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1876.11.02(Thu)

 父は何事につけても私に文句を言う。幾たびとなく私はあらゆるものをのろいたくなった。けれども百度も自分を抑えて、私は言いようのないほど苦しい思いをした。
 今夜父をポルタヴァへ連れてきたのには「山ほどの説教」があった。ちょうど貴族の集まりがあって、四部合奏者(クアツオリスト)が演奏をしていた。私は自分を見せに行きたいと思った。少しも差し障りはないと思った。
 例えば私には最小の楽しみさえも得られず、事情さえ同じだったらば友達ともなれるはずの人たちからは遠ざかり、つまらない素人演技についても、私のほのめかしにも頼みにも聞こえぬようなふりをすると言うことは、物足りなかった。全くそれは物足りなかった! しかもこれまで3カ月、お世辞や、優しい愛撫(あいぶ)や、気の利いた話や、愛想良さやなどの後で、……今更こんなつまらない演奏会に行ってみようとすれば断固として反対されたのであった。それだけではなかった。私は自分の服装の選択についても説教を聞かされた。父は毛織りの着物を──散歩服を私に強いた方が良いと思っているようであった。何という狭量なことであろう、人間というものは何というつまらないものだろう!
 私は絶対に父を必要としなかった。私にはナヂイヌと伯父アレクサンドルがあり、ポオルとパシャがあったから。──けれども私は気まぐれに父を連れ出した。そうして自分でも非常に不愉快を感じている。
 父は私が余り粋な風をしていると思っていた。それで私はまた一つ説教を聞かされた。父は私がポルタヴァの婦人たちからあまりに飛び離れた様子に見えることを恐れて、何かほかのものを着たら良かろうと言った。カアルコフではこんな風のものを着るようにと勧めておきながら。その結果はずたずたに引き裂かれた手袋と、燃え輝く目と、悪魔のような気質であった。……そうして私の扮装(ふんそう)には何らの変化も起こらなかった。私たちが入っていったときは演奏は半分がた済んでいた。私は父の腕にもたれながら、自分で称賛されることを知っている婦人のごとく頭を高くそらしていた。……ナヂイヌとポオルとパシャが後から付いてきた。私はマダム・アバザの前を目もくれないで通り過ぎて、彼女と並んで第一列に着席した。
 私はマドモアゼル・ディトリヒを訪問することになっていた。その人はマダム・アバザとなっていたので、私の訪問を返さなかった。私は傲慢な態度を取って、彼女の顔つきなどには目もくれないで知らぬ顔をしていた。私たちはすぐ皆に取り巻かれた。同じ屋根の下にいたクラブのあらゆる愚人どもが「見物する」ために部屋に入って来た。
 演奏会は直に済んだ。そうして私たちは見送りの人たちと一緒に出掛けた。
 ──おまえはマダム・アバザにあいさつをしたか? 父がうるさく私に聞いた。
 ──否。
 そう言って、私は心の一端を父に示し、他の人たちをも余り軽べつしないように、自分のことを第一に気を付けるようにと忠告した。
 私は父に肉薄したので、父はクラブへ引き返して、アバザはオテルの召し使いたちを相手にして彼女が昨日そのめいと2人で私を訪問したことを言い触らしていたと、帰って私に話した。
 それ以外の点では父は輝いていた。彼はわたしのためにお世辞を振りまかれた。
by bashkirtseff | 2006-03-21 19:44 | 1876(17歳)
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