1877.08.23(Wed)

 私は今シュランゲンバード(プルスの山地の一小市/底本:「シュランゲンバアト」)に来ている。
 どうして、なぜ? それはこうである。私がほかの人たちと別れてしまって、どうしたわけだか知らないが、一人で困ってしまったからである。私たちは苦しまねばならないから、一緒に苦しんだ方がよい。
 みんなはシュランゲンバードの下宿屋(パンシオン)みたいなところに来ているけれども私は公爵夫人(バロンヌ)の宿のことは十分に知っているので、自分はバーデハウス(浴舎)の部屋をもらいたいと言い出した。ここで得られるうちではそれが最上の家であるから。
 叔母と私は入浴するために便利にできた二部屋をバーデハウスに取った。
 フォオヴルに休養を命ぜられた。私はこの地で休養している。私はもう回復しているとは思わない。不愉快なことになると私は決して自分で間違った判断はしない。
 私はじきに18になる。18という年は35の人から見ればわずかなものであろうが、私にとってはわずかなものではない。私は若い娘としてのこれまでの短い年月において、楽しみは少しきり持たないで、苦しみばかり持っていた。
 芸術! もし私がこの魅力ある言葉を私の目の前の遠いところにでも持っていなかったならば、私は死んでいたに違いない。
 しかし芸術のためには、人は何物をも要しない。私たちはただ私たち自らに信頼するのみである。もし私たちが屈従するならば、それは私たちが何物でもなく、生きる必要のないことを示すのである。芸術! それを私は遠いところにある大きな光のごとく想像する。そうしてそれ以前のすべてのものを忘れて、ひたすらにその光のみを見詰めて、押し進もうと思う。……しかし、おお! 否、否、神様、私を恐れさせないでくださいまし! ある恐ろしい考えが……ああ! 否! 私はそのことは書くまい。私は自分で苦しい思いをするのは嫌だ! 努力せねばならぬ。けれどももしかして、……いや、もう言うことは何にもない。すべては神様のおぼしめしに任せるよりほかはない!
 私は2年前シュランゲンバードに来たことがあった。そのときと今と何という相違だろう!
 そのときは私はあらゆることを希望していた。今は何事をも希望していない。伯父エチエンヌも、彼のオウムも、また来ている。何もかも2年前の通りである。ライン川に沿って同じ道を、同じブドウ畑や同じ廃跡や、同じ城郭や、同じ古塔などを眺めながら、……
 さてシュランゲンバードには緑陰の巣とも言うべき美しいバルコンがたくさんあるけれども、廃跡とか、小さな、きれいな近代的の家の私を楽しませるものは一つもない。私は美と魅力の見いだされるところには、それを認めたいと思うけれども、南国を除いては私の愛するものは何にもない。
 世界中でそれに比較されうるものがあるだろうか? 私はそれを何と言って表現してよいか分からないけれども、私より以前に多くの詩人たちがそれを確言し、多くの学者たちがそれを実証している。
 私はいつもの「つまらないたくさんなもの」を持ち歩く習慣によって、どこへ行っても、1時間もたつとかなり居心地が良くなるのである。衣装棚、文房具、マドリーヌ、数冊の良い書物、足暖炉、私の写真など、こんなもので私の宿屋の部屋も居心地が良くなる。何より私の好きなものは4冊の大きな赤い字引と、大型の青色のリブ(リヴィウス)と、小型のダンテと、中型のラマルチーヌ(底本:「ラマルチイヌ」)と、それからカビネ型の油で描いた、紺のビロードの枠のついた、ロシア革のケースにはまった私の肖像と、それだけである。これだけのものがそろうと、私のビューロー(書き物台/底本:「ビュウロオ」)はたちまち立派に見えだして、さらに2本のろうそくがその光を、目に心地よきこれらのやわらかい色の上に落とすと、私はドイツにいても腹が立たなくなる。
 ヂナは本当に良い……優しい娘である! 私は彼女が幸福にしているのを見るのが、どんなに好ましいだろう!
 それにつけても一言! ある人たちの生活は何という気の毒なごまかしだろう!
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by bashkirtseff | 2007-05-12 16:43 | 1877(18歳)
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