1878.07.03(Wed)

 M…が別れを言いに来た。ちょうど雨が降っていたので、私たちに一緒に展覧会へ行かないかと彼は言い出した。
 私たちは同意した。けれども、出掛ける前に、ちょっと2人きりになると、彼は私にそんなに残酷にしてくれるなというようなことを言った。
 ──あなたはご存じの通り、私は気違いのようになって、あなたを愛しているのです。彼は言った。そうして苦しんでいるのです。私は、人が真実愛している時に、ただ冷笑のほか何物も見せてもらえず、からかいのほか何物も聞かせてもらえないというのは、どんなにつらいものであるかを、あなたに知って頂きたいのです。
 ──あなたはご自分の感情を誇張していらっしゃる。
 ──おお! 否、私はいくらでも誓います。どんな証拠でもお目にかけます。どんな真心でも、誠実でも、犬のような忍耐でも。ただ一言言って下さい。──私を信じているとだけ言って下さい。なぜあなたは私を野師か何ぞの様に──一段下の人間のようには取り扱うのですか?
 ──私はどなたにでも対すると同じようにあなたにも対しているのですもの。
 ──なぜです? 私がほかの人と違った愛し方をしているからですか、私が心も魂もささげているからなのですか?
 ──私良くそういった感情を起こさせますのよ。
 ──でも私のは別です。少なくともこれだけのことは信じさせて頂きたいのですが、あなたは私に対して嫌ってはいらっしゃらないでしょう?
 ──嫌って? おお! そんなことはありませんわ。
 ──でも何より私にとって恐ろしいことは無頓着な態度で取り扱われることです。
 ──ああ! それで、……
 ──私が去っても2、3カ月は私のことを忘れないと約束して下さい。
 ──それは私の力ではどうすることも出来ませんもの。
 ──せめて私の生きてることくらいはいつも思い出して頂けますまいか? ……多分あなたは私のことを思い出してお笑いになるのでしょう。どうか時々は、それも本当に時々でよろしいのですが、私に手紙をよこして頂けませんか。たった一言でも。
 ──何と言って?
 ──おお、あなたの署名も何にも入りませんから、ただ「無事にしている」と、それだけでたくさんです。それだけでも私はどれほど幸福になるか知れません!
 ──私は自分の書くものには皆署名します。私は署名ということを重く見ています。
 ──それでは聞き届けて頂けますか?
 ──私は「フィガロ〔雑誌の名〕」みたいで、誰からも通信をもらうのが好きなのよ。
 ──おや、おや! あなたは、まじめな言葉を1つもかけてもらえないで、いつもばかにされていると気違いにでもなりそうだということがお分かりでないのですか? どうかお願いです、まじめな話をして下さい。あなたは別れ際になってさえ、私を少しも気の毒に思わなかったと言われたくはおありでないでしょう。私はこういうことは望まれないでしょうか、私のあなたに対する尊敬、献身の心、愛が……いや、何でもあなたの好きな条件を持ち出して、私を試みて下さい。そうして私はこういうことは望まれないでしょうか、そのうちにはもう少し親切にしてもいただけるだろうと。そうして、いつもばかにされ通しでもないだろうということは? ……
 ──試みとおっしゃれば、私はまじめになって答えた、たった1つだけはあります。
 ──そうしてそれは? 私は何でもいたします!
 ──それは時です。
 ──時。そうですか。じゃ、見ていって下さい。私はいくらでもこらえられます。
 ──そうだと非常に有り難いわ。
 ──でも、あなたは私を信頼して下さるでしょうね?
 ──信頼? ええ、信頼しています。あなたに手紙をお頼みしても、きっと開封しないだろうと思うくらいに信頼しています。
 ──なんて嫌な! 否、絶対の信頼です。……
 ──なんて、大変な言葉でしょう!
 ──私の愛だって大変なものじゃないでしょうか? 彼は静かに言った。
 ──私はただそれを信じていましょう。そんなことを言われると女の虚栄心はおだてられるものです。私はどうかしてあなたを信頼したいと思っています。
 ──本当ですか?
 ──本当です。
 私たちは展覧会へ行った。私はM…がいかにもうれしそうにして、私が彼の言うことを受け入れたか何ぞの様に話しかけられて困ってしまった。
 私は今夜は本当に喜ばしい心持ちである。M…の愛はA…の愛と全く同じような効果を私の上に与えた。それで、あなたは私がピエールを愛しなかったわけがお分かりでしょう。私は彼を少しも愛してはいなかった。もうほとんどそのしきい際までには来ていたけれども。それがどんなに恐ろしい興ざめであったかは、あなたが知っていらっしゃるはずです。
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by bashkirtseff | 2008-11-18 08:47 | 1878(19歳)
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