カテゴリ:1877(18歳)( 96 )

1877.12.31(Mon)

 何だか気持ちがすぐれない。祭日を休まなかったから、それで私は気がすぐれないのであろう。スイスの娘たちの家へ降誕祭の木を見に行った。輝いて愉快であったけれども、私は10時まで仕事をしたので眠くてたまらなかった。私たちは運命を占わせた。ブレスロオは花輪をもらいだし、私はローマ賞をもらいだすということであった。そうしてその他の人たちは失敗するということであった。それにしても、全く不思議である。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:26 | 1877(18歳)

1877.12.30(Sun)

本文なし
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:25 | 1877(18歳)

1877.12.29(Sat)

 今日はムッシュ・ロベール・フルリに大層気に入られた。彼は少なくとも半時間は私の描いている実物大の2本の足の前に立っていて、また私にこれまで一度も絵を描いたことはなかったかとか、本当に真剣になって絵を学ぶつもりであるかとか、いつ頃までパリにいられるはずかとか聞いた。彼は私にどうして成功するようになったかと尋ねて、始めて油で描いたのを見たいと言った。私はただ慰みに描いていたと答えた。彼がいつまでも私のそばにいるので、皆が話を聞きに集まってきた。そうして皆の(多分)驚いている中で彼は私に絵の具を使いたければすぐ始めても良いと言った。
 それに対して私はそれほど絵の具が使ってみたいというのでもないということと、どっちかと言えば線画を完全にしておきたいということを答えた。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:25 | 1877(18歳)

1877.12.22(Sat)

 ロベール・フルリが私に向かって言った。──誰だって自分で満足するということは決してないものです。
 そんなことをジュリアンも言った。実際私は自分で満足したことがないから、その言葉がまた考えられるようになった。ロベール・フルリはその他さまざまの喜ばしいことを言ってくれたが、その後で私はそう言って下さってありがとうと言った。その訳は、私はもう全く自分というものが嫌になって、気抜けして、失望していたところであるから。そう言うと彼はびっくりして目を見張った。
 実際私は気抜けしていた。私の描いたものが人を感心させなくなってから、私は気抜けしてしまった。これは甚だしく不幸なことである。
 事実は私は未聞の進歩をしたのである。彼はいつも私が異常の才能を持っているということを繰り返した。私の描くものは「よく似る」とか、「全体の調子がよい」とか、「線が正しい」とか言われた。「これ以上どうしたいというのです、マドモアゼル? あまり分からないことを言うんじゃありません。」彼はそう言って言葉を結んだ。
 彼は長い間私の画架の前に立っていた。
 ──もうこのくらい描けるようになれば、彼は言った、始めに首を指し、それから肩を指して、こんな風に肩を描くには及ばないのです。
 スイスの娘たちと私は変装してボナ(宗教画、肖像画家/当時44歳/底本:「ボンナア」)のところへ行って男性として画室に入れてもらえまいかと頼んでみた。もちろん彼は50人の若い男性は少しも監督の下に置かれていないのだから絶対に不可能なことだと言って断った。その次に私たちはムンカクシ(私はどうつづるのだか知らない)というウンガリアの画家のところへ行った。この人は立派な家を持っていて、非常に才能のある人だ。スイスの娘たちは12カ月前に紹介状を持って訪ねていったことがあるというので、彼は良く知っていた。
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by bashkirtseff | 2008-04-26 20:23 | 1877(18歳)

1877.12.15(Sat)

 期待されていた通りブレスロオは非常な成功をした。絵が大層良くなったのである。私はどうかと言うに、頭は大変に良いそうで、裸体も悪くないとは言われる。
 私は……自分でもなんと言って良いか分からない。ブレスロオは3年勉強しており、私はたった2カ月きり勉強していない。考えてみると、つまらないことだった。ああ! 3年前から始めていたら、たった3年で良い、3年と言えば長い年月ではない、私は今ごろは有名になっていたものを!
 アトリエでは1つの喜劇が始まっている。皆で金を出し合わせてムッシュ・ロベール・フルリとムッシュ・ジュリアンに皆の写真を贈ろうということになった。ちょうどそのときエスパアニュの娘は、自分が首席だと思い込んで、ブレスロオに失敬な態度を見せたので、ブレスロオが激しい答え方をして、それで学生たちが2組に割れてしまった。
 スイスの娘たちは、5人とも、一心同体となって、エスパアニュの娘に口を利かなくなった。ウィリアム・テル(底本:「ヴィルヘルム・テル」)の子孫の人たちは写真の寄贈を拒絶して、とうとうすっかり怒ってしまった。私は彼らを皆控室へ呼んで、そんなまねをするのは愚ではありませんかと話してみた。彼らは先生に対して失礼な申し出をして、同時にエスパアニュの娘をそれだけ重く考えさせて喜ばせていたのだから。
 それで彼らは決心を考え直すことになった。そのとき私はエスパアニュの娘を自分の優越者と絶対に認めないことを知らせてやるために、今朝9時になったらば金箱を開けてみることにしようと言い出した。恐ろしいエスパアニュの娘はまだ来ていなかった。皆は私の言い出したことに賛成して、それを実行することになった。私が数えてみたらば107フランと1スウあった。それで私はその結果を報告に計算室へ出掛けた。
 ──マドモアゼル・A…は見えていますか? と私は、その娘に絵を習わせているリンゴ売りみたいな女に尋ねられた。
 ──いいえ、マダム。
 ──不思議ですね。私はあの人だとばかり思っていましたが、……
 ──生徒が皆して集めた金なのですよ、マダム。だから皆してその結果を知りたいと思って、皆の見ているところでお金箱を開けたのです。さよなら。
 エスパアニュの娘が来た。彼女は何にも言わなかったが、私はまた1人敵が出来たのを誇りうる。私はそんなことを何とも思っていないことをも誇りうる。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 22:04 | 1877(18歳)

