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1876.09.14(09.02)(Sat)

 パシャの出発がうわさに上った。彼はニムロデ(神の前に罪ある狩人、すなわち人の子を狩りする狩人──「創世記」)のごとく、エホバの前において力ある狩人であるから、その猟銃を取り換えに帰ったのだと言うことであった。父は彼に留まるように勧めたけれども、彼の頑固な性質が一度否と言い出すと、彼は誰に対しても一歩も引かなかった。
 私は彼のことを「青い人」(若い人の意味)と呼んだ。それは彼の空想が若々しいからである。その「青い人」は私を特殊なものかなんぞのように見ていることを知っていたので、私はあけすけにそう言ってやった。私も彼に留まるように勧めた。
 ──どうかそう言わないで下さい。彼は言った。僕は言うことを聞くわけにはいかないのだから。
 私の勧めも無効であった。私は彼を引き留めることを悔いなかった。殊にそれは不可能だと言うことが分かっていたので。
 停車場で私たちは私を見送りに来ていたロラと、彼女の母と、伯父ニコラスに会った。
 ちょうど57名の志願兵がセルビア(底本:「セルヴィア」)へ向かって出発すると言うので大変な人であった。私は停車場を歩き回った。あるいはポオルと一緒に歩いたり、ロラと一緒に歩いたり、あるいはミセルやパシャと一緒に歩いたりして。──実際、皆と代わる代わる一緒に歩いて。
 ──本当にパシャは嫌な人ね。ロラが言った。ことのいきさつを聞いたので。
 そのとき私は笑いだしたくなったのを無理に抑えて「青い人」のそばへ行って、冷たい怒ったような顔つきをして少しばかり口を利かせた。けれども彼の目には涙がたまっているので、それを見ると今にも吹き出したくなったので、私は笑ってはせっかくの効果を台無しにすることを恐れて逃げ去った。
 私たちはほとんど歩くことも出来ないほどになって、非常な骨折りで私たちの車室に入った。
 私はこの群衆に気を引かれて、窓際に出た。彼らは押したり駆けたり叫んだりしていた。そうして私はそれを眺めているうちに急に立ち止まった。なぜと言うに、にわかに子供の声の合唱が起こったから。それは女の声よりも美しくかつ純粋であった。彼らは賛美歌を歌い出したのであるが、それが天使の合唱隊のように思われた。彼らは大祭司の少年唱歌隊で、志願兵たちのために祈っているのであった。
 少年たちは皆頭をあらわに出して、いかにも神々しい調子で歌っているのが聴いている私の息を止めるほどであった。やがて賛美歌が済んで、皆が手を打ち鳴らしたり、帽子やハンカチーフを振ったりして、その目に熱心の色をたたえ、感情で胸を高めているのを見ると、私も同じようにして彼らと一緒にフラア〔万歳〕を叫んで笑ったり泣いたりしないではいられなかった。
 叫びは数分間続いて、合唱隊がロシアの賛美歌“Boje, zaria chrani”を歌い出すまでやまなかった。しかし皇帝のための祈りは、命を賭して同胞を救いに行く人たちのための祈りの後では平凡に聞こえた。
 そうして皇帝はトルコ人を放任するのである! 善良なる神よ!
 汽車は狂乱の叫びの中を出発した。そのとき私はあたりを見回すと、ミセルが笑っているのを見た。そうして父がフラアの代わりにドゥラクと言っているのを聞いた。
 ──父様、ミセル、良くそんなことが出来ますのね! なぜ叫ばないのですか? あなた方は何でも出来る人たちですもの!
 ──君は僕にはさよならも言ってくれないのだね。パシャが言った。こわばって赤くなって。
 汽車はすでに動いていた。
 ──さよなら、パシャ、私は言った、片手を差し出して。彼はその手を握って黙ってそれに唇を付けた。
 ミセルは嫉妬深い愛人の役割を演じている。私は彼が長い間私を見ていたが、やがてその帽子を地べたにたたき付けて荒々しく立ち去るのを見た。私は彼を眺めて笑いだした。
 こうして私はまたこの嫌なポルタヴァへ帰ってきた。私はカアルコフの方を良く知っている。それはヴィエンヌへ行った一年前そこに住まっていたことがあったから。私はすべての街筋とすべての店を覚えている。今日の午後私は停車場で祖母様に付いてたある医者を見掛けたから、そのそばへ行ってものを言った。
 彼は私が成長したのを見て驚いた。もっとも伯父ニコラスがすでに彼の聞いているところで私の話をしたそうではあったが。
 私は南方へ帰りたくなった。「あなたはオレンジの花咲く国を知っていますか?」──ただしニースではなく、イタリアである。
by bashkirtseff | 2006-02-04 21:05 | 1876(17歳)
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