1884.06.05(Thu)

 プラアテが死んだ。1870年にヴィエンヌで買ってもらって、彼は私と一緒に大きくなった。彼は生後3週間だったが、いつも行李の後ろの、私たちの買い物の包み紙の間に丸くなっていた。
 彼は献身的な忠実な私の犬だった。私が外出すると泣きながら、窓のところに座り込んで幾時間も待っていた。次いでローマで、私はもう一匹の方の犬が好きになると、プラアテは母に引き取られたが、その獅子のような黄色い毛並みで、涼しい目をして、いつも私にひどく嫉妬していた。私は自分がどんなに不人情であったかを考えると! ……
 新しい犬はピンチオと呼ばれた。そうして私は彼をパリで盗まれた。私は慰めがたき思いをしているプラアテに戻る代わりに、第一のココ、次いで現在のココを手に入れるような心なしな業をした。それは卑怯であり、無恥であった。この4年間、その2匹の動物は噛み合ってばかりいた。そうしてとうとうプラアテは階上の1室に閉じ込められ、そこで囚人みたような生活をしていた。するとココの方は、テーブルの上やら人の頭の上までも跳ね回っていた。プラアテは老衰して死んでしまった。昨日から私は2時間ばかり彼と共に過ごしてやった。彼は、私の方へ体をにじり寄せて、私のひざの上に頭をのせていた。
 ああ! 私は優しい感情を持った愛らしい浅ましい女である。あぁ! 軽蔑すべき性格の私はこれを書きながら泣いている。そうして私はこの涙の跡が、これを読む人たちの側から、私にも優しい心はあったという評判を得るだろうと思われる。私は始終不幸せなあの動物を再び取り立ててやろうと思っていた。そうしてそれはいつも、砂糖の一塊か通りすがりに頭を一つなでてやるだけにとどまっていた。
 そのときの彼のしっぽを見せてあげたかった。その断ち切られた哀れなしっぽは振り動かし振り動かされて、空中に円形を描き出しているほど迅速に回転された。
 彼はまだ死んだのでなかった、あの不幸な犬は。私がそう信じたのは、彼が彼の部屋にいなかったからである。彼は以前ヴィエンヌにいたときのように、行李の後ろか浴槽の陰へでも這い込んでいたのであろう。私は誰かが私に言うのを恐れて、そうしている彼を連れ去ったのだと考えた。……しかしそれにしても、今夜か明日のことであろう。……
 トニー・ロベール・フルリが私の泣いているところへ来た。私は彼に、絵の複製に関する事柄を尋ねる手紙を出しておいたので、それで来てくれたのである。それによると、他の者たちには私の絵の複製を禁じ、また私に対しては訴訟を提起することが出来るような、そうした小さな紙片に私は署名する手数を省いたように思われる。あなたにはお分かりでしょうが、私はそうして皆が特許を乞うてくるので得意になっている。だから、私は訴訟事件にすら得意を感じさせられるかも知れない。
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by bashkirtseff | 2012-05-19 10:34 | 1884(25歳)
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