1878.12.27(Fri)

 1週間アトリエに行かなかった。この3日間私は回想を書き留めておこうと思っていたが、どうしても思い出せない。私は3階にいる若い婦人の歌い声で気を散らされて、イタリアにいたころの日記を繰り返して読んだりしていると、私の思想の糸は断ち切られ、楽しからぬでもない物憂い心持ちが逃げてしまった。
 私がそのころ極めて単純な出来事を記すのにも大げさな言葉を平気で使っていたことを思うと、今では不思議でならぬ。
 しかし、そのころ私の心は高い感情で満たされていたから、不思議な、物珍しい、ロマンチックなことが書けないのが気になって、自分で自分の感情の通訳者になっていたのである。絵を描く人ならば私の言っていることが分かるであろう。それはそれでよい。けれども私にどうしても分からないことは、聡明でありたいと思う娘が、なぜ男とか書物とかの価値を評価するためにいま少し学ばなかったのであろうということである。私がこんなことを言うのは、私の家族の者が、例えば、A…はつまらない人物であるとか、その人のためには最小の面倒を見るにも値しないような人間だとか、いったようなことを私に話してくれねばならなかったはずだと、私は今にして思うからである。要するに、うちの人たちは、彼のことを全く無分別に私に話して聞かせた。これは私の母が私より若いからである。けれども、それにもかかわらず、私は自分の聡明ということについて高い意見を持っているから、よりすぐれたる判断者となって、彼を普通一般の人と同様に取り扱って、私の日記の中においても、その他のものにおいても、彼を大きく認めなかったのである。
 けれども私は記すべきロマンスを持ちたいと思う心で満たされていた。実に私は愚かであった。ロマンスなくしていっそうロマンチックであった、と言えるだろう。要するに、私は大言壮語はしていたものの、まだ若くて無経験であった。これだけのことはどんな不利益になっても私は自白しておかなければならぬ。
 さて! 今私は誰かがこう言うだろうというような気持ちがする。あなたのような気の強い女は、自分の言った言葉を取り消さないものだ。
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by bashkirtseff | 2008-12-03 12:04 | 1878(19歳)
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