1878.08.29(Thu)

 いかなる真意によってだか分からないが、今朝私は朝寝をした。9時になってもまだ着替えが出来ていなかった。すると誰だったか祖父様が悪くなったと知らせて来た。私は着替えをして祖父様のところへ行った。母様も叔母もヂナも泣いていた。ムッシュ・G…は勝手に出たり入ったりしていた。私は何にも言わなかった。そんな恐ろしい場合に説教をしてはいられなかった。10時に司祭が来た。数分たつとすべてが終わりになった。
 私は最後まで司祭と一緒にひざまずいていた。祖父様のお気の毒な額に手を置いたり、その脈を取ってみたりしながら。私は祖父様が死ぬのを見た。非常に苦しまれた、お気の毒な親愛な祖父様。……私は決まり切ったことは言わないことにしよう。祖父様の寝台のそばで行われた宗教的儀式の間母様は私の両腕の中に倒れていた。母様は皆に抱えられてご自分の部屋の寝台に寝かされた。皆が声を立てて泣いた。ニコラスまでが。私も泣いたけれども、私は声を立てなかった。祖父様の寝かされている寝台は乱雑になっていた。嫌な召し使いたちだ。彼らの示す熱心を見ると腹立たしくなる。私は自分で枕を直して、レースの付いたきれいなカンブレー麻をかけて、祖父様の好いていられた寝台──鉄の寝台で、ほかの人には貧乏くさく思われたかも知れぬ──に肩掛けをかけた。周りには白のモスリンをかけた。白は今飛び去った魂の善良と今鼓動をやめた心の純潔とにふさわしい。額に触ってみると、もう冷たくなっていた。それでも恐ろしくも、気味悪くもなかった。打撃は予期されていても、それが降り掛かってきた時は驚いてしまうものである。
 私は葬式の報告の電報を書いた。それからひどくヒステリーの発作を起こしている母様に気を付けてあげねばならなかった。私は自分で適当な態度を取ったと思っている。声を立てて泣かなかったのは他の人より感じ方が少なかったからだとは思わない。
 私は自分の夢と実際の感じを区別することが出来なくなった。
 喪服を注文せねばならなくなった。私の家族は外面的の喪装は全然省略することが出来る。皆は、世間が心の喪に服することを考慮に入れないということ、及びクレープ〔喪服のきれ〕をたくさんつければつけるだけ、良い母であり、また、あきらめのつかぬ未亡人であると世間では思っていることを理解しないのである。
 空気は花のにおいと土や香のにおいとで満たされている。暑いのによろい戸は皆閉められている。
 2時から私は気の毒な死んだ祖父様の肖像を描き始めた。けれども4時になると太陽が部屋の中へ入ってきたので、やめねばならなかった。それでほんの見取り図になってしまいそうである。
 私は何もかもどうして良いか分からない。
 けれども私は直覚してどこまでも礼儀にふさわしくしていこうと思う、自分ではもちろん人情は持っているけれども。
 私は起こったことを書き留めるために絶えずこの帳を開けてばかりいる。
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by bashkirtseff | 2008-11-22 11:24 | 1878(19歳)
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