1877.05.30(Wed)

 今私はA…に時期に関する私の日記を読み返してみた。私のたどっていた推理の筋道は不思議なほど正しくいっている。私は今までそのときの真実な考え方を皆忘れてしまって、自分が伯爵A…に対して愛情(過ぎ去った愛情)を持っていたと人に思われはしないかと、それが多少気掛かりであった。……けれども幸いにしてこの貴重な日記があるために、誰もそう思う人はないであろう。実際私はそれほど多くの真実のことを言っていたろうとは思わなかった。また考えていたろうとも思わなかった。もう1年前のことであって、自分でもつまらないことばかり書いてあることと思っていた。ところが、そうでなかったので私は喜んでいる。ただ一つ私に理解の出来ないことは、どうしてあれほど立派な推理力を持っていながら、あんなばかげた行為をしたものであろう? ということであった。
 私は繰り返して私自らに言っておかねばならぬが、たとえどんな忠告があったところで、自分の経験以外のものでは、決して自分のしようと思ったことを変更させることは出来なかったであろう。
 私はそんなに利口であったことをむしろ不快に思っている。けれどもそれはやむを得なかったのである。そうして今に私がそれに慣れてしまうと、それをごく単純なことを見なすようになって、心の内のどこかにいつも潜んでいる理想的純潔という型の内に自分というものをまた入れることになるであろう。そのとき、さらに良いことには、私は自分でそれを知り分けることが出来ないであろうから、いっそう穏やかに、いっそう高慢に、いっそう幸福になるであろう。しかし、今では私は当惑している。まるで人のことか何ぞのように。
 それは、これを書いている女と、書かれている女とが、別人だからである。書かれている人の苦しみが書いている私にとって何であろう? 私は私の書く女の毎日の生活を表にしたり解剖したり書き留めたりする。けれども彼女にとっては、書いている私にとっては、それは全くどうでも良いのである。苦しんだり、泣いたり、喜んだりするのは、私の誇りであり、私の自愛であり、私の興味であり、私の外装であり、私の目である。けれども私は、実際の私自らは、例えばガリバー(スウィフトの漂流記の主人公/底本:「ガリヴァ」)がリリパット(小人国)の人間を見た時と同じような冷静な態度で、それを注意したり書いたり理屈を言ったりすればよいのである。
 私は自分のために言うことはまだたくさんあるけれども、ここではこれだけにしておく!
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by bashkirtseff | 2007-01-18 20:43 | 1877(18歳)
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