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1876.12.25(Mon)

 私たちは昨日サン・レモを立った、父と母と私は。旅行中私はどんなことを考えたと思いますか? ……もちろん楽しい空想がほかの感情に打ち勝って、いつものように、すべての人間的な物から全く懸け離れたある生活を描き出した。
 この楽しい心持ちはアルビアソラ停車場の付近でがけ崩れのために汽車が止まったので中絶してしまった。私たちは汽車から降りて、荷物を受け取って、別に迎えに来た汽車のところまで数分間の道を歩かねばならなかった。これはたいまつの揺らめく火を頼りにして行われるので、それが暗い空を照らして、怒った水のたけり声に伴われている光景は絵のようであった。
 この出来事のために私たちは乗り合いの人たちと口をきく機会が出来た。その中の一人は軍人であった。
 彼らは私たちのかばんを持ってくれたり、通りにくいところで手を貸してくれたりした。その士官は相当に教育のある利口な人であったが、私が彼をまじめな、むしろ粗野な対話──政治談に引き入れたので驚いていた。
 夜が明けると私は窓際に出て、ローマ付近の土地の景色を一瞬間も見落とすまいと待っていた。
 なぜ私は自分の心の中に美しい思い出がわきながら、しかも多くの人たちは美しい言葉で幾たびもそれを言い表したいのに、自分でそれを表現することが出来ないのであろう!
 私はさまざまの場所を見つけ出そうと思って一生懸命に気を取られていた! ……汽車の前部はもういつしか停車場のガラス屋根の下に入っていた。私はまだサン・ジャン・ド・ラトラン(サン・ジョヴァンニ・ヂ・ラテラノ──ローマ東南端の大寺院)のたくさんな屋根を眺めていた。エスパアニュの大使夫人が来ていた。多くの婦人たちを迎えに来ているのであった。私が振り向くと彼女は私を見覚えていた。私はまたローマへ来たことを恥ずかしく思った。何だか侵入者とでも思われていはしないかというような気がした。
 私たちはこの前のオテルに着いて、同じ部屋を取った。私は2階へ上がって、隅の手すりの球に寄っ掛かった。ちょうどあの晩にしたと同じように。
 私は階段の戸口を腹立たしげににらめて、赤い部屋を占領した。……あなたは信じて下さるかしら? ……ピエトロのことを思い出して。
by bashkirtseff | 2006-06-15 19:52 | 1876(17歳)
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