1879.01.02(Thu)

 私の望むのは、1人で出歩くことの自由である。行ったり、来たり、テュイルリー〔パリの宮殿の跡/1871年焼失/底本:「チュイルリ」〕や、ことにルクセンブルクの庭園の腰掛けに掛けたり、美術店の陳列棚をのぞいて歩いたり、教会堂や博物館に入ってみたり、夕暮れの古い町々を歩いてみたりすることの自由である。これが私の望むところのものであって、これらの自由がなければ真の芸術家にはなれない。あなたは私が見るものから利益を得られると思いますか、いつも人に付き添われて、例えばルーブルに行くにしても、馬車を待たねばならず、供の女または家族の者を待たねばならぬといったような風にして?
 ああ! わざわいなるかな、私が口惜しくてたまらぬことは、女だということである! ──私は男のように自由になれるなら、ブルジョアの服装をして、かつらをつけて、みっともない風をしたって構わない。そんな自由が私は欲しいのである。それが得られなければ、真剣なことは1つも望めない。
 こんな愚かしいいら立たしい障害のために心は押しつぶされる。よしんば私が変装してうまくみっともない風になりおおせたとしても、なお私は半分きり自由は得られまいと思う。なぜと言うに、歩き回る女は無思慮であるから。それでいつイタリアとローマへは行けるだろう? ランドー〔4輪ほろ馬車〕で古跡を見に行きたくなった。
 ──マリ、どこへ行こうね?
 ──大円形劇場へ。
 ──だって、あそこはもう行ったじゃないの! それよりお芝居か、プロムナードへ行きましょう。きっと大勢人が出てますよ。
 これは全く私をがっかりさせるものである。
 なぜ婦人画家が出ないかという理由の1つもこれである。おお、深き無知よ! おお、残酷なる習俗よ! しかし、こんなことを言ったって何になるだろう!
 私たちが仮に極めて理性的な話をしたところで、昔から決まり切った陳腐な嘲笑の種となるのが関の山である。女の使徒たちもこの嘲笑を受けてくじかれてしまった。つまりは笑い者にされるだけである。女はいつまでたっても女であろう! しかし……女は男が訓練されていると同じ方法で育てられてきたものであって、私の遺憾に思っている不平等も今になくなるだろうし、そうすると自然固有のものだけが残ることになるであろうし、……そんなことをも私は考えてみる。それにしても、私たちはこの平等を100年以内に得るために、叫んだり愚弄されたり(それを私はほかの人たちに任せる)しながら進まねばならぬであろう。私はどうするかと言うに、私は自分を束縛するあらゆる不利益を廃して何物かになった1人の女のあることを社会に知らせる一例を示したいと思っている。
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by bashkirtseff | 2008-12-04 08:59 | 1879(20歳)
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