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1876.08.07(07.26)(Mon)

 「私たちの創意はすべて中世期的だ」と私は私の日記の前の巻に書いた。(#該当個所不明)
 私たちのであるか? キリスト教徒のである。いずれが真実であろう、世界は実際に再生しているのか、それとも世界は最初から支配していた同じ道徳で進んできて、常に改善に向かってはいるけれども、それは単にもろもろの外面のことのみであるのだろうか?
 国民の生活は緩やかに流れている川に似て、あるいは岩の上を、あるいは砂の上を、あるときは山と山との間を、あるときは地の下を、またあるときは海の中をそれに交じりながら流れて、その名を変えたり、またはその進路をさえ変えたりするけれども、行き着く先は実際において一つである。その形その方向はいずれにもせよ、終局は常に一つであって、それは固定した不知の終局である。
 誰が固定させたのか?
 神か? それとも自然か? もし神か自然であるならば、私たちは道具に過ぎないのである。なぜと言うに自然は人間と人間の利害とに対しては没交渉であるから。
 哲学の講義では至上者の存在を明示して、それによって宇宙の組織を意味している。けれども哲学は私たちが自ら想像するような神の存在を明示するだろうか?
 自然は諸星体の運動に干渉し、私たちの惑星をも物質的に監視している。けれども私たちの心や魂に対してはどうであろう? 私たちは神は宇宙組織の単なる人格化以上のものであることを認めねばならぬ。
 なぜ認めねばならぬか?
 ここで私は妨げられた。そうしてつながりの糸を失ってしまった。
 私は郵便局に行って私の写真と父からの電報を受け取った。父はベルリンにあてて電報で私に会うのが「真の幸福」だと言ってきた。
 ジロは寝台に寝ていたので、私はしばらくそのそばにいた。ちょっとしたきっかけからローマの話になった。私はその町で私のしたことを非常に快活に話して聞かせた。そうして話しやめて笑いだすと、ジロとマリは寝床の中で転がり回って笑った。
 類のない trio 〔三部合唱〕、私は私のグラースたちと一緒にいるときでなければそんなに笑うことは決してない。
 それから急に、恐らく自然の反動であろうが、私は帰りには憂うつになった。
 私は真夜中ごろ伯父とニナと一緒に帰ってきた。
 ペテルブルグは夜の方が勝っている。私はネヴァ川に明かりが幾列にも並んで、それが月の光と紺青のほとんどねずみ色に近い空と対照している景色より美しいものを知らない。家や道や橋などの欠点は夜の親切な影で和められて、大きな波止場が幾つも厳しく突き出して、海軍省の尖塔(せんとう)は空と溶け合ったようになっていると、青いもやの中にはイサキエの寺院の円屋根と美しい輪郭がさながらいっぺんの浮雲のごとくおぼろにかすんでいる。
 私は冬ここに来てみたい。
by bashkirtseff | 2005-10-13 00:47 | 1876(17歳)
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