1877.02.01(Thu)

 婦人たちはモナコにおいてのわずか数百フランの金を避けようと用意していた。私は非常に辛辣(しんらつ)な演説をして彼らを正気づかせてやった。そうして母様と私はかご馬車を駆って、日光浴をしながら公爵夫人ド・パロオルを訪問した。婦人は愛想良い人であるが、私たちは悪い教育を受けた者のように婦人を軽くあしらった。
 私たちは比類なき声楽者ヂアズ・ド・ソリアに会った。彼の言うところによると、私に呼ばれたから来たのだそうである。私は彼において一人の友人を見たように感じた。私はテアトル・フランセーズの土間の左手の桟敷に体を落ち着けて、コメヂ・フランセエ団のアガの歌っているのを聴いているような気持ちになった。私は Les Horaces(レ ゾラアス)を聴いた。ローマという名が幾たびも幾たびも華麗な崇高な声で私の耳の中に響き渡った。
 帰ってきて私はリヴィウス(有名なローマ史の筆者/前59-17)を読んだ。英雄、トガ(古代ローマ人の外衣)のひだ、カピトリウム(ユピテルの神殿)、円天井(クポラ)、bal masquè(バル マスケ/仮面舞踏会)、ピンチオ! ……
 ──おおローマ──
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by bashkirtseff | 2006-07-04 21:01 | 1877(18歳)
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