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1876.05.17(Wed)

 私は昨日のことで書き残したことがたくさんあった。けれども、今夜になってみるともうみんな消えている。
 彼はまた彼の愛を私に話した。私は無益なことだと言った。私の両親が同意しないだろうと言った。
 ──それはもっともです。すぐ彼が言った。僕には人を幸福にすることは適していません。母にもそう言って話しました。僕はあなたのことも母に話しました。僕はこう言ったのです。「あの人は非常に善良で、非常に宗教的です。それに僕は少しも信仰がなく、まるでならず者です。」僕は僧院に17日おりました。僕は祈祷(きとう)もすれば、瞑想(めいそう)もしました。けれども僕は神を信じません。宗教は僕のために存在していません。僕は何物をも信ずることが出来ないのです。
 私は、驚いた目を大きく見開いて彼を眺めた。
 ──あなたは信仰がおありのはずですわ。私は言った、彼の手を取って。あなたは改めなさいよ。そうして良くおなんなさいよ。
 ──そんなことはだめです。誰も僕を、このままの僕として、愛してくれるものはないのですもの。ありましょうか?
 ──ふむ! ふむ!
 ──僕は非常に不幸です。あなたには僕の立場のことなんか想像もつかないでしょう。表面では僕はどこまでも皆と仲良くしています。けれどもそれは表面だけのことで、その実皆を憎んでいるのです。──父をも、兄弟をも、母さえも。僕は不幸です。なぜか? と聞かれても、分からないのです。……おお、あの坊主どもが! 彼は歯をむき出し両手を握り締め、憎しみで醜くなった顔を天井向けて、そう叫んだ。あの坊主どもが! おお! あなたにあの坊主どものことを知らしてあげたい!!!
 彼は気を静めるのに5分間かかった。
 ──でも僕はあなたを愛しています、あなただけを。あなたと一緒にいると、僕は幸福です。
 ──証拠を。
 ──言って下さい。
 ──ニースへいらっしゃいよ。
 ──あなたにそう言われると僕はどうしてよいかわかりません。僕が行かれないことは知っていらっしゃるでしょう。
 ──なぜ?
 ──だって父は僕に金をくれたくないのです。父は僕をニースへやりたくないのです。
 ──よく分かっていますわ。でも、あなたがなぜ行きたいかと言うわけをお話になったらばどうでしょう?
 ──父は聞きたくないのです。僕は母に話しました。どちらも僕の良くない行為に慣れて、今では僕の言うことを信じてくれないのです。
 ──あなたは、改めなさいよ。あなたは、ニースへいらっしゃいよ。
 ──拒絶されにね、あなたのおっしゃったように。
 ──私は拒絶すると言いはしませんよ。
 ──ああ、何てうれしいだろう。彼は熱心に私を見ながら言った。なんだか夢みたいです。
 ──でも、きれいな夢じゃありませんか?
 ──おう! そうです。
 ──じゃ、お父様のお許しをお願いなさいますか?
 ──ええ、きっと。でも、父は僕の結婚を喜ばないでしょう。否、こういうことはすべて僕らのざんげ僧(コンフェスル)が決めてくれることになっているのです。
 ──じゃ、ざんげ僧に決めて頂きなさいよ。
 ──驚いたな! あなたまでがそんなことをおっしゃるのですか?
 ──そうです、よく分かっていて下さい、私はあなたが欲しくもなんともないのです。私はただ、私の傷つけられた誇りのために、少し腹いせをしたかったのです。
 ──僕は地上の不幸なのろわれた者です。
 これらの数百の文句をいちいち追求することは不必要でもあれば、不可能でもある。私はただ、彼が私を愛していると言うことを、その柔らかい声と、嘆願の目つきで、百度も繰り返したので、私から彼のそばへ近寄って、仲の良い友達同士のように、いろんなことを話し合ったことだけを述べておこう。
 私は彼に、天には神があり、地には幸福があることを保証した。私は彼に神を信じて、私の目で神を見、私の声で神に祈るように希望した。
 ──さあ、私は言った、立ち去りながら、これで済みましたわ。さようなら!
 ──僕はあなたを愛します!
 ──そうして私はあなたを信じます。私は言った、彼の両手を押し付けながら。私はお気の毒に思います。
 ──あなたはいつか僕を愛してくれるようにはならないでしょうか?
 ──あなたが自由になったら。
 ──僕が死んだらでしょう。
 ──私は今はあなたを愛することができません。お気の毒にも思い、軽蔑(けいべつ)もしますわ。あなたは皆に私を愛してはいけないと言われれば、言うことをお聞きになるでしょう。
 ──そうかも知れません!
 ──たまらない!
 ──僕はあなたを愛します。彼は百度目にそう言った。
 彼は泣きながら行ってしまった。私は叔母のかけているテーブルのそばへ行きロシア語で、あの修道僧は私にお世辞を使いに来たのですが、それは明日お話しいたしますと彼女に言った。
 彼はまた引っ返して来た。私は彼にさよならを言った。
 ──いいえ、さよならじゃありません。
 ──いえ、いえ、いえ、さよなら、ムッシュ、私があなたを愛していたのは、さっきのお話きりに致します。(1881年付記。──私は決して彼を愛していなかった。これはすべて、ロマンを求めるロマンチックな空想の結果に過ぎなかった。)
 ──ああ! なおと悪いことに、私は彼に言った私はあなたを愛していました。私がいけなかったのです。
 ──しかし……彼はまた始めた。
 ──さよなら!
 ──それじゃ、あなたは明日チボリ((底本:「チヴォリ」)へも馬にはいらっしゃらないんですか?
 ──そうです。
 ──それをお止しになるのは疲れたからじゃないんですね?
 ──そうです! 疲れたと申したのは口実なのです。本当はもうお会いしたくないのです。
 ──うそです! そんなことがあるもんですか。A…は私の両手を取ってそう言った。
 ──さよなら!
 ──あなたは父へ話してニースへ来いと私におっしゃったじゃありませんか? A…は去る前に階段に立って言った。
 ──そうですの。
 ──じゃ僕はそうします。いくら面倒でもそうして見せます。僕はそれを誓います。
 そう言って彼は行ってしまった。
 この3日間私はある新しい考えを抱いている。私は死ぬのではないかと思っている。私はせきが出て苦しい。おとといは明け方の2時まで客間に座っていた。叔母が早く休みなさいと言ったけれども、私は動かなかった。私はもう死ぬのだと言いながら。
 ──ああ! 叔母が言った。あなたはそんな風だから、死ぬのですよ。
 ──それの方があなたにはいいじゃありませんか。費用もかからないしさ。ラフェリエにもたくさん払わないで済みますしね!
 そう言って私はせきの発作にとらえられて、長いすに打ち倒れると、叔母は恐れて、怒っているかとも思われるほどに慌ただしく部屋から駆け出して行った。
by bashkirtseff | 2005-08-06 15:54 | 1876(17歳)
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