1884.08.02(Sat)

 火曜、水曜、木曜、金曜及び土曜日。5日間。私は自分の絵を仕上げた。私たちは同じ日に、クレエルと共に、同じ主題で、1.40メートルに1.15メートルの画布で着手したのだ。ご存じの通り、これは大物です。ユウゴオによって歌われたピエエヴルの流れ。背景には1つの農園。流れに沿って1人の少女が座って、対岸に立っている1人の男の子と話している。
 そうしてもし私の描き上げたものが非常に良かったら? それはあり得べからざることだ。それに人物の中には感情としてあまりに平凡なものがある。しかし私は早く描き上げたいと思った。それにしては実に面白いものになっている! ──人はこう言うかも知れない、──でもそこの所なんかは、実にしっくりと良く出来ている……それから、あの辺は、良くない。──それからまた、これは非常に立派な出来だ、実に美しい絵だ! ──クレエルは彼女の絵を仕上げていない。彼女は私の絵にならってそれを仕上げにするだろう。
 私は何ものにも増して自分が驚嘆しているものを歌ってみたい気がする。
 私は観察する人たちを驚嘆する。
 私は私の仕事をするのを見ていて、そうして何ら意地が悪いとか悪意が潜んでいるとかいったような底意なしに、ただ冗談に私のひじを突いて見るような人たちを驚嘆する。
 私は、アンゼリックが裁縫しているのを見ていると、一種畏敬の念に打たれる。それは、決して私にはそのようにして自ら慰もうとする考えが起こらないからである。
 どうして出来たりするのだろう? ……要するに、不可解である。
 しかしながら、ああ、私の心に衝動を与えるものが様々にある!
 ほとんどすべての真の芸術家は、労作しているすべての者は、私の通りなのである。
 私はまた、脂肪と血とからなる羊肉のカツレツのかなりに大きい幾切れかを食べる人たちをも驚嘆する。
 私はほとんど避くべからざるものとしてその中には見いだされるが常の、小さい虫なんかは気にもかけないで、喜んで蝦夷イチゴ(フランボアーズ)の実をむさぼり食う幸福な人たちを驚嘆する。
 そういう私はその一切の実を丹念に改めて見る。かくては労苦の方がその楽しみよりも大きくなってしまうのである。
 私はさらに、細切れにして、その刻み肉を詰めて料理をし、そうしてその料理の中身が分からなくなってしまっているようなあらゆる種類のものを食べうる人たちを驚嘆する。
 私は、要するに、単純で、健康で、そうして……通常な性質をした人たちを驚嘆する……と言うよりはむしろ羨望する。
[PR]
by bashkirtseff | 2012-05-19 18:12 | 1884(25歳)
<< 1884.08.07(Thu) 1884.08.01(Fri) >>