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 世間でよく明色(金色の髪と白い皮膚をした女/ブロンド)は詩的な女だと言うが、私は反対に明色は殊に実際的な女だと言いたい。
 あなたはティツィアーノ(底本:「チチアン」)が巧みに描いた金色の髪と血の唇と灰色の目とばら色の皮膚を見て、どんな感じを起こすか言って下さい! また、異教徒の間にはビーナス((底本:「ヴェニュス」)があり、基督者(クリスチャン)の間にはマドレーヌ(マグダラのマリア/(底本:「マドレエヌ」)があり、どちらもブロンドである。
 これに反して暗色(褐色の髪と浅黒い皮膚/ブリュンヌ(底本:「ブリユウヌ」))の女は、明色の男と共に実際自然の変則とも言うべきであるが、そのびろうどの目と象牙のほほをした暗色の女は、いつも純潔な神聖な感じを与える。
 ボルゲーズ宮殿にはティツィアーノの描いた「純愛と不純愛」と題する美しい絵がある。純愛はばら色のほほと黒い髪をした美しい女で、湯あみさせている子どもを優しく眺めている。
 不純愛は明色の、恐らく赤毛の髪をした女で、何だったか覚えないが、何物かに寄っ掛かって、両手を頭の上で組み合わせている。
 おしなべて一般普通の女は明色であり、普通の男は暗色である。
 時としてはこれと反対の型で、非常に見事な場合もあるが、ただしそれは異常な例である。
 しかし私はこれまで公爵H…に比較されるほどの人を見たことがなかった。彼は背が高く、強健で美しい赤みを帯びた金髪と、同じ色の口ひげをして、灰色の小さい目をして、ベルヴェデーレ(底本:「ベルヴェデエル」)のアポロンのような唇をしている。
 そうして彼の全体の姿には厳かな大きいところがあって、否、ごう慢と言ってよい、人のことは眼中におかないような風が見えていた。
 私は恋している人の目をもって彼を見ていたのかも知れない。いや! そうとは思えない。
 美しい目はしているけれども、暗色の、みっともよくない、非常に貧弱な、歩くのに少しも落ち着きのない、態度にも何らの取りえのない男を愛したりすることが、しかも、3年前ではあるが、公爵のような人を見た後において、どうしてあり得ようか? また、その3年は、13から16になったその3年は、少女の生涯においては3世紀にも匹敵するものであるのに。
 それ故に私は公爵以外の人をば誰をも愛しない! 公爵は私に愛されることをば誇りとしないであろう。念頭にもおかないであろう。私は時々自分で物語を作り出して、知った人、知らない人の数々を描いてみる。しかし! 皇帝に対してさえ私は真実の信念をもっては「あなたを愛します」とは言わない。私にはどんなことがあってもそう言えない人が幾たりもある! ……しかしもうよそう! 私は実際に言ってしまった。……
 私の神様、私は言ってしまいました。しかし私はかれこれ言うほどの価値もないほどに軽く考えていたのです。
by bashkirtseff | 2005-08-21 13:11 | 1876(17歳)
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