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1873(日付なし)

 1月(12歳)。──ニース(底本:「ニイス」)〔フランス〕、プロムナード・デ・ザングレ(底本:「プロムナアド・デザングレエ」)、別荘(ヴィラ)アッカ・ヴィヴァ。

 叔母(タント)ソフィが小ロシアの曲をピアノで弾いているので、それが私に田舎の家を思い出させる。私はそこへ運び去られた。そうして、どんな思い出の、亡くなった祖母様(グランママン)にかわりのないことを、私は思い出し得るか? 涙が目にまで上って来て、いっぱいに溜って、今にも流れ出しそうになる。もう流れ出した。……気の毒な祖母様! あなたがもうそばにいなくなったので、私はどんなに不幸でしょう! あなたはどんなに私を愛してくださったでしょう、そうして私はあなたを! でも私はまだ小さくてあなたを十分に愛して上げることが出来ませんでした! そんなことを思い出すと私は心を深く動かされます。祖母様の思い出は、尊敬すべき、神聖な、愛情のこもった思い出ではあるが、それは生きた思い出ではない。──おお、神様、どうぞ私にこの世で幸福をお恵み下さい。そうすれば私はうれしゅうございます。でも何を私は言っているのでしょう? 私には、自分が幸福であるためにこの世に生まれて来たように思われます。どうぞ幸福にしてください、おお私の神様!
 叔母ソフィはまだ弾いている。その音が間を置いて私の所まで聞こえて、私の心を貫く。今日は叔母ソフィの祝日(自分の名前の由来した聖徒の祭日)なので、私は明日の予習する日課がない。おお私の神様! 公爵H(アッシュ/イギリスのある公爵)を私のものにして下さいまし! 私はあの人を愛してあげます、そうして幸福にしてあげます。私も幸福になります。私は貧しい人たちに親切にしてやります。善行で神様のお情けが買えると思うのは罪深いことです。でも私はそれより他に言い表し方を知りません。
 私は公爵H…を愛している。けれどもそれをあの人に打ち明けることが出来ない。打ち明けたところであの人は少しも注意を払って下さらないでしょう。あの人がここにいたころは、外へ出るにも、着物を着るにも、私には目的があった。けれども今はどうでしょう! ……そのころ私は遠くからでもあの人を一目見たいと思ってよくテラス(底本:「台地」)へ行った。私の神様、私の悲しみを和らげて下さいまし。私はお祈りをすることは出来ません。でも、私のお祈りを聞いて下さいまし。あなたのお情けは無限です。あなたのお慈悲は広大です。あなたは私にいろいろなお恵みを与えて下さいました! でもあの人をもうプロムナード(底本:「遊歩場」)で見られなくなったことは私を悲しませます。あの人の顔はニースの粗野な顔の中ですぐに見分けがついておりました。
by bashkirtseff | 2004-10-03 22:58 | 1873(14歳)
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