こんないとわしさとこんな痛ましさ。
書いたとて何になろう? 私の叔母は月曜日にロシアへ立った。彼女は今朝の1時に着くはずだ。 バスティアン・ルパージュはだんだんと悪くなる。 それで私は仕事をすることが出来ない。 私の絵は出来ないだろう。 それ、それ、それ! 彼は死にかけて、非常に苦しんでいる。そこにいると、もう大地を離れているように感じる。彼はすでに私たちの上空へ舞い上がっている。私もそうした思いを幾日かしている。人を見ると、話しかけられ、それに答える。けれどももう地上にいるのではない。──静かな苦しみのない無関心、いくらかアヘンの夢のようで、憂わしいものではない。要するに、彼は死につつある。私はただいつもの習慣でそこへ行く。それは彼の影である。私とても半ば影である。何の役に立とう? 彼は特に私のいるのを感じるわけでもない。私は役に立たない。私は彼の目を再び開かせる不才を持っていない。彼は私を見れば満足する。それだけのことである。 そうだ、彼は死につつある。そうして私にはどうでも同じことだ。私はそれを実感しない。それは消えゆくものである。 それに、すべてもうだめである。 すべてだめである。 私は1885年に葬式を出されるであろう。
by bashkirtseff
| 2012-05-19 20:45
| 1884(25歳)
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