1884.06.08(Sun)

 私は見え得るだけ、またこれまで見え得た限り、実によく見えた。衣装は目を奪うばかりに美しい効果を見せた。──そうしてその容姿は、ニースにおけるがごとく、あるいはローマにおけるがごとく、再び花咲き出でた趣であった。
 私を毎日見ていた人は、あきれていた。
 私たちは少し遅れて着いた。マダム・フリドリクが大使夫人(ランバサドリヌ)のそばにいなかったので、母は大使夫人と数語の挨拶を交わす。私は非常に落ち着いていて、非常に和やかな心持ちである。……近づきの人たちも少なくはない。ガヴィニ家で落ち合ったマダム・A…は、私には挨拶をしなかったのに、今はあでやかに挨拶しかける。私はガヴィニの腕を取る。勲章(コルドン)ひもや勲章を飾っている彼はいかにも立派である。彼は私をイタリ行使メナブレアに紹介し、私たちは美術について語る。次いでムッシュ・レセプスが育児について、子供について、またスエズの配当等について、私に長い話をして聞かせる。私たちはかなり長い間彼と一緒になっている。セブロオが私に腕を貸した。
 大使館員だとか、随員だとかいったような、他の人たちをば、私は勲章をいっぱいつけた老人連に任せて捨てておく。
 少したってから、その自負心に相当の犠牲を払って、私はそこにいた画家連と話をする。彼らは非常に私に好奇心を持って、いずれも自己紹介をする。しかし、私の絵はすべて私一人で描くのではないと彼らが思い込んでしまうだろうと思われるくらい、私は実に美しく、実に立派な身なりをしていた。そこにはセルメチフ、レエマン、これは相当の年配で、非常に同情的で、ある種の才能ある人、およびエデルフェルト、これも才能ある人、──かなり野卑ではあるが、美しい若者で、ロシア系のフィンランド人、これらの人たちがいた。要するに、非常に結構だった。何よりも第一のことは、美しくあることである。すべてがそこにある。
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by bashkirtseff | 2012-05-19 11:39 | 1884(25歳)
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