1877.05.24(Thu)

 何か仕事をしようとなると二つの目では不足である。読むことと絵を描くことは私を非常に疲らせる。夜になってこんな物を書いていると私は眠たくなる。
 ああ! 青春は何という幸福な時期であろう!
 私はこれから先になって、どんな楽しい心持ちで今のこの学問と芸術にささげられた月日を振り返ることだろう! せめてこんなにして丸一年も続けられたなら。けれども一日とか、たまに一週間とかそれが何になる……神の恩恵を受けているものは何にもしないでいると消耗する。
 私はこの冬は一生懸命に仕事を始めようと考えて気を静めている。けれども私の17という年を考えると耳たぶまで赤くなる。やがて17である。そうして何をしただろうか? 何にもしない。……そう思うと私はがっかりする。
 私は、年取ってから仕事を始めた有名な人たちのことを考えてみたりする。──自分を慰めるために。そうだ、しかし、男なら17は何でもないが、女はその年で23の男に相当する。
 こんな晴れ渡った空と澄み通った夜を見た後でパリとか……北国とかへ行ったならどうだろう! イタリアを見た後で、まだ望ましいことが残されてあるだろうか! ……パリは言うまでもなく文化の中心であり、知恵の中心であり、機知の中心であり、流行の中心である。だから人は皆そこへ行きそこに住まい、そこで楽しむ。……実際、そこにはいろんなものがあるから行かずにはいられない。一つはまた心を楽しませて神の国、選良の国、美しさといみじさと到底形容することの出来ぬ不思議な神聖の国へ帰るためでもある。
 イタリアへ行くと人は皆その小屋のような家と lazzarone(ナポリの町などにごろごろしている不定住者/ラツアロオニ)を面白がったり、機知をろうしたり、そうして洞察を示したりする。けれどもそのときは自分が機知を労しているというようなことは忘れてしまい、すべてのものを冷やかして面白がっていることをも忘れてしまい、誰でも皆私と同じようにわれを忘れて、見る物ごとに感嘆して泣いたり笑ったりするのである。……
 私は今月光の美しさから、大パリへ行ってもこの静けさとこの詩とこの神聖な自然と天国の夜をば楽しむことができないだろうと言うつもりであったのだ。
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by bashkirtseff | 2007-01-18 20:36 | 1877(18歳)
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