人気ブログランキング | 話題のタグを見る

1876.04.12(Wed)

 今夜は夢で彼に会った。彼は実際僧院に入っていたと私に話した。
 私たちは今夜ナープルへ行くので荷物を行っている。私は行くのがいやだ!
 いつになったら、私はいつも同じ町の、同じ社交の見られる、自分の家に住まって、時々気晴らしに旅行すると言うような幸福な身の上になられることだろう?
 私が住まって、愛して、死にたいところはローマである。
 いや、聞いて下さい、私は幸福だったところに住まって、どこをも愛して、そうしてどこでも死にたくないのです。
 けれども、イタリアの、いや、むしろローマの生活は、私は好きである。それはかすかながら古代の壮大の色合いをまだとどめている。
 人はよくイタリアとイタリア人について間違った印象を持っている。
 人はイタリア人のことを貧乏で狡猾(こうかつ)で退廃しているように想像する。ところがそれは全く反対である。あなたはほかの国へ行ってみても、これほど富裕な家族とこれほどぜいたくな設備をした家屋とはめったに見いだせないでしょう。もちろん、私は貴族のことを話しているのである。
 ローマは法王の下においてそれ自身で一個の都市であり、またその状態において世界の主権であった。そのときあらゆるローマの貴族は小国王のごとくであって、昔と同じように宮廷をも持っており、人民をも持っていた。この制度からローマの家族の尊厳が生じている。けれどもこれから2時代もたつと、尊厳もなければ富もなくなるだろう。なぜと言うに、ローマは王国の法令に従わねばならぬので今にナープルやミランやその他のイタリアの都市のようになるであろうから。
 大きな財産は分割され、博物館や絵画陳列所は政府の手に買収せされ、ローマの貴族は小平民と変形して、ちょうど古い芝居の外とうでその窮乏を覆い隠すごとくに、立派な名前だけで覆い包まれるようになるであろう。そうして、以前ははなはだ尊敬されていたその立派な名前が泥の中へ引きずり落とされることになって、国王だけがすべての貴族を足の下に踏みにじって自分一人が偉大になろうと決心したときには、彼はたちまち、人民と王との中間に何者もないようなところにどんな国家があるだろうと言うことを明らかに知るであろう。
 ちょっとフランスを見なさい。
 けれどもイギリスを見なさい。イギリスには自由もあれば幸福もあります。あなたは言うでしょう。しかしイギリスにだって不幸はたくさんあるじゃありませんか! なるほど。けれども、全体としてイギリスの国民は一番幸福です。私はイギリスの商売の繁栄を言っているのではなく、ただ内生活のことを言ってるだけなのです。
 共和制をその国に欲する人があるならば、まず自分の家からそうしてみるとよい!
 私が極めてわずかな理解と単なる一私見ほか持っていないことについてはこのくらいでたくさんだと思う。
 ピエトロはローマへ帰ってきて私がいないのを発見すると何と言うだろう? きっとほえたてるだろう。なおと悪い。それは私のせいではない。
by bashkirtseff | 2005-07-24 10:52 | 1876(17歳)
<< 1876.04.13(Thu)... 1876.04.10(Mon) >>