1878.12.29(Sun)

 私は長いすに頭を持たせかけて8時まで熟睡していた。寝床から出てこんな風にして眠ることは何という心地よいものだろう。
 私は美術をとらえていられなくなった。そうして何物にも私の心を落ち着けていられなくなった。私の書物は皆梱ってしまっている。私はラテンも古典も忘れてしまって、全くのばかになってしまったような気がする。殿堂や円柱や、イタリアの景色のことを思うと、この乾燥した、利口な学問のある開けすぎたパリが嫌でたまらなくなる。人間はここでは皆醜い。ここは高級な者にとっては楽園であるそうだが、この楽園は私にとっては何物でもない。おお! 私は自分で間違っていたことが分かってきた。私は賢明でもなければ、幸福でもない。私はイタリアへ行きたい。旅行がしたい。山と湖と森と海が見たい。……けれども私の家族の人たちや、おびただしい荷物や、彼らの毎日の小さい口争いや告げ口や煩わしさなどはどうだ? ああ! 否、100倍も否である。旅行の楽しさを楽しむのには、私は待たねばならぬ。けれども時が過ぎ去る。それはなお悪いことである。私は自分でその心にさえなればイタリアの公爵と結婚することがいつでも出来る。だから待つことにしよう。……
 私はイタリアの公爵と結婚しても、なお美術家ではありたいと思う。金が私の物であるだろうから。しかし私はそのうちのいくらかを公爵に与えねばならぬ。……それからも、私はここにいて絵を続けようと思う。
 2日間で仕上げた私の絵が土曜日に少しも悪いと言われなかった。──あなたには知っておいて頂けるでしょうが、私がフランスにでも、イタリアにでも、その他どこにでも好きなところに住んでいられると思うのは、誰かあるイタリア人と一緒になってのみであります。何という楽しい生活でしょう! 半分はパリで暮らし、半分はイタリアで暮らすのである。
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by bashkirtseff | 2008-12-03 12:06 | 1878(19歳)
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