日付なし

 人は愛されていると思う時は、その人のためにはいかなることをもいとわない。そうしてそのときは羞恥(しゅうち)の感情などはなくなり、反対に英雄的な心持ちになる。
 私は自分のためには何物をも要求しないことをよく知っている。けれども、その人のためならば百の卑しいことでもする。なぜと言うに、昇っていくには卑しい行為によらねばならぬから。
 これはまた明らかにもっとも立派な行為は自己のためになされるものだということを立証している。……自分のために要求するということは崇高である。何となれば、自分というものを消費するから。……おお! 考えてみるさえ恐ろしい! ……けれども人のためならばそれは一つの楽しみである。そうして自己犠牲のようにも、献身のようにも、人格化された慈愛のようにも見える。
 そうしてかくのごとき場合において人は自らの功績を信じる。実際は自分ながら慈愛深く、献身的で、かつ崇高だと信じる!
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by bashkirtseff | 2007-01-18 20:27 | 1877(18歳)
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