1878.04.28(Sun)

 私は真夜中のミサに人々を私たちの教会へ招待しようという気違いじみた考えを起こした。
 右手には大使と公爵ロイヒテンベルグと彼の妻マダム・アケンフィエフが立っていた。公爵はフロランスで亡くなった大公夫人マリの息子で、皇帝のおいに当たる人である。この夫妻は私がローマにいたころその地にいた人たちで、マダム・アケンフィエフはまだ大使館に招待されていなかった。けれども今では彼女は大公夫人の役目を完全に演じている。彼女はまだ美しくて、やせてはいるが、非常に立派である。夫の方は妻に微細な注意をはらっている。それが美しくもあれば、褒むべきことでもある。
 大使は復活祭の晩さんを催した。それはミサのすぐ後、真夜中の2時に、教会のすぐ近くの牧師の家で開かれることになった。
 けれども招待状を発して客を受け取ったのは大使であった。だから私たちは運良くも大公とその妻と大使と及びパリ在住のロシア最高の社交団と同じ食卓に着くことになった。
 私は気が引き立たなかったけれども、全体から言って別に悩まされてはいなかった。なぜと言うに、私はまた新しい熱心をもって仕事に帰れると思ったから。
 鰥夫(かんふ)となっている公爵オルロフはなぜ私に恋して私と結婚しないのだろう? そうなったら私はパリにおける大使夫人となって、ほとんど皇后のような身分になれるのである。テヘラン〔ペルシアの一地方〕の大使をしていたムッシュ・アニチコフは55を過ぎて若い娘と恋の結婚をした。
 私は自分で思っていたほどの効果を作り出せなかった。ラフェリエエルが遅れて来たので、私はあまり似合わしくもない服装をしていなければならなかった。私はセミゼット〔胸着〕をこしらえ直さなければならぬ。上がデコルテだから、着物のことに私の気分は動かされ、気分にまた私の表情や挙動は動かされた。
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by bashkirtseff | 2008-11-11 10:57 | 1878(19歳)
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