1884.06.20(Fri)

 建築家がアルゼから私に手紙をよこす。私から出した手紙には、おしまいの方に私たちの首を3つ描いて、おのおのの首に賞牌を掛けてあった、ジュール(兄のバスティアン・ルパージュ)は来年の名誉賞牌を、私は第1賞牌を、そうして建築家(弟のバスティアン・ルパージュ)は第2賞牌を。私はまた彼に「つどい」の写真を送った。すると彼は、それをすっかり兄に見せたところ、兄は、噂に聞いていた絵の概念がつかめたのを非常に喜んで、彼もそれを非常に良い出来だと言い、こう叫びだしたと言ってよこしたのである。
 ──彼らはこの絵に賞牌を与えないというのは何というばかだろう、実際私は非常に良いと思っている! ──彼はぜひ私に手紙を書こうとしたけれども、不可能であった。彼は依然として悪い。でも、悪いにもかかわらず、彼は7日たてばパリへ帰ろうと決心をした。彼は私によろしくまた刺繍の礼を言ってくれるようにと、建築家に言づてて来た。
 これが1年前だったら、私は有頂天になって喜んだに相違ない。彼は私に手紙を書きたがっている! それだけはさすがにうれしい……回顧してみれば。なぜと言うに、今となっては、私はそうしたことには、まずほとんど無頓着であるから。
 手紙の下の方には、1886年の名誉賞牌を掛けた私の顔が描いてある。
 彼は私が私の手紙で彼の兄を慰めておいたデリケートな仕方には心動かされたであろう。手紙は鹿爪らしく始まって、「励ます言葉」を書き立て、そうして冗談で終わっていた。それは私の一番手に入った文体なのである。
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by bashkirtseff | 2012-05-19 12:04 | 1884(25歳)
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