叔母と私とショコラとアマリアと、昨夜10時に停車場へ行った。私はかなり嫌な気持ちであったが、私たちの車室にガス灯がついていて、小さい部屋のように居心地の良さそうなのを見ると、いくらか気持ちも良くなった。ほかには乗り合い客もなさそうに思われた。座席は3つしかなかったから、2人の召し使いは並んで掛けた。もう別れるのだと考えたから、私は叔母と話をしたく思った。けれども私は深く感じているときには言葉が思う通りに出てこない。叔母はまた自分で話し出したならば私の気を悪くしたり苦しめたりするだろうと心配して黙っていた。それで私はオクタヴ・フューレイ(フランスの写実派の中での貴族的な小説家、1821-1890/底本:「オクタアヴ・フィエ」/#Octave Feuillet)の Mariage dans le Monde 〔現代の結婚〕に読みふけるよりほかにしようもなかった。健全な作品が、白状すると、私に姦淫(かんいん)とその不潔のもっとも深い恐ろしさを与えた。
そういうことを考えながら私は眠った。そうして国境の3時間ほど手前のアイトキュウネン(プロイセンの一停車場)で目が覚めた。そこに着いたのは4時ころであった。 土地は平たんで森が深く茂っている。茂みが新鮮で生き生きしてはいるけれども、南国の潤沢を見た目には何となくもの悲しげに思われた。 私たちはオテル・ド・ルシへ案内されて、白塗りの天井に木の床の美しい、家具もそれと調和して単純に出来た2つの小さい部屋に落ち着いた。 私は衣装びつを持ってきたために、湯に入って着物を替えることが出来た。そうして強壮な、年ごろの、アルマンド少女の持ってきた卵と牛乳を食べた後で、今これを書いている。 この飾りっ気のない小さい部屋の中で、白の化粧着を着て、愛らしい腕をむき出しにして金色の髪気を散らして掛けているのは、一つの惑わしである。 窓から外を眺めると、限りなき眺望が目を疲らせる。丘陵がなくて一般に平たんなのが、山の頂上から世界中を見ているか何ぞのような印象を与える。 ショコラは高慢な子どもである。 ──お前は私の小遣いだね。私が言った。何カ国の言葉が話せるかい? その子どもはフランス語とイタリア語とニース語と小ロシア語が話せると言った。そうしてアルマンド語だって教えてくれれば話せると言った。 彼はオテルの亭主から今までユダヤ人の使っていた寝台をあてがわれたと言って泣きながら私のところへ来た。アマリアはおかしがって笑った。私はまじめくさった顔をして、彼がユダヤ人と一緒に寝るのは当然なことだと思っているように見せた。けれどもかわいそうなショコラがあんまりわめき立てるので私は笑いだして、彼のために買っておいた世界史を彼に読ませて気を紛らせた。 私はこの小さい黒い子どもが好きである。彼は実際に生きたおもちゃである。私は彼に教えたり、行儀をしつけたり、彼の言うつまらないことを面白がったりする。彼は犬と人形を一緒にしたようなものである。
by bashkirtseff
| 2005-10-05 00:53
| 1876(17歳)
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