カテゴリ:1877(18歳)( 96 )

1877.02.11(Sun)──ナープル

 トレド(ナープルの町の主要な大通り/底本:「トレドオ」)における私たちの地位を理解するためには、コリアンドリ(石灰または粉を塗った色紙)を投げる慣例の日のことを実見して知っていなければならぬ。ああ! しかしそれを見たことのない人には、あの黒い骨張った幾千の手と、ぼろと、美しい馬車と、羽根と、金飾りと、殊にもリスト(ハンガリー(底本:「ウンガリア」)生まれの音楽者/1811-1886(底本:「1821-1868」))をしてせん望の念に耐えざらしめるほどのその器用な指先と、これらの概念を描くことは出来ないであろう。雨と降る菓子の中を、群衆の叫びの中を、私たちはいきなりアルタムラに引っ張られて、ほとんど運ばれるようにして彼のバルコンへ連れて行かれた。そこで大勢の婦人たちに会った。……その愛想良き婦人たちは皆笑い傾けて私に飲み物を勧めた。私は灯を半分入れてある客間に退いて、頭から足先まで着物にくるまって泣いた。同時に毛織り外とうの古風なひだに感心しながら、私は非常に物悲しくなった。けれどもそれは喜びの混じった悲しさであった。あなたも私のように悲しみながらうれしさを感ずることがありますか?
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-25 19:23 | 1877(18歳)

日付なし

 10時20分にローマを出た。私はまた眠った。今はナープル(ナポリ)に来ている。けれども今度はあまり良く眠れないで、ある一人の気難し屋の紳士が車掌に向かってプラテエ(筆者の犬)のことで不平を並べているのが耳に入った。丁重な車掌は私たちの犬を弁護していた。
 しかしここはナープルである。あなたも私と同じような心持ちになれるでしょうか? 大きな美しい都市に近づくといつも不安になって胸がどきどきする。私はこの町を私の物にしてしまいたくなる。
 私たちはオテル・ド・ルーブル(底本:「ルウヴル」)に着くまで1時間以上かかった。途中の混雑、殊に叫び声とおびただしい雑踏。
 この町の女たちは不思議な頭をしている。メナジュリ(動物の見せ物)で虎や大蛇などと一緒に見せられる女たちみたいな風をしている。
 ローマでは古い物が良い。ナープルでは新しい物よりほかに褒める物はない。
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-25 19:20 | 1877(18歳)

1877.02.08(Thu)──ローマ

 私はヴァンタミル(ヴェンチミグリアーフランスからイタリアに入った時の最初の小都市、サン・レモの手前)で眠りに落ちたきり、精神的に言っても、肉体的に言っても、ローマへ着くまで覚めなかった。ローマからすぐに行きたかったけれども、ナープル行きの汽車は夜の10時まで出ないと言うので、そこで待っていなければならなかった。終日ローマ!
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-25 19:16 | 1877(18歳)

1877.02.01(Thu)

 婦人たちはモナコにおいてのわずか数百フランの金を避けようと用意していた。私は非常に辛辣(しんらつ)な演説をして彼らを正気づかせてやった。そうして母様と私はかご馬車を駆って、日光浴をしながら公爵夫人ド・パロオルを訪問した。婦人は愛想良い人であるが、私たちは悪い教育を受けた者のように婦人を軽くあしらった。
 私たちは比類なき声楽者ヂアズ・ド・ソリアに会った。彼の言うところによると、私に呼ばれたから来たのだそうである。私は彼において一人の友人を見たように感じた。私はテアトル・フランセーズの土間の左手の桟敷に体を落ち着けて、コメヂ・フランセエ団のアガの歌っているのを聴いているような気持ちになった。私は Les Horaces(レ ゾラアス)を聴いた。ローマという名が幾たびも幾たびも華麗な崇高な声で私の耳の中に響き渡った。
 帰ってきて私はリヴィウス(有名なローマ史の筆者/前59-17)を読んだ。英雄、トガ(古代ローマ人の外衣)のひだ、カピトリウム(ユピテルの神殿)、円天井(クポラ)、bal masquè(バル マスケ/仮面舞踏会)、ピンチオ! ……
 ──おおローマ──
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-04 21:01 | 1877(18歳)

1877.01.23(Tue)

 昨夜私は絶望の発作にとらえられて声を立てて泣いていたが、ついに食堂の時計を海に投げ込んでしまった。ヂナが何か変事が私に起こったのではないかと心配して後から追っ掛けて来た。けれども投げ込んだのは時計だけであった。それは青銅の時計で、ヴィルジニイはいないでポオルだけが、ふさわしい帽子をかぶって釣りざおを持っているところであった。ヂナが私と一緒に私の部屋へ帰って来て、時計のことを非常に面白がっているようであった。私も笑いだした。
 かわいそうな時計!
 公爵夫人スウヴァロフが私たちを訪ねてきた。
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-04 20:53 | 1877(18歳)

1877.01.17(Wed)──ニース

 人のよく口にする恋愛(アムウ)とはいかなるものであるか、いつになったら私に分かるだろう?
 私はA…を愛したのかも知れない。しかし今では彼を軽蔑(けいべつ)している。私は公爵・ド・H…を愛したことがあったが、そのときは子供で、我を忘れていた。それは公爵の富と名と異常とにふさわしき、また法外な……空想にふさわしき愛であった。
[PR]
by bashkirtseff | 2006-07-04 20:49 | 1877(18歳)