1877.12.12(Wed)

 1時に司祭と副司祭が来て、祖父様に最後の塗油式を施した。母様は泣きながら声高く祈っていた。司祭たちが帰ると私は食事に行った。人間の中には必要からとは言いながらどんなに多く野獣的なものが残っていることだろう。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 21:59 | 1877(18歳)

1877.12.11(Tue)

 祖父様は口がきけなくなった。この人が、ついこの間まであんなに丈夫で、あんなに精力があってあんなに若々しかったこの人が、今ではまるで死骸(しがい)のようになって横たわっているのを見ると……恐ろしくなる! ……
 私は相変わらず骨を写生している。私はブレスロオや、シェッピやその他、スイスの連中と今までより良くなっている。
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by bashkirtseff | 2008-04-12 21:58 | 1877(18歳)

1877.12.09(Sun)

 ドクトル・シャルコオが今帰ったばかりである。私は診察の席にいて、後で医者同士が話し合っているところにも立ち会った。それは私だけが平静に落ち着いていた人間であって、第3番目の医者か何ぞのような顔つきをしていたからである。とにかく彼らは今までは最後のことまでは考えていない。
 お気の毒な祖父様、彼が今もし亡くなったら、どんなに悲しまねばならぬだろう。なぜと言うに、私たちはよくけんかをしたから。けれども祖父様のご病気はしばらくのことであろうから、私は自分の性急な心持ちを償うこともあるだろうと思う。私は一番悪い間彼の部屋に残っていた。本当を言うと、私が病人のそばにいるのはいつもその病気が重大であるという証拠になっている。それは必要でない看護というものが私にはきらいであるから。そうして私はいまだかつて自分で不安を感じない時に不安な顔をして見せたことはなかった。あなたも見る通り、私は自分を褒める機会を決して見落とさない人間であります。
 私は左の目で新月を見た。それが私を苦しめた。
 どうぞ私が祖父様に対して乱暴なことでも言ったように思わないで下さい。私はただ祖父様を一人の対等の者として取り扱ったまでのことです。けれども何しろ病気であるから──しかも重い病気であるから、私は今となって後悔しております。そうして一言もものを言わないで何もかもこらえることが出来たならばよいと思っています。
 私たちは皆祖父様のそばを離れないでいる。なぜと言うに、誰でも出て行くと祖父様はすぐ帰ってくれるようにと頼むのである。ジョルジュもそばにいる。ヂナも離れないでいる。そうして何にものを言わないでいる。母様は心配して病気になった。ワリツキは、親愛なワリツキは、あちらへ行ったり、こちらへ行ったりしている。病人の面倒を見ながら、慰めたり、不平を言ったりしながら。
 私は今一言もものを言わないで何もかもこらえることが出来たならば良かろうと言った。私は虐待されている気の毒な人間のように思われる。こらえねばならぬことと言っては、別に何にもなかった。それでも私はいらいらしてならなかった。そうして祖父様も同じような気持ちになっていられたので私は我慢が出来なくなって、少し鋭い返事をしたりした。そうして自分の方が悪いことが何度もあった。
 私は横じまの外とうに包まれた天使のような真似はしたくない。
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by bashkirtseff | 2008-03-13 22:01 | 1877(18歳)

1877.12.08(Sat)

 芝居を見に行った。非常におかしくって、人々は絶えず笑っていた。私は時間を浪費したことを後悔する。
 この週間は仕事が良くできなかった。
 アトリエの中にはお話しせねばならぬようなことがたくさんある。けれども私は私のアトリエの仕事を一生懸命にしているから、その他のことには何にも煩わされないようにしている。それは私以下のことである。私は今夜後悔している。私は仕事をしなかった。私が笑ったことは事実である。けれどもその内部の満足は私にとって何にも役に立たない。だからそれは不愉快である。私に楽しい心を与えなかったから。
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by bashkirtseff | 2008-03-12 23:13 | 1877(18歳)

1877.12.05(Wed)

 今日は終日暗くて絵が描けなかった。それで私はフィンランドの娘と2人でルーブルへ出掛けた。彼女はどこかイギリスの婦人家庭教師といったようなところがあるので、私は私の海豹のずきんと地べたに届くばかりの外とうの意気を喜びながら歩いていった。
 美しいものを、分かる人と一緒に見ることは本当にためになる。
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by bashkirtseff | 2008-03-12 23:11 | 1877(18歳)