ここの生活と、叔父エチエンヌや叔母マリの大まかなもてなしぶりとの間にはかなりの相違がある。叔父エチエンヌや叔母マリは自分たちの部屋を私にくれてしまって、黒んぼのように私にかしずいていた。
ここでは甚だしく違っている。あそこでは私は親しみある土地に懐いていた。ここでは私は私の小さい足の下に数百千万のいさかいを踏みつけながら、長く土着しているひげの生えた親類たちのところへ来たのであった。 私の父は堅くない人で、幼少のころからその父親なるあの恐ろしい将軍のために凍らされ平凡化されたのであった。彼が自由を得てその財産を手にするようになると間もなく、わがままな生活に入って半ば身を滅ぼしたのである。 彼は我欲と子供らしい自負心で膨れ上がっていたけれども、自分の真実の感情を表す位ならばむしろ妖怪と思われることを望んでいる。ことに彼が深く心を動かされた場合にそうである。この点においては彼は私と良く似ている。 けれども彼が私を得ていかに喜んでいるかは全く目の見えない人でも良く分かるであろう。そうして彼は私たちが2人きりになったときにそれを少し見せるだけである。 2時に私たちはポルタヴァへと出発した。 今朝ほども私たちはババニイヌ家の問題についてちょっとした口論をしたが、汽車の中で父はまたババニイヌ家の人たち、ことに祖母様(グランママン)に対して、彼の失われた口論を言い掛かりにして侮辱を与えた。血が私の顔に上った。それで私は死んだ人をば墓の中にそっとしておくようにと激しく言った。 ──死んだ人はそっとしておけ! 父は叫んだ。私はあの女の死骸(しがい)でも手に入れたら…… ──おだまんなさいよ、私の父様! あなたは不作法でいけませんわ! ──ショコラは不作法かもしれないが、私は不作法じゃない。 ──いいえ、あなたは不作法です。趣味と教育の欠けている人は皆不作法です。私は誰にだってそんな言葉は使ってもらいたくないのです。私は黙っていられるとしても、不平を並べられるのは迷惑ですわ。あなたはババニイヌ家と何らの交渉もないじゃありませんか。あなたは妻や子供のことばかり心配していらしたら、それで良いじゃありませんか。妻や子供と言えば、あなたは私があなたに対して、あなたの身内の人たちのことをお話しする以外の話し方で、話さないでくださいまし。私の手はぎを良く見て、その通りにしてください。 こう言っている間に私は極度に自ら誇らしく感じてきた。 ──なんだっておまえはそんなことを私に言うのだ? ──私はどこまでもそう申します。私はここに来たのを後悔しているのです。 そう言って私は父の方へ背中を向けた。それは泣きたい心と涙でのどが詰まって来たからであった。 すると父は当惑して笑いだした。そうして両腕で私を抱いて接吻しようとした。 ──ねえ、マリ、仲良くしようね。そんな話はしなくとも良いのだ。私は別にそんなことを言い出すつもりではなかったのだ。本当だよ! 私はいつもの態度にかえった。けれども許しとか親しみとかの印は少しも見せなかった。その結果、父はなおと愛想良くなった。 私の良い子供よ、私の天使よ、(私は自分に話しかけているのである)おまえさんは天使です。全くの天使です! おまえさんはいつだってどうすれば良いか知っていた。けれどもおまえさんはそれをすることが出来なかったのだ。おまえさんは今こそやっとおまえさんの理論を実現するようになってきたのだ! ポルタヴァでは父は王者である。けれども何という恐ろしい王国だろう! 父は2頭の栗毛(くりげ)を恐ろしく誇りにしている。その2頭を偽装馬車につけて引きだしたときには、私は「本当にきれいだ!」と言わずにはいられなかった。 私たちはポンペイの町のように静かな町を乗り回した。 どうしてここの人たちはこんなにして生きていられるのだろう? しかし私はここで町民の習慣を研究してみようとは思っていません。だから私たちは進みゆくことにしましょう。 ──ああ! 父が言った、もう少し早く来たら、人がたくさんいたのだのに。舞踏会なども開くことが出来たのにね。ところで、今では犬1匹も残っていない。何しろ市が済んでしまったからね。 私たちは画布を買いにある店へ入って行った。この店はポルタヴァのしゃれ者たちの会合所(ランデヴウ)であるが、今日は1人も人影が見えなかった。 公園に行ってみてもやっぱりその通りであった。 どうした訳だか知らないが父は何人をも私に紹介しようと欲しなかった。多分父はあまりに厳峻(げんしゅん)な批評を恐れているのであろう? 食事の最中にM…が来た。 6年前私たちがオデッサにいたころ、母様は時々マダム、M…と会っていた。そうしてその息子のグリツは毎日ポオルと私を相手に遊びに来ていた。彼は私に親切を尽くして、いつも菓子とか花とか果物とかを持ってきてくれた。 皆はよく私たちを笑った。するとグリツは私よりほかの女とは結婚しないのだと言っていた。それに対してある紳士は決まってこう言った。 ──おお! おお! 何という子供だろう! あの子は細君の世話人を欲しがっている。 それから私たちがヴィエンヌへ行くためにロシアを去るとき、M…一家の人たちは汽船まで見送って来た。私はそのころ柄は小さかったけれども、一人前のおはねであった。私は自分のくしを持って来るのを忘れたので、グリツが彼のを貸してくれた。私たちの両親は、私たちがさよならを言うときに2人に接吻させた。
──あのね、グリツは少しつんぼで、いくらか足りないんだよ。とミセル・E…が言った。M…が料理屋の階段を上がっているときに。 ──あたしあの人を良く知っているのよ。あの人はあなたやあたしなどと何にも違いはしないわ。耳は少し遠いけれども、それは病気のせいで、いつも風邪を引かないように綿を詰めているからなのよ。 幾たりかの人がもう上がってきて、外国から帰ってきた娘に引き合わしてもらいたいので、父と握手していた。けれども父は私の代わりにさげすむような顔つきをして、何事をもしなかった。私は彼がグリツに対しても同じことをしはしないかと心配していた。 ──マリ、おまえにグリゴリ・ルヴォヴィッチ・M…を紹介しよう。と父が言った。 ──私たちはずっと以前から知り合いなのです。私はそう言って私の手を子供の時代のお友達に優しく差し出した。 彼は少しも変わってはいなかった。同じ輝かしい顔と、同じ気力のなさそうな目つきと、同じ小さい口元、むしろ嘲笑(ちょうしょう)的な口と、虫眼鏡でのぞかねばならないような鼻ひげと、それから着物はすき間なく着こなして、態度もはなはだ紳士的であった。 私たちは互いに好奇心の目で見合った。ミセルは皮肉な顔をしていた。父はいつもの癖のまばたきをした。 私は少しもひもじくはなかった。もう芝居に行くときであった。芝居は料理屋と同じ公園内にあった。 私は少し歩いてから芝居へ行こうではありませんかと言った。私の模範的の父はグリツと私の間に挟まって歩いた。そうして芝居に入る時刻になると、父は駆け寄って私に腕を与えた。──実際彼は物語の中にでも出て来そうな模範的の父親である。
by bashkirtseff
| 2005-12-07 19:21
| 1876(17歳)
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