1878.05.25(Sat)

 ──これはあまり良くいっていませんね。ロベール・フルリが言った。
 私もそれを感じていた。私は彼に静物の研究を勧められてなかったならば、希望の最高峰から落ちていたに相違ない。──そうなったらこれは重大なことになっていただろう。
 私たちは Les Fourchambault を見にフランセエへ行った。この絵は非常に称賛されているが、私は少しも好きにならない。
 私は1つの帽子を持っていた。……しかし今ではそれは少しも興味をひかない。……私の望みは際だった様子をしていたいことである。……近ごろではそれもあまり考えなくなってきた。
 どうしても私は大芸術家にならねばならぬ。……私は仕事を見捨てるたびにあらゆる種類の痛いほどの刺激によって、そのことを考えさせられる。
 もし私が政治的サロンの夢を、その次には社交界の夢を、その次には金の多い結婚の夢を、その次にはまた政治の夢を持たなかったならば、どうだっただろう?
 すべてこれらのものについて私はある程度まで自然的に、人間的に、女性的に私の生活を整頓しうることが出来ると、そのころは思っていた。けれども少しも出来なかった!
 このいつも決まり切った冷淡な不幸は今では私を笑わせることさえしなくなった。
 それは私に、非常な冷たさと、すべての人に対する限りなき軽蔑と、推理力と、知恵と、性格の素質になるものとを与えた。この性格の素質になるものというのは、冷静で、ごう慢である時には、同時に活動的でもあれば、粗野でもある。神聖なる火はどうかと言うに、それは隠れてしまって、野蛮な観察者たちは、すなわち俗人たちは、それが燃えているとさえも思わない。彼らは私のことを何物に対してもわらほども気にする女でないと考えている。私は、しかし、心のない人間ではない。私は批評もすれば軽蔑もすれば、嘲弄もする。
 もし優しい感情がこの上なお私の最奥の自己の中へ投げ返されるとしたならば、彼らはこの恐ろしい不遜に対して果たして何と言うだろうか? 彼らは怒り、かつ悲しんでますますその身を隠してつぶやくであろう。
 私は荒々しいことを言って、自分で喜び、人を驚かして日を過ごしている。激しい調子で物を言わなければ、害悪は生じないであろう。もしそれがあらゆるものにおけるこの不幸から生まれたものでさえなかったならば。
 例えば、私が bon Dieu〔善き神〕に対して私の有名な願い事をすると、司祭が私にパンとぶどう酒を与えた。それを私は受け取ったがそのときパンの切れは習慣に従ってぶどう酒なしであった。そのパンが私の手から2度まで落ちた。それで私は苦しかった。けれども私は何にも言わなかった。それが拒絶を意味しないようにと望んで。
 けれどもそれは拒絶を意味していたように思われる。
 これは私の芸術がまだ残っていて、それに対して私は自分の生涯をささげねばならぬということを立証するものである。もちろん私は気まぐれにそれを時々見捨てることもあるだろう。けれどもその後ではまたさらにいっそう清められ、かつ懸命になって戻って来るであろう。
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by bashkirtseff | 2008-11-13 10:41 | 1878(19歳)
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