1877.09.01(Sat)

 私は教えてくれる人がないので、ほとんど一人きりで考えたり、読んだりしている。これはあるいは良いことであるかも知れない。また悪いことであるかも知れない。
 私は間違った思考で頭がいっぱいになっていると誰が言いうるものがあろうか? これは私の死んだ後でなければ決められない問題である。
 ゆるし、ゆるす。この名詞と動詞は世界で広く用いられている。キリスト教が私たちにゆるしを命ずる。
 ゆるしとは何だろう?
 それは復讐もしくは刑罰の放棄である。しかしながら私たちが復讐する意思もなく、刑罰を与える意思もない時に、ゆるすということがありうるであろうか? ありうるとも言える、またあり得ないとも言える。
 あり得ると言えるのは、私たちがゆるしたことがあるのを自らにも人にも誓いうるからである。そうして罪というものが存在しなかったかのごとくに私たちが行動しているからである。
 あり得ないと言えるのは、私たちは私たちの記憶の所有者でないからである。そうして記憶している範囲において私たちはゆるしたことがないからである。
 今日は一日家族の人たちと一緒になって、私の手でヂナのロシア革の上靴を繕ってやった。それから女中のするように大きな木製のテーブルを洗って、その上でヴァレニキ(小麦粉と水と新鮮な乾酪でこね合わせた食物)をこしらえた。内の人たちは私が両腕をまくり上げて、「ファウストのように」頭に黒いビロードのずきんをかぶって、粉をこねているのを見て喜んだ。
 それから私は白いインドゴムの色をしたロベスピエール(底本:「ロベスピエル」)型の外とうを着て、ヂナを連れてあのいかさま物ばかりを売っているチロルの女を脅かしに行った。
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by bashkirtseff | 2007-06-23 14:02 | 1877(18歳)
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