1884.05.29(Thu)

 一晩中熱があったので、私はたまらなくいらだたしい気持ちである。要するに、狂せんばかりに神経の疲れた状態である。それも全然賞牌ばかりのせいではなく、眠れない夜のためである。
 私はあまりに不幸である。私は神を信じたい。すべてがみじめであり、不幸であり、そうして救いもないときに、何らかの奇跡的な力を探し求めるのは自然ではあるまいか! 人はただ祈願するために、高いところにある一つの力を信じようとする。……この作用は、疲労も、寒慄も、屈辱も、嫌悪も表さない。人は祈る。医師は無力である。人は奇跡を求める。奇跡は来たらざるも、それを求めている瞬間は慰められる。それもほんのわずかなものである。神は公平であるに相違ない。もし神が公平であるとすれば、それはどんな状態であろう? ……一瞬間反省する。すると、もうそれが信じられなくなる、ああ! なぜ生きているのか? このような惨めさを長引かせたとて何になるか? 死は少なくとも、あの有名なこの次の生活がどのようなものであるかを知られる利益だけは提示している。そこには何にもないということでさえなければ。それもこれも、要するに、死んでみれば分かる。
[PR]
by bashkirtseff | 2012-01-28 14:46 | 1884(25歳)
<< 1884.05.30(Fri) 1884.05.27(Tue) >>