1878.09.04(Wed)

 カントは事物は私たちの想像によってのみ存在すると主張している。それは言い過ぎてはいる。しかし感情の範囲内では私は彼の学説を承認する。……事実上、感情は事象または人間の私たちに与える印象によって生じたものである。そうして事象は必ずしもそれらがある通りのものではなく、一言にして言えば、客観価値というようなものはなく、私たちの精神内においてのみ実在しているものであるから、……いや、こんな理屈をたどっているためには、私は早く寝ないようにしたり、朝は幾時に始めて私の絵を土曜日までに仕上げねばならぬとか思ったりしないことが必要であろう。
 常用の言葉において、人は私が考えているより別のものを名付けて想像と言っている。人は愚かしいことや狂気じみたことを言うのを想像と呼んでいる。さもなければ……恋愛というようなものが想像以外に存在しうるだろうか? それは他のすべての感情と同じである。あなたもお分かりの通り、この哲学の足場は立派なものである。しかし私ごとき単純な女でもそれを誤りだと示しうる。
 事象は私たちの精神内においてのみ実在性を持つと人は言わないか? なるほど、それで私はあなたに言います、対象は目を撃ち、音は耳に入り、そうしてこういったようなものが……事象が、すべてを決定せしめるのである。……そうでなかったならば事象は存在の必要がなく、私たちがすべてのものを造り出さねばならぬであろう。もしこの世に何物も存在しないならば、どこに何物が存在するだろう? なぜと言うに、何物も存在しないということを断定しうるには、それがどこであるにもせよ、もし客観価値と想像価値との差異を理解するためには、まず何物かの実際の存在を知らねばならぬから。もちろん… 他の遊星の住人たちは私たちとは別な見方をするであろうし、その場合それは当然なことである。しかし私たちはこの地上におって、ここにいつまでもとどまっておって、上の世界のことや下の世界のことを研究することを要求する。そうしてそれで十分である。
 私はこんな学問的な、根気仕事な、世間離れした、abracadabrante な〔まじないのような〕愚かしいことに熱心になる。非常に緻密な、非常に学問的な、こんな推理と、こんな推論とに。……そこには私を悩ましくするものが1つある。 それはすっかり間違っているように感じられることである。もっとも私にはなぜだかそれを発見しようとする気持ちもなければ時間もないけれども。
 私はこんなことをすべて誰かと話してみたいが、私は全く孤独である。しかしお断りしておきます、私は自分の考えを人に押し付けようとは思わない。私は自分の思うことを率直に話し、人が良い理論を持ち出した時にはすぐに受け入れるつもりである。……
 私はあまり大きなことを言って自分をこっけいにすることなしに、学者の話を聞きたくもあり、また聞かねばならぬ。私はどんなに、どんなに学問の世界に入り込んで、見たり、聞いたり、学んだりしたいと思っているでしょう。……しかし、私が熱望しているものを誰にまたどうして求めたら良いか知らない。それで私はどんな研究の中へ自分を投げ入れて良いか分からないで、ただぼうぜんとして、あきれ果てながら、利益の宝庫の各方面、すなわち、歴史、言語、科学、最後に全世界を瞥見したのみである。……私はすべてを同時に見、すべてを知り、すべてを学びたい!
[PR]
by bashkirtseff | 2008-11-26 14:27 | 1878(19歳)
<< 1878.09.13(Fri) 1878.09.01(Sun)... >>