1878.04.12(Fri)

 昨日ジュリアンがカフェでロベール・フルリに会った。ロベール・フルリは私のことを非常に面白い驚くべき生徒で、前途を期待していると言ったそうだ。
 私は一種説明すべからざる恐ろしい不安に襲われた時には、またあらゆる種類の疑惑と痛苦の谷底に落ちつつあるように感じる時には、ことにこんな話をいつも聞いていなければならぬ!
 近ごろ幾たびもあったことだが、私の部屋にろうそくがちょうど3本一緒になったことがある。──それは死の象徴である。
 次の世界へ行く運命を持っているのは私であろうか? 私にはそう思われてならぬ。そうして私の将来はどうなるのであろう? 私を待っている名誉はどうなるのであろう? そうなったら、何らの価値もなくなってしまうだろう。
 もしその場面に一人の男がいたならば、私はまた自分が恋をしていると思ったであろう。それほど私は不安になっている。けれども幸いにしてそこには誰もいない。のみならず、私はすべてのことに嫌悪を感じている。……
 しかしながら私には、人が自分の空想を追ってもその威厳を失わないと思われるような時もある。また反意に、人は空想を拒まなければ、自分の誇りを確実に維持しながら、他人の意見には無関係であり得ることもある。おお! 彼らは皆私が一瞬時の思考を費やすことさえ出来ないほどに貧弱で、無価値な人間たちである。第一、彼らは皆足にたこが出来ている。これは国王と言えども許されないことである! 私が仮に足にたこの出来た男のことを考えていると想像してみて下さい!
 私は美術に対する真実の熱情を持っているように感じてきた。それが私には安心にもなれば、慰めにもなる。私はそれ以外に何物をも望まない。それ以外に何物をも望まないほどに私はすべてのものに対して嫌悪を感じている。
 もしこの不安と懸念がなかったならば、私は幸福であるだろう。
 今日は誠にうららかな、本当の春である。パリにおいて感じられる限りのものを人は皆感じている。もっとも不思議な詩の充満している美しい木の陰、森の中に行っても、必ず給仕人が白い前掛けをめくり上げて、ビールのコップを手にささげて出て来るに決まっている。
 私は日の出ごろ起きて今はアトリエのモデルの前に立っている。せめてこの不安から免れることが出来たならば、どんなに幸福だろう。
 私は子どものころこれとほとんど同じような予感と不安を持っていたことを思い出す。私にはフランス語より外の言葉は1つも覚えられそうもなく思われた。またほかの言葉は1つも覚えることが出来ないだろうと思われた。ところが! あなたも知っている通り、そんなことは決してなかった。ちょうど今と同じようにそれは私の迷信的不安であった。
 この実例が私の不安を救うてくれるように私は希望する。
 私は La Recherch de l'absolu〔絶対の追求〕とは全く別なものだと思っていた。何となれば、私もまた絶対を求めていたから。ところが今では感情の上の絶対はあらゆるものの絶対である。それがために私は一千の計画を考案したり決定したりして真実を表現しようとするけれども、結局ある点までは成功しても正確に的中することは出来ないのである。
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by bashkirtseff | 2008-11-08 09:30 | 1878(19歳)
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