生してみた。その2つがうまくくっついて、実物らしいところが出た。配合が気持ちよくいった。もう少しよく描けるようになったらば、私はもう一度、今度は油で描いてみたいと思う。化粧台と化粧室付きの女中を描く時に、愛の神とか花とか壊れた花瓶とか羽ぼうきとか、その他そういった種類のものを添えないのはこれまで、見たことがなかった。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:23 | 1877(18歳)

1877.11.17(Sat)

 ムッシュ・ロベール・フルリは肖像に満足しなかった。しかし私は概して肖像はよく似るから、また人は自分の持っている品質をば失うものではないから、このことはあまり心配にはならない。私はまた始め直すつもりである。
 競技試験が決定した。競技者が18人あって、私は13番だから、私の下にまだ5人ある。だからそれほど悪くはない。あのポーランドの娘が1番である。実に不公平だ。
 私は裸体習作で褒められた。
 私はいろんな種類の解剖模型と頭蓋骨を買って、それらのものを切開する場合のことを終夜考えてみた。
 あなたは何を持ちたく思いますか? 私は疲れてしまった。この手はもう絵を描くこととたて琴を弾くことよりほかには役に立たなくなってしまいました。
 けれども、ブレスロオに負けるなどは思いも寄らぬことだ。
 私の写生は一番に出来た。
 ──1時間でこれだけ描いた。ムッシュ・ロベール・フルリが叫んだ。まるで人間業とは思えないほどですね!
 私はこういうこともあなたにお知らせしなければならぬ。ムッシュ・ジュリアンやその他の人たちが男子のアトリエで、私には女らしい筆触もなければ、女らしい風もなければ、女らしい能力もないということと、これだけの才幹と力と、否、暴力とさえ言い得るが、それを絵の上に受け継いで、仕事をするのに根気強いところのあるのは、家族の何人の血を受けたものか、それを知りたいということを話したそうである。
 それにしても、私にまだ構図(コンポジション)が出来ないというのは不思議ではあるまいか?
 私には自分の形の釣り合いを取ることも分からない。私はアトリエで一つの風景を描いてみようとした。しかし、構図が出来ない。それは何物にも似もつかない、もちろん私は全然それを自分の頭で、想像で、描いてみた。ところが私は自分の描く人間がどんな歩き方をしているかというようなことには少しも構わなかったのである。否、……これは全く不思議な話である!
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:22 | 1877(18歳)

1877.11.16(Fri)

 私は気の毒なシェッピをアベニュー・ド・ラ・グラン・ダルメの下宿に訪問した。全く芸術家的の屋根裏であるが、どことなしに金持ちらしく見える清潔さがある。
 ブレスロオとその他数人の芽生えの芸術家たちもそこに住まっている。
 部屋の中には写生やら、習作やら、その他興味のあるものがたくさん置かれてある。この芸術的な事物との結合、この空気のみは、私に気持ちの良いものである。
 私はブレスロオほど知識がないことに対してどうしても我慢していられない。……事実を言うと、……私はこれまですべてのことについて少しずつは何でも知っていたけれども、一つのものの中に深く入り込むことがなかった。心配なのは絵においてもそうではあるまいかということである。しかしそうではない。私の勉強している道を、私は良く転回して行くに相違ない。人が以前にあることをしなかったと言うことは、人がそれをなし得なかったという理由にはならない。新しいことを始めるごとに私は疑惑に陥る。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:15 | 1877(18歳)

1877.11.15(Thu)

 私たちは競技試験(コンクール)として一つの首の写生を1時間で描いた。
 結果は日曜日に決まるはずである。私は、しかし、あまり気にしてはいない。仮に私が最後になるとしても、それは公平であろうから、私は1カ月勉強したばかりである。ほかの人たちは皆、大まかに見積もっても、すなわちこのアトリエ以外で勉強したことを計算しないでも、少なくとも1年は勉強している。彼らは絵描きを職業にしているので、一生懸命に勉強してきたのである。
 私が一番恐れているのはブレスロオというやつである。彼女は驚くべき才能を持っており、容ぼうも悪くはない。私は彼女がきっと道を切り開いていくだろうと思っている。私は彼女がジュリアンのアトリエで、500日も描いていたとは考えられない。それに私はたった30日である。言葉を変えて言えば、彼女はジュリアンのところだけでも私の15倍以上仕事をしている。もし私に真の才能があるとすれば、私は6カ月たったら、彼女と同じくらいな仕事が出来るようになるであろう。世間には不思議なことも生ずるであろう。けれどもこの種類のことにおいては、奇跡というものはあり得ない。しかし奇跡は私の求めるものである!
 私は1カ月の終わりに最上になれなかったのは不満である。
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by bashkirtseff | 2008-02-09 19:12 | 1877(18歳)

1877.11.14(Wed)

 私は今日書物と石こう模型を買いにレコオル・ド・メドゥサン〔医学校〕の近所まで行った。ヴァッセの店へ行ったのである。ヴァッセでは、あなたも知っている通り、各種の解剖模型や頭蓋骨(ずがいこつ)などを売っている。さて私はそこで友達から多数の利益を受けた。彼らは私のことを美術学校の解剖教授をしているムッシュ・マティアス・デュヴァル(底本:「マチア・ヂュヴァル」)、その他の人たちに話して、その内のある人たちは私のところへ教えに来ることになった。
 私は面白かった。往来は学校から出てくる学生で一杯になっていた。何という狭い往来であろう。楽器店やその種類のあらゆる店が並んでいて。ああ! いやになっちまう。私はカルチェ・ラタンの魅力、と言って良いだろうが、それを今初めて理解することが出来た。
 私は今私のそばには封筒よりほかに女らしいものを何にも持っていない。その封筒は甚だしく女性的である。その他の物は全く別問題である。こういうのは私だけではない。すべての女が皆私と同じだと私には思われる。
 私にカルチェ・ラタンの話をしてくださいな、まあよかったわ! 私がパリと妥協したように感じられるのはカルチェ・ラタンだけである。例えばイタリアへでも行ったように思われて、もっとも、言うまでもなく、イタリアは全く別種の趣を持っているけれども。
 社交界の人たち、またブルジョアとして知られている人たちは、決して私を理解しないであろう。私が話しかけているのは、彼らに対してではなく、私たちの仲間の人たちに対してである。
 不幸な娘たち、私の言うことを聞いて下さい!
 例えば、私の母などはあんなものの並んでいる店に私が入っていくと恐怖を感じています。おお、あんな物とは何であるか? それは「裸体の百姓たち」である。ブルジョアよ! 彼らは今に私が美しい絵を描いたなら、詩が見られることだろう、花が見られることだろう、果実が見られることだろうと期待するだろう。彼らは決して汚い物を見ようとは思わないであろう。
 私はただ目的のみを見る。私は目標を望んでまっすぐに進む。
 私は書物屋やその他の店に行くと、私の気取らぬ服装のために、ブレスロオまたはその階級の人と間違えられることがあって面白い。彼らは私を見ても以前とは全く異なった、愛想良い、なれなれしい態度で応対する。
 ある朝、私はロザリと馬車に乗ってアトリエに行った。御者に私は20フランを1枚やった。
 ──おお! お嬢さん、お釣りがありませんがねえ。
 実に面白かった!
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by bashkirtseff | 2008-02-07 22:38 | 1877(18歳